うわーお!違いすぎて分かり合えない!だからこそ、努力して歩み寄る。

(※誤って削除してしまったので再掲します。既にスキ・コメント下さった皆様、本当に申し訳ございません…)

さて、前回は聴覚障害にも色んな人がいて、なかなか分かり合えない、というお話を書きました。

今回は、そんな色々なバックグラウンドをもつ聴覚障害者が集まるとき、一体どうしているのか?について書きます。とても面白いですよ。

私が参加している聴覚障害者の集まりには様々な人がいます。みんな聴力もバラバラ、コミュニケーション方法もバラバラ、失聴した時期もバラバラです。この会でコミュニケーションを取るときは本当にカオスで面白いです!も飛び交う、手話も飛び交う、筆談もあれば、UDトークという文字化アプリの使用もあり。講演会の情報保障も、「手話通訳」「要約筆記(パソコンでの文字起こし)」「UDトーク(自動で出てくる字幕)」「磁気ループ」の4本立て!質疑応答では、手話で話す人がいれば、手話通訳の人が読み取って声で通訳して下さり、その声を要約筆記の方が文字起こししてくださり…。逆に声で話す人がいれば、それを手話通訳の人が手話に変換してくださり…。メンバーの中には、通訳は必要とせず、そのまま音声を聞いている人もいます。磁気ループを介して聞いている人もいます。本当に多種多様です。話す方法も聞く方法も、全員違う(笑)。よくコミュニケーションが取れるなぁと感動しています。みんなの聞こえに応じて、全ての情報保障を揃える、というこの集まりのスタンスが大好きです。

聴覚障害者同士で話すときは、事前にお互いのことをよく聞きます。手話がいい?声がいい?筆談する?どれくらいの声なら聞こえる?とか、こっち側から話してほしい!とか。「まず、お互いどうしてほしいかを聞く」という文化があります。その文化がものすごく好きです。相手のことが分からないから、どうしてほしいか聞く。もし、相手が手話を希望しているけれど、自分が手話ができないなら筆談やほかの方法を考える。なんとかしてお互いにコミュニケーションを取ろうという雰囲気が好きです。

私の大切な思い出があります。今から数年前、初めてろう者の飲み会に参加した時、私は全く手話が分かりませんでした。でも、彼らは手話の分からない私のために、嫌な顔ひとつせず、細かく筆談してくれました。「今こんな話をしているよ。あなたはどう思う?」「あっちのテーブルではこんな話で盛り上がってるみたい」と。時間も手間もかかるというのに、私一人のためだけに手話の手を止めて、筆談してくださりました。私以外は皆、手話が分かって、手話でスムーズにお話していて、私だけが手話ができなくて迷惑をかけているのに、誰も私を仲間外れにしませんでした。涙が出るほど嬉しかったです。こんなに楽しい飲み会は初めてでした。あの感動は今でも忘れられません。あの後、感謝のメールを送ったら、彼は「そんなの当たり前だよ。聴力は違っても、皆きこえない仲間。人の話に入りたいのに入れない辛さは私たちが一番良く知っているんだから。」と言ってくださりました。この経験こそ、「誰をも疎外しない、みんなが一緒にいられる工夫・努力をしていきたい」と私が思うようになった原点です。

障害のある・なしに関わらず、「あなたはどうしてもらえたら助かりますか?」とお互いに思いやれる社会になるといいですね(^^)

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