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適応障害とわたし@2020/3/26

昨日、わたしが冷蔵庫に貼った「長女がなんでもやると思うなよ」が引き金となり、母親がMAX不機嫌になった。なんであなたが怒る側に回るの?怒りたいのはこっちなのに。
案の定、自分のカバンをガタガタ引きずり、ブツブツ文句を言いながら自室に戻っていった。

以前、母に「あんたの相手してるとこっちも疲れるのよ!見ててこっちの方が辛いのよ!どうしてくれるの!?」といきなり泣き叫ばれた。
その瞬間、母の中でわたしの存在は「娘」ではなく、母の仕事(介護職)先の老人たちより価値の低い存在になったんだなと思った。

今日は休みだから、遅い朝食をとってから自室でのんびり今日は何をしようかと考えていた。
その矢先、いきなりノックもせず母が部屋に来て「嫌ならもう何もしなくていいから」と一言残していった。「長女だから」をやめてほしいだけなのに、母はいつも自分が被害者になる考え方で私たちを責める。
自分勝手な妹とギャーギャー言い争いをして、仕事に出かけていった。やっと嵐が去った。

わたしが適応障害と診断されて、毎日泣いてばかり過ごしていた時は、うつ病の本を読んだり「大丈夫?」と声をかけたりしていた母。その時は大丈夫どころか生きてる心地もしなかったけど。

でも、わたしが仕事に復帰してから明らかに母の態度は急変した。久しぶりの仕事で疲弊したわたしに「嫌ならはやく辞めろ」と言ってきたり、「家にいるのが嫌なら出て行け」とよく言うようになった。出ていける金があったら真っ先に出ていってやるのに。

そんな母親の態度も相まって、ますます会社に行くのが怖くなり、家に帰るのも嫌になった。会社に行けば嫌でも自分の能力の無さを見せつけられる。家に帰れば母の顔色を伺いながら過ごさなければならない。

家にも適応できず、会社にも適応できない。こんな自分が生きてることに何の意味があるのか。最近よく思うようになった。
次の心療内科で相談したら、どんな返答がくるのだろう?
毎日泣いてばかりいた時、一度母に付き添いで来てもらったことがあった。その時の母は、ありえないほど外面のいい顔と声で「私ちゃんとこの子のことを尊重してますよ」といった態度で主治医と話していた。嘘嘘嘘嘘ぜーんぶ嘘。家ではヒステリーばっかり起こしてるくせに。

音大卒でプライドばっかり高いだけの過干渉な母親。何が「あなたの人生、好きに生きなさい」だ。自分の面子を守るためなら平気で娘のやりたいことに首を突っ込んでくるくせに。

母への不満ばかり考えてたら、何だか時間を無駄にしてる気がしたので本を読むことにした。「傷つきやすい人のための、図太くなれる禅思考」。こういった本は何冊か読んできたけど、人間は忘れる生き物だし、図太く生きるためにも読むことにした。禅の世界を知ることもできて、一石二鳥だ。

本を読んでたら少し眠くなってきたので寝た。睡眠薬が残ってるせいだ。
夢の中で、やたらうまい棒が出てきた。目が覚めて気がつくと、Amazonで150本入りのうまい棒を調べてた。
ちょっとだけほしくなってしまったので、ほしいものリストに投げておいた。忘れたころにリストを見たらびっくりするだろう。

お昼ご飯にカップラーメンを食べた。会社の人から「marina*さんってカップ麺食べたことなさそうだよね〜」と言われた。よく言われる。学生時代は毎日母のお弁当が当たり前だった。だからたまに母が寝坊してコンビニや学食のものを食べてると「いつもと違うもの食べてるー!!!」と周りの友人が机を囲んできた。見た目が真面目だと食生活まできちんとしてると思われるのか、と当時は思っていた。
でもまさか社会人になってまで言われるとは思ってなかった。「食べたことある?」と聞かれたので「ありますあります」と苦笑いで必死に答えた。

母に何もやらなくていいからと言われたが、家にいても何もするこもがないので、まずは洗濯物を取り込んできちんと畳んでおいた。妹は絶対にここまでしない。ベランダから部屋に入れて終わり。これが姉と妹へのしつけの違い。

午前中のように寝て過ごすのはもったいないし、何より夜寝られなくなるのが怖いから読書して過ごす。

少し本を読んで、次に何を読もうか吟味していたら、過去に受験した漢検準一級の問題集が出てきた。試験は1回しか受けてない。結果は不合格だった。

幼少期から国語教室に通ってたせいか、わたしは人より漢字が好きだ。だから大学も日本語学を専攻していた。ほんとは日本語教師になるつもりで専攻してた。だけど、授業中にディスカッションをしていたら日本語のゲシュタルト崩壊を何度も経験し「あ、わたしは教師には向いていないな」と自覚して諦めた。

でも漢字が好きなのは今でも変わらないから、趣味がてら漢検準一級と一級を制覇してやろうと思った。でもいざ受験してみたら、難しすぎて開いた口が塞がらなかった。回答欄もなかなか埋められなかった。だってほとんど日本人が日常で使わない漢字ばっかりなんだもん。思わず試験中に「こんな表現使わねーよ」と呟きそうになった。

でも、今日たまたま過去問を見つけたのをきっかけに、もう一度挑戦してみようかと思う。もちろん合格したら嬉しい。でも不合格だとしても受けたことに何かしら意味があると思う。
本当は情報技術者試験のほうが最優先かもしれないけど、会社から言われて勉強するのはなんか嫌だ。
だからわたしは漢検準一級の合格を目指す。そっちのほうが楽しいから。

ふと時計を見ると夕方の5時。あと2時間弱で母や父が仕事から帰ってくる。あーーーーー顔合わせたくない。昨日今日のギクシャクが今になって悔やまれる。それもこれも妹が家のことをやらないせいだ。

母は基本的に自分から謝ることをしない。決して自分に明らかな非があったとしても。
なのに、わたしが適応障害になった途端、何かにつけて「ごめんね」と言ってくるようになった。仕舞いには「あんたが小さい頃からいろいろキツいこと言ってきてごめんね」と言い出してきた。それをはじめて聞いたわたしは、「自分の娘が適応障害になったのは母である自分のせいだ」という自責の念から出た言葉だと思っていた。

でも、今改めて思うと「何もかも言うのがおせーよ」と言うのが正直な感想。今謝ったからって、娘のわたしが適応障害になった事実がなくなるわけじゃない。母にとっては贖罪のつもりなのかもしれないが。

ラジオを聴きながら、この後どう母にアプローチをかけようか考える。コロナの買い占めを話題にしようか、誤解を解くためにきちんと話をするか。どちらにせよ不機嫌になるのは変わりないな。無理だ無理。

明日は出社日だ。明日行けば休みがくる。行きたくない。でも母が休みの日に家にいるのはもっと嫌だ。帰りにまた喫茶店にでも寄ってから帰ろうかな。

ラジオを聴いてたらお酒とおつまみの話題になった。コロナのニュースや仕事のこと、家庭のことを考えたら何だがむしゃくしゃしてきたので、ストロングゼロを開けた。
もうどーにでもなれと思った時こそアルコールに限る。おいしい。

母との仲直りは、まぁなんとかなるだろう。いつものことだし。

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