適応障害とわたし@2020/3/31

7時5分前に目が覚めた。
ベッド横の椅子に用意しておいた服に布団の中で着替える。朝の布団のぬくぬくは罪だ。どんなに起きなきゃと思っても、そう簡単には抜け出させてくれない。

今日は通院日。今日こそちゃんとコミュ障の相談をする。絶対にする。
さすがに2週に1度の通院が辛くなってきた。主に懐が寒くなるという理由で。3週間に1度とかにできないものか。でもそのかわり、薬代が倍になるのか。
あっちを立てればこっちが立たず。会社に復帰してからこればっかり。いつになったら薬漬けの生活から脱せるのだろうか。

朝ごはんのロールパンとハムをのせた食パンをかじりながらニュースを見る。どこの番組も「志村けん死去」や「マスオさん死去」ばかり。
確かにはじめて耳にした時はびっくりしたし、悲しくなった。以前のわたしだったら、2、3日くらい悲しみにくれていただろう。「あんなに元気だったのに」とか「何故この人が犠牲にならなきゃいけないんだろう?」とか。

でも今はちょっと違う。いつまでも周囲が悲しんでいたところで、一度死んだ人は蘇らない。コロナが収束するわけでもない。むしろ目に見えない猛威を奮い続けるばかり。日本がイタリアの二の舞になるのは目前だろうな。

そう冷静に考えてしまう自分が、一瞬だけ怖くなった。以前の自分だったら決して考えなかった。人の死を、まるで他人事のように考えたことなど無かった。

”人間が亡くなった人に対し、一番最初に忘れてしまうのは声である”
数年前、サザエさんに波平役で出演していた声優さんが亡くなった時、たまたま目にしたツイートに書かれていた。

過去に深い縁でつながっていた人にとって、故人の声を思い出すのは造作もないことかも知れない。
でも、人間は忘れてしまう生き物。わたしたちのようにテレビに出ている時の声しか知らない人間が思い出そうと思っても、決して完璧な記憶として蘇らせることはできない。

だからこそ、録画した番組や映画のDVD、ゲームや音楽に価値が生まれるんだと思う、
この世に本人はもういない。でも、確かに本人がそこにいた証拠はどこにでもある。
寂しくなったら懐かしい声を聴いて、知り合いと昔話に話に花を咲かせればいい。

それとは反対に、家族や自分を応援してくれた人がいつまでも悲しみに暮れて涙をこぼし、ストレスで痩せたり病気をしてはならない。そんな日が続けば、故人は心配と不安を抱えたまま、いつまでたっても浮かばれないだろう。

家に帰ったら久しぶりにドリフの録画でも観ようか。心療内科に向かう電車の中で、そんなことを考えていた。

主治医の先生には、不眠とコミュ障の相談した。やっと相談できた。誰にも話せなかったことだから、なおさら嬉しかった。
前回した睡眠の薬は効き目が強すぎて、朝起きれないことと、ふらつき、めまいが辛いことを報告した。このままの状態で、もし1人で出かけた時に道端でぶっ倒れるような事があったら大変だ。
先生もやっぱりと言いたげな表情をしながら、減薬を提案してくれた。

コミュ障の問題は、やはり対人恐怖な面がある以上、段階的に乗り越えていくことが重要だと告げられた。こちらに関しては、わたしのほうがやっぱりという表情になった。そりゃすぐに治るもんじゃないよな。

とりあえずテレワークになった以上、コミュ障を治すことに関しては、しばらく考えることをやめたほうがいいという結論になった。それはそれでありがたい。できるだけ心の負担も減らしたいし、たかが上司という1人の人間に言われたから治すというのも気持ち的になんか癪に触る。タダじゃ起きないメンヘラコミュ障なめんなよ。

薬局で薬を買った帰り道、セブンイレブンで宅急便コンパクトの箱を買って帰ることにした。
レジに行く前にいろいろ見て回ってたら、おいしそうな苺サンドとタピオカに目を奪われたので一緒にレジに持ってった。

宅急便コンパクトの箱の小さい方を頼んだけど、若干デカい方が出てきた。まぁ服を入れるだけだし、大丈夫だろうと思って結局買った。説明するのもめんどくさいし、店員さんを困らせたくなかったし。

今日のお昼ご飯。小さなカップ麺と苺サンドとタピオカ。以上。我ながらひどすぎる。

まぁ食べないよりマシ。これで少しでも体に脂肪や肉がついてくれるとありがたいのだが…たぶん無理。
全部おいしくて胃の中がパレード状態だった。空腹状態でストレス溜めるより、好きなもの食べて幸せなほうが生きてる甲斐もある。

数年前に録画したドリフのビデオを観ようとしたら、なかなかDVDディスクを読み込んでくれない。
ディスクを入れてるのに画面上に「入ってないから入れろ」とばかり指示される。
もうデッキも古くなってるので、うまく読み込みができないんだろう。
仕方がないので、あとで別の部屋の新しいデッキで見ることに決めた。

しばらくダラダラ過ごしていたら、この前ネットで買ったピアスのトゲトゲキャッチが届いた。さっそく着けてみた。トゲトゲ。かっこいい。

しばらくラジオを聴きながらダラダラうとうとしながら過ごした。スマホもいじらず本も読まず、ただストーブの前で湿った洗濯物と一緒に寝転んでいた。

ラジオが終わったあと、お昼時に観れなかったドリフを観た。けんさんが若い。カトちゃんも若い。みーんな若い。
カトちゃんがセリフを忘れてけんさんがツッコミを入れるところがおもしろい。荒井注さんの「ディスイズアペン!」もなんてことない言葉なのにおもしろい。

名物ひげダンスは、会場の子どもたちが大笑いしながら楽しんでた。

個人的に好きなのは、けん坊とお寺のコント。
鐘を鳴らしたいのに鐘が逃げたり、鐘を無理やり鳴らしなら金盥がいっぱいけん坊の頭に落ちてくる。
お供物のリンゴを取ろうとおもったら、リンゴが宙に浮かんで爆発。
仕舞いには仏さまが動きだして、けん坊と追いかけっこ。放送当時はこのやりとりがおもしろくて妹とテレビの前で大爆笑してた。あの頃がすごく懐かしい。

こうしてドリフのけんさんを観てると、本当に人を笑わせることばかり考えてたんだろうなということがよく分かる。
きっと天国に行っても長さんとバカなことをして大笑いしてるんだろうなと思う。

明日から4月だというのに、外は寒いし風も冷たい。ピンク色のトレンチコートを買ったのに、なかなか着れないでいる。新しいワンピースも買いたいけれど、寒い日が続いてるせいで買えずにいる。

去年の自分はどんなことを考えてだんだろう。たぶん仕事に追われてて何かを考える余裕もなかったと思う。
今の自分で考えると、精神的に何かが引っかかった状態、例えるなら心臓にナイフのようなものが刺さったような感覚で、新年度を迎えることになるなんて想像もしなかった。

今年中に治るのだろうか。あるいは来年。それとも死ぬまでこのまま?
多分わたし自身も、家族も、会社の人たちも、病院の先生もいつ治るかなんて分からないだろう。

やっと良くなったと思ったら、違うところで不調がでる。自分の体のことなのに、わからないことばかり。増えるのはストレスと薬。減るのは体重とお金。

最近は、何でモヤモヤと悩んでるのか分からなくて悩んでいる。

気持ちを落ち着かせるために、寝る前にハーブティーを飲むようにした。
寝る前にノートにその日できたことを3つ書いてから寝るルールを作った。
好きな音楽を聴いて十分にリラックスしてから寝ることもした。
でも、どれをやっても長続きしなかったし、気持ちのざわめきは今でも晴れる気配がない。

ただ、毎日嫌でもやってくる1日を、模索しながら過ごすことしかできない。

Twitterやテレビやラジオで、自分と同い年で何かを成し遂げた人を見ると、何もできず周囲を振り回すことでしか生きられない自分が憎くなる悔しくて怒りさえ湧いてくる。

今のわたしができることは、こうして1日あったことと思ったことを書き残すだけ。
「わたし」という人間が生きていた軌跡を残すだけ。そこから何か生まれるわけでもない。
ただひたすら、日記を通して自分が生きている理由と目的を探し求める。

それができたら、何も苦労することなんてないのに。
ほんとうに生きるのが下手くそすぎて、反吐が出る。

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