見出し画像

適応障害とわたし@2020/5/22

うす暗くて寒い中、目を覚ます。スマホを見ると時刻は5:19。6時のラジオまで時間があるから二度寝しよう。ポヤポヤとした意識でそう決意し、ふたたび布団に包まって意識を手放した。

次に目が覚めたのは7時10 分前。昨日より早く起きられてよかった。でも、あんまり素直に喜べなかった。昨日の仕事のストレスが重くのしかかったまま、不安と憂鬱感ばかり募っていく。
後輩に頼まれた仕事さえまともに処理できない。「こうしたら動くから」上司や後輩に言われた通り動かしてるのに、PCからは思った結果が返ってこない。
復職しても何もスムーズに進められず、情けなさと哀しさ、孤独感が襲ってくる。
「何でこんな会社に入っちゃったんだろう?」
自分にそう問いかけながら、布団の中で普段着に着替えた。

今日も曇り。気温は昨日より少し高いらしいが、部屋の中は寒くて仕方がない。もともと自室が北側に位置しているせいもあり、他の部屋より数倍寒い。
着替えて朝のストレッチをしても、なかなか体は温まらなかった。

今のわたしには寒さより虚無感に襲われている。仕事が自分のペースでうまく進められない。たったそれだけなのに、頭の中が「もうダメだ」とか「コロナが収束したら真っ先にクビ」とか「使えない人間」とか、いろんなマイナス思考でぐるんぐるんになる。
やる気がないわけじゃない。心が限界まで疲労してて体や足、指先に力が入らない。
だが、それを言葉で説明しても上司から100%の理解は得られないだろう。だって、適応障害がどういう病気か分かってないんだから。

だから今日も今日とて、憂鬱感と虚無感で張り裂けそうな心をどうにか抑えこみながら仕事に臨む。泣きそうな顔はもうどうすることもできない。顔が映らないだけ助かったと思うしかない。
後輩から依頼されたシステムチェックは無事に完了した。けれど、ほとんど上司と画面共有しながらのチェックだったので、わたしの成果にはならない。ただわたしが動かしました、という事実があっただけ。
後輩に動作確認が完了した旨を報告したら「ありがとうございます」と返ってきた。でもわたしの中では不完全燃焼な気持ちでいっぱいで、後輩のお礼の言葉はなんだか空々しく感じられた。

結局、作りかけだった資料作りは今日中には完成できなかった。たった一つの資料を作るのに集中したかったのに、あっちへ行ったりこっちへ行ったり、果ては勝手にミーティングの予定を詰め込まれる始末。
意識がいろんなところに振り回されて、集中力がどんどん削られていく。ただでさえマルチタスクは苦手なのに、これ以上わたしの心と意識をかき乱さないでほしい。

と、愚痴をぶつけたところで誰も助けてくれる人はいない。
家族には「もう訓練していかないとダメでしょ?」と言われ、上司には「会社貢献のためにもうちょっと頑張ってほしい」と言われる。
これ以上、わたしは何をどう頑張ればいいのか?
今のわたしは辛うじて抑うつの薬を飲んで、物事への意欲を無理矢理にでも高めて仕事をしている。朝のストレッチだって、自分の体調管理のために始めた。毎日プロテインも飲むようにした。
その姿を知らない人が、軽々しく「頑張れ」なんて口にする資格はあるのか?いや、絶対にない。無責任にもほどがある。

逆に質問してみたい。あなたはわたしがガンやコロナにかかったら「頑張って」って言うんですか?閉鎖された病棟でひとり、点滴やよく分からない医療機器に繋がれて、辛うじて呼吸ができてるわたしに、あなたは「頑張って」って言えるんですか?

わたしは受験生の時に、もう誰にも「頑張れ」とか「頑張ったら絶対うまくいくよ」などの言葉を絶対に言わないと誓った。
だって、その言葉はあまりにも軽々しくて、相手を突き放してしまう気がして怖いから。相手が積み上げてきたかけがえのない努力を、一瞬で粉々にしてしまいそうだから。

相手を心から応援したいと思うなら、ただ黙って見守るか、寄り添うだけで十分だ。そこに相手を鼓舞する言葉はいらない。相手を本当に心から信頼していれば、言葉なんてなくても良い結果が返ってくる。

心の病を抱えた人は、いつも激しい戦いを繰り広げている。相手は自分自身。毎日、ありもしない不安を抱えた自分や、勝手に流れてくる涙、どうしようもない孤独感に立ち向かっている。五木寛之氏の「大河の一滴」では、この戦いを”心の内戦”と呼んでいた。
でもそれは、決して誰の目にも見えない。心理カウンセラーや精神科医だって、戦っている姿を見ることはできない。
心の内戦に敗れた人たちは一体どうなる?
答えは簡単。「自殺」という白旗を上げる。そして自らの手で自身の息の根を止める。このような人たちを五木氏は”心の戦死者”と呼ぶ。

だが、悲しいことに心の内戦を知らない人々は、この戦いを偏った目線で捉えている。
弱くてネガティブな自分から強くてポジティブな性格にクラスチェンジさせ、会社や上司、世の中の役に立つ人間に達することが勝利だと思っている。
弱音を吐くな。泣くな。諦めるな。逃げるな。そう自分を奮い立たせることが戦いだと思っている。
でも、それは「克己」でしかない。ただの我慢の連続。我慢の先には何がある?当然、苦しみしかない。

交通事故の死者より自殺での死者の方が上回る国、日本。我慢を美徳のする国、日本。コロナで甲子園に行けなくなった高校球児や受験生、就活生たちに「苦しいのはお前らだけだと思うなよ」と心ない言葉を浴びせる人がいる国、日本。

さて、今の日本で”心の内戦”の戦士の数は、一体何人いるのだろうか?
それは誰にも分からない。だって、誰の目にも見えないのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?