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適応障害とわたし@2020/4/12

朝6時。下半身と背中の寝汗による不快感で目が覚めた。
最近は寝汗をかいてなかったから、やっと薬の効果で克服できたと思っていたけれど、そうでもなかったらしい。
布団の中がぬくぬくどころかサウナに入ってるような暑さで居心地が悪い。しかもモコモコのパジャマを着ているから、さらに体中に熱がこもる。

もう4月も中旬になるからモコモコパジャマはやめたい。できれば下に着てるTシャツとシルクニットのショートパンツ、レギンスだけで寝たい。これなら布団の中での着替えも楽になる。
けれど、朝晩の冷え込みがなくならないから、なかなかモコモコパジャマと縁を切ることができない。

来週からそろそろ気温も上がるんじゃないかと思って天気予報アプリを開いたら、爆弾低気圧のお知らせがデカデカと表示された。最悪だ。4月、というか春はどこへ消えた???

ただでさえ気圧の変動で体調や精神状態が左右されやすいのに、なんたる仕打ち。

いや、そもそもモコモコパジャマを着てるから体温調節できなくて寝汗が出るんじゃないか?
ふわふわ羽毛布団×モコモコパジャマの相性が疑わしくなってきた。
なので、今日からモコモコパジャマとおさらばする予行練習として、仮面ライダーとキラメイジャーを観た後に引き出しにパジャマをしまい込んだ。

同時に、もはや自分で薬が効いてるか効いてないか判断すらできていないのに、わざわざ高い金を払って薬を飲んでるのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
今日だって朝の抑うつ用の薬を飲み忘れた。ただの無駄遣い。金の無駄。
ただでさえ緊急事態宣言で外出自粛と言われてる中、火曜日に電車に乗って心療内科に行かなきゃいけないのに。
自宅近くの心療内科を選ばなかった自分が憎らしい。

あいかわらず大した予定もないし、メルカリに出品した商品もなかなか売れずにヒマなので、プライムビデオで映画を観ることにした。
先日Twitterで「気が滅入る時にはオデッセイがおすすめ」というつぶやきを見つけたので、オデッセイを観た。

観た人のつぶやきをもとに簡単に内容を要約すると、「火星にひとりぼっちになったのでDASH村してジャガイモ畑作ります」といったもの。
もっと具体的に言うと、主人公ワトニー含むクルー達が火星探査中に嵐に巻き込まれる。急いで宇宙船に乗り込もうとするも、ワトニーは嵐で飛んできた破片にぶつかり吹っ飛ばされる。クルー達はワトニーが死んだと思い、悔やみながらも宇宙船に戻っていった。
ところが、死んだと思われたワトニーは実は生きていた。
そして、火星にひとり取り残されたワトニーは、植物学者としての知識と化学を駆使してジャガイモ畑を作り始める。
クルー達はNASAからワトニーが生きていたことを知らされて喜ぶでもなく、置き去りにしたことを後悔し悲しんだ。
その一方、ワトニーは「火星を植民地にしてやる」と宣言し、火星での生活や試練をタフに乗り越えていた。
そして物語終盤。火星での生活が7ヶ月を過ぎたころ、ワトニーは無事クルー達との再会を果たす。

映画を見終わった後、めちゃくちゃふかし芋が食べたくなった。あまりにもワトニーが美味しそうにケチャップをつけて食べていたから。
同時に、生きていただけで仲間たちや世界中から歓声や祝福されているワトニーの存在が羨ましくなった。彼はわたしが今欲してやまない人からの愛を、これでもかというほど受け取っていたから。
そして、未来の宇宙飛行士達に火星での生活のことを語る姿は、わたしが今なりたくて仕方がない「価値を与える人」だったから。

「どうすればお金持ちになれますか?」とか「宇宙飛行士になるにはどうすればいいんですか?」とか「どうやったら成功を得られるんですか?」と質問する前に、自分がなりたいと思う人のマインドと思考を手に入れろ。
以前読んだ本のどこかに書かれていた。

ワトニーがどうやって宇宙飛行士になったかは作中では分からない。
でも彼は、物語の序盤で「死んでたまるか」とつぶやき、どうしたら生き延びられるかについて試行錯誤を繰り返した。
その結果、彼は見事に火星から生還し、人々から尊敬される存在となった。

そう考えてみると、わたしのなりたい姿に必要なのは、職業や境遇、生まれ持った才能の有無は関係ないのでは?と思えてきた。

話は変わるが、今日ついにmoonのエンディングを迎えた。
「クリア」と言うよりも「エンディング」と言うほうがしっくりくるような結末だった。

ゲームの最終局面。
ロケットで月に向かってる最中、フローレンスさんというおじさんが語りかけてきた。

たかがキャラクターの台詞の一部分にしか過ぎない。
ゲーム中に集めたラブの正体には一切触れてない。
でも、この諸行無常で盛者必衰、生々流転とも言えるような言葉に、なんだかあたたかく包みこまれているような感覚がした。

どんな姿であろうと、そこに命がある限り人生は続いてく。
嫌になってポイッと投げ出したくなれば、自分の手で簡単に命を終わらせることだってできる。ナイフでグサリと刺せば一発だ。
そうして次はまた違う世界に生まれ落ちる。
人間とは、そういう生き物だ。

オデッセイのワトニーしかり、フローレンスさんの言葉にしかり、伝えたいことに共通点があるように思える。
火星にひとりぼっちになったって、moonというゲームの中にある「ゲームの世界」に飲み込まれた主人公になったって、その後を開拓していくのは自分しかいない。

ただ、自分が生きている意味は誰が教えてくれるわけでもないし、あらかじめ生まれ落ちる前に知ることもできない。
それだけは、自分で生き続けることを選択した者が知ることのできる永遠の命題なのかもしれない。

…人間って、本当に生きるのが難しいね。

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