適応障害とわたし@2020/3/24

9時に目が覚めた。
「やばい、会社に行かなきゃ」と思ったけど、今日は出社日じゃないのでホッとした。

中途覚醒に悩まされ続けて早1ヶ月。前回の通院日にやや強めの睡眠薬を飲むようになってから、やっと最近になって朝まで安心して眠れるようになってきた。
一方で、効き目が強すぎるあまり、朝なかなか体を起こせなかったり、日中に眠気や倦怠感が出てくるようになった。

あっちを立てればこっちが立たず。会社に復帰してからこればっかり。「三歩進んで二歩下がる」とはこのことを言うんじゃないだろうか。呆れるどころか、もう治らないとさえ思えてきた。

寝坊した日の倦怠感と、時間を無駄にした感に苛まれつつ軽い朝食をとった。トーストにクリームチーズを塗ったパンとヤクルト。あとはカフェオレ。
以前、これと似たような朝食を食べていたら、母に「そんな病人食みたいなもの食べてるから治らないんだよ」と言われた。病人はトーストなんか食べさせてもらえないだろうが。というより、食事で不眠やらコミュ障が治るなら、今ごろ近所のコメダ珈琲でモーニング食べまくってる。

さすがに最近、平日に働いてる人を差し置いて休んでいることに罪悪感と申し訳なさでいっぱいいっぱいになってきた。そのくせ出社日の帰り道は「やっと休める」と思っているんだから、我ながらタチの悪い病気にかかったなと思う。

みんな働いてるんだからわたしも何かしなきゃと思って、朝から読書することにした。読みかけの本を今日中に読破するのが目標。

まず読破できたのは、ハヤカワ五味ちゃんの「私だけの選択をする22のルール」。わたしと同い年のキュートでクレバーな起業家の本。五味ちゃんの存在を知ったときは、同い年なのに周囲に流されるままの人生を送ってきた自分に絶望した。同時に五味ちゃんの考え方が羨ましくてしょうがなかった。
この本を読もうと決めたのは、適応障害になって、やっと自分で自分の首を絞めてたことに気づいたから。自分の正直な選択をしてこなかったことに気づかされたから。
結論、今読んで本当に良かったと思った。というより、なぜもっとはやく読まなかったんだと後悔した。
でも、読んだからこそ得られたことも多かった。
この本のおかげで、自分が適応障害になってしまった原因や、今からでも興味のあることに全速前進しても遅くないことを自覚した。まだ24歳だ。今から何か初めてもまったく遅くない。

お昼にアンテナヘリックスを開けた。正味5分。この前あけたインダストリアルのループ部分とキャッチがいい感じにハマってかっこいい。ポルカの雫さまと同じスタイル。
なぜか私の左耳は福耳みたいになってる。右耳は普通の形なのに。だから左耳のロブ(耳たぶ)は1つしか開けてない。これ以上増やすと福が穴から逃げていきそうな気がするから。
あとピアスの数は絶対に奇数にしたい。今日で6つになったので、あと1つ開けて7つにする。ラッキーセブン。これで増やすのはやめる。
これ以上増やすと、さすがに髪の毛で隠せなくなるし、9つは「苦」と同じ響きだから縁起が悪くなる。

問題は7つ目をどこに開けるか?髪型的にいつも右耳を出してるから右耳は却下。必然的に左耳に開けることになる。となると、位置は?アンテナヘリックスをもう一個開けて、キャッチをコーンにするとネコ耳みたいになる。
こうして考えてる間に、どんどん開けた時のジクジク感が出てきた。もう慣れたもんだ。メンヘラのリストカットじゃないけど、ピアス開けた時のジクジク感の方が生きてる心地がする。もうこの発言してる時点でダメだ。あー痛い痛い。

あーでもないこーでもないとピアスコーデを調べてたら、メルカリから通知がきた。出品した商品のコメントだった。590円の商品の値下げ交渉だった。は?利益残らないだろうが。だから正直に値下げできませんとコメントした。

その後、「非社会性の心理学」を読破した。帯に「なぜ真面目な人は壊れるのか」とあったので、見た目が真面目だと言われる人がうつ病や精神病を患ってしまう理由を解明する本かと思った。でも全然違った。今の日本には、秋葉原連続殺傷事件の犯人のように「殺すのは誰でもよかった」という発言をする人=「非社会性な人」が増加している日本の問題を焦点にした内容だった。求めていたベクトルが斜め45度くらいズレてた。
結論から言うと、今の日本人には自然な感情を抱く人が欠如している。お葬式の場に赤いセーターを着て行ったら遺族がどう感じるか分からない人が増えている。そういった「ふさわしさ」や「似つかわしさ」といった自然な感情を持つためにコミュニケーションが欠かせないという。
あとがきを読んでる最中、なんとなく不完全燃焼的な感じがした。でも、これはこれで新しい学びを得ることができたので気にしないことにした。

気がついたらもう午後5時。今日は寝坊して、本を読んで、ピアスを開けた日になった。大したことは全くしてないけれど、本を2冊読破できたのはうれしかった。読書はやっぱり楽しい時間だ。

ふと下腹部に違和感を感じたのでトイレに行ってみると、生理がきていた。確かに腰のあたりが少し重いし鈍い痛みがある。出社日じゃなくて助かった。夜寝る前に月経カップの消毒をしておかないと。

学生時代は生理が今よりずっと重くてロキソニンが効かないほどの痛みに悩まされた。酷いと電車の中で貧血を起こしたり、ベッドから起きられないことがよくあった。そんな姿を見て、よく母に「社会人になったらどうするの?」と怒られた。好きで痛くて苦しんでるわけじゃないのに。
同時に生理中のときに満員電車に乗ってた時は、今自分の周りにいる男が全員、今すぐ生理痛に襲われて悶絶すればいいのにと思っていた。

月経カップとは、大学を卒業する数ヶ月前に出会った。ナプキンのむれが嫌いをどうにかしたかったのと、トイレに行くときにナプキンの入ったポーチを持って行きたくなかったから。
月経カップに移行してからは、替えのナプキンを持ち歩く必要もなくなったし、お風呂にも入れるようになった。しかも、月経カップを使う前とは比べものにならないくらい痛みが緩和された。
今では紙ナプキンも卒業し、布ナプキンとの合わせ技で毎月乗り切っている。
布ナプキンの方がふわっふわしてるし、お腹がまったく冷えない。洗濯するときは下着と同様に洗えばいいからゴミも出ないし経済的。

最近、紙ナプキンのCMに違和感を感じるようになってきた。出ているのは女子だけなのに、それを見ているのは老若男女。父親がいる前であのCMが流れると、なんがいたたまれない気持ちになる。
海外では月経カップが主流なのに、日本は紙ナプキンにしか重きを置いていない。
昔の女性はある程度、経血を膣に溜めてから一気に厠で流すのが一般的だった。それが今では赤ちゃん同様、小さなオムツをつけて垂れ流し状態が当たり前になった。その状態を疑問視する人は誰もいない。
生理用ナプキン大手のソフィとしては、月経カップが流行るのはおもしろく感じられないだろう。自社製品が売れなくなるリスクがあるのだから。

やっとこさLGBTに注目する人が増えてきた日本。日本人女性が月経カップを積極的に手にするのは何年後になるのだろう。

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