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適応障害とわたし@2020/5/26

昨夜noteの日記を19時に更新した後、無性にアルコールを摂取したくなった。とにかく大好きなレモンサワーが飲みたい。月曜日の夜から酒なんて…と思ったけれど、飲みたくてしょうがない。頭の中は酒、酒、酒でいっぱい。
気がついたら父専用に箱買いされてあるストロングゼロの箱から1缶くすねていた。
でも、冷えてない状態で飲んでもおいしくない。なので冷蔵庫で冷やし、晩ご飯前のお風呂あがりに飲むことにした。

わたしは頻繁に酒を飲む方じゃない。正月やクリスマスなどのイベントごとや、会社で強制参加の飲み会の時くらいしか自発的に飲まない。
でもアルコールに弱いわけではない。顔が赤くなるだけ。どんなに飲んでも次の日はけろっとしてるし、二日酔いで吐いたりしたことはない。(さすがに会社の納会で日本酒やウォッカ、ハイボール、ワインをちゃんぽんして帰宅した後、風呂場の浴槽でウンウンうなされはしたけれど)

でも昨日はなぜか無性に飲みたい気分だった。お風呂から上がって手短に髪をドライヤーで乾かした後、冷やしていたストロングゼロを片手に自室にこもった。
電気もつけず、机に腰かけて窓の外を眺めながらストロングゼロを楽しんだ。
レモンサワーは最高だ。炭酸のシュワシュワ感、レモンの爽やかな酸味と甘み、ウォッカのキレがありつつもフワッとくる感覚が五臓六腑に染みわたる。あぁ、幸せ。たまらない。
少し開けた窓から入ってくる風がすこし肌寒かったけど、アルコールで火照った体には心地よかった。
晩ご飯前に、しかも月曜日の夜にひとり晩酌。親友とおしゃべりしながら飲むのも好きだが、たまにこうして飲むのもいいかもしれない。

そして一夜明けた今朝。酒と睡眠導入剤のおかげか、昨夜は夜中に一度も目が覚めなかった。久しぶりにぐっすり眠れた気がする。
そのかわり、酒焼けした喉とジンジンとした頭痛に見舞われながら朝日とともに目を覚ました。
あぁ、やっぱり空きっ腹で飲むんじゃなかった。ヒリついた喉を和らげるために水をがぶ飲みした後、頭痛から逃げたくて二度寝した。

7時前に再び目を覚ました。酒焼けは消えたけれど、あいかわらず頭痛は残っていた。
今日も仕事だ。二日酔いの頭痛に負けてなどいられない。羽毛布団を剥いで、着ていた甚平とTシャツを脱ぎ捨てた。昨日も暑かったけれど、今日はジメジメしてるし蒸し暑さが気になる。

その後、朝のストレッチをしてもプロテインを飲んでも、頭痛が和らぐことはなかった。
むしろ、仕事中にパソコンをずっと見ているせいで眼精疲労も加わり、さらに痛みが悪化した。
お昼休憩まであと20分。さすがに耐えきれなくなって頭痛薬を飲んでベッドに横になる。
昼休憩になった瞬間、急いで昼休憩に入る旨をチャットに投げた。
さすがに空きっ腹で頭痛薬を飲んでも効果はない。なので、たまたま台所でバナナをむしゃむしゃ食べていた妹から一房バナナをぶん取り、一気に腹に流し込んだ。
頼む、昼休憩が終わるまでに治ってくれと祈りつつ、また自室のベッドに横になった。

以前、頭痛薬を飲んで逆にひどい目眩と吐き気と腹痛に襲われたことがあった。それ以来、頭痛薬を飲むのが怖くなってしまい、薬は心療内科から処方されてる抑うつ剤と精神安定剤だけ飲むようにしていた。
でも今日の頭痛は頸椎まで痛みが広がっていくような辛さで、とても耐えられるような痛みじゃなかった。

この前、上司に「いろんな案件の仕事に行ったり来たりしてるのがメンタル的にも体力的にも辛いから勘弁してくれ」と正直に文句を言った。あくまでゆっくりと困ったような口調を意識しながら。すると、当面はひとつの案件の資料作りに集中するよう指示された。ダメ元でも文句は言ってみるもんだなぁと思った。
そもそも少人数でありえない数の案件を抱え込むから仕事は滞るし、残業も減らないんじゃないのか?
…と大口でも叩いてやりたかったけれど、そこはぐっと我慢した。一応、復職訓練でお給金ももらってる身だし、会社を愚弄する気はない。わたしはただのOLという立場が嫌なだけだ。

話はひとり晩酌していた昨夜に時を戻そう(なぜかぺこぱ風)。
真っ暗闇の窓辺で心地よいひとり晩酌を楽しんだ後、ちょうど夕食の時間になった。少しへべれけ状態で1階のダイニングへ夕食を食べに下りた。空になったストロングゼロを空き缶置き場に置くと、母に「飲んだの?」と言われた。飲んだの?ってなんだ。あなた先日、父が缶の酒を飲むペースが落ちてきてるから飲んでもいいよって言ったばっかじゃないか。
母の言葉にムッとしながら自分の夕食のお盆に手をつけると、母がわたしの顔をのぞき込んできた。なんなんだ一体…と鬱陶しく思いながら夕食に手をつけようとした瞬間、「ピアス増えた?」と言われた。味噌汁のお椀に口をつけようとした手がピタッと止まった。

急いで髪の毛を直す風を装って軟骨ピアスを隠す。ヤバい。この前ベリーショートにしたから隠す髪の毛の量が足りない。無言は肯定と取られるので「気のせいでしょ」と返す。それに対し母は「うっそだぁ!」とまたインダストリアル側をのぞき込んでくる。「増やしてないって!」とムキになって答えると、母は「marina*ちゃんが壊れていく…!」となんとも言えない表情でボソッと呟いた。ちゃん付けで呼ぶな。あとわたしは壊れてないし、壊れない。

どうしてピアスを増やすことがネガティブ要素に繋がるのか?
よく「親からもらった体に傷をつけるなんて…」という人がいるが、じゃああんたは手術しなきゃいけない体になった時に「親にもらった体に傷をつけるな!」と医者に抗議するのか?しないだろうが。
そりゃわたしも高校生まではコンタクトもピアスもしないと言い張ってた。「目に異物を入れるのが怖い」とか「穴開けるのが怖い」とか親友や妹にこぼしていた。
それから数年後の今。コンタクトはしてるし、ピアスも6つ開いてるし、ヘアカラーもネイルもしてる。たぶん縁を切った高校時代の友人に今の自分を見せたら「誰!?」と言われるだろう。
なぜ、あんなに嫌がってたコンタクトやピアスをするようになったか?理由なんてひとつしかない。死ぬまでにやりたいことだったから。

よくSNSでは「陰キャが陽キャになろうとすると必ず容姿をガラリと変える」とか「明るくなりたいなら中身を変えろ」と非難する人が一定数いる。
これだけ言わせていただきたい。私たちはあんたらの機嫌を取るために生きてるんじゃない。他人の人生にケチをつけるな。
自分が着たい服を着て、お気に入りのアクセサリーを身につけて、自分好みの見た目で生きて何が悪い?

陰キャだとか陽キャだとか、塩顔男子とか肉食系女子とか、この国はやたらと人々をおかしなカテゴリーで分けたがる。一体なにが楽しいのだろうか?なにがおもしろいのだろうか?なにを満たしたいのだろうか?
確かに、人をカテゴリー分けした方が瞬時に特徴が分かるし、お互いの話もスムーズに進むかもしれない。
だが、それは悪い言い方をすれば「差別」なんじゃないのか?

同じ日本という国で、同じ人間の姿で生まれたのに、なぜか顔や容姿、性格、果ては職業で人をカテゴライズする。なのに、そういう人に限ってなぜか「平等」を過剰なまでに求める。なんか狂ってない?

わたしは人生初の心療内科で「適応障害です。重度の抑うつ状態でもあります」と言われた。
その瞬間「あぁ、わたしは今日から”健常者”から”障害者”になってしまったんだな」と思った。社会不適合者で、仕事もできない障害を持った人間。
でも、よーく考えてみなよ。
健常者だろうが障害者だろうが、陰キャや陽キャだろうが、みんな人間として生きてることに違いはない。ただ、生き方がそれぞれ違うだけの話。

自分の人生は自分の責任。
どんな性格でどんな容姿でどんな生き方をしようが、最後の最後に責任をとって死ぬのは自分だけだ。
他人の機嫌や評価を気にしながら自分のやりたいことを諦めて悲しみに暮れながら死ぬか。やりたいことを思いきり楽しんで最高の時間を過ごして笑顔で死ぬか。

わたしは最高に幸せそうな死顔で死んでいきたい。
それこそ、死化粧さえ必要ないくらいに。

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