適応障害とわたし@2020/4/14

「…〜〜だよね〜」「あれは〇〇じゃない?」
また始まった。夜中の妹の電話。

この前、夜に電話するなら防音室でやれと注意して「そりゃすいませんでした〜」と言われた。
その場でブン殴ってやろうかと思った。

なのに昨日の深夜。ヤツはまた隣の部屋で電話をしていた。おかげで夜中に目が覚めてしまい、案の定眠れなくなった。
電話今すぐやめてほしくて、うなされてる風を装いながら「うるさいー!!」とうめき声を上げた。でも激しい話し声はその後も止むことがなかった。

今朝は6:45に起床。寝不足で頭は痛いし薬を飲んでも寝汗や中途覚醒は治らないし、もうお手上げ状態だ。
しかも、朝食がわりのプロテインは激マズで一口しか飲めなかった。
朝食を準備する気も起きなかったので、カカオ72%のブラックサンダーを2つ食べて終わりにした。

心療内科に出かける前、妹にメールを送った。もちろん夜の電話を止めてもらうための内容。
家にいるんだったら家事のひとつやふたつくらいしろと思う。ここはお前だけの城じゃないっつーの。

手伝えと言えば「うるさいなー」とか「お姉ちゃんがやればいいじゃん」と文句を言い出す始末。
普段、家のこと何もやらない汚部屋人間の分際で、いったい何をふざけた言葉を抜かしているのだろうか。

こんな奴が自分の妹だということに本当に反吐が出る。虫唾が走る。何もかも認めたくない。

心療内科では、緊急事態宣言によって家族が家にいる時間が増えたことで、自分の生活パターンや習慣が乱されているように感じることと、これがストレスになって不眠や強い不安感に襲われていることを相談した。

心療内科の先生によると、意識が家族にひっぱられて気持ちを自分で落ち着けられないからだと分かった。

確かに、わたしが階段を上がってる時に部屋から出てきた家族と遭遇すると「なんでこのタイミングで出てくるの!?」と感じたり、クチャラーな父とスマホばかり見て食事に集中しない妹と食事を取るのが苦痛に感じるようになった。
なので最近は自分の部屋で食事をとったり、父と妹が夕食を食べている時は、先にお風呂を入るようにしている。
一番煩わしいと感じるのは朝の台所。
決まってわたしが朝起きて台所に行くと、家族がぞろぞろと一斉に台所に集まってくる。
わたしを目覚まし代わりにするな。
わたしが朝食の用意をしてる時に台所にくるな。ただでさえ狭い台所なのに近づいてくるな、邪魔。

とりあえず、今回は就寝前に飲んでいる気持ちを落ち着ける薬の数を増やしてもらって様子を見ることになった。
コロナで外出するなと会社からも命令されたし、処方箋に行くたびに毎回ぺちゃくちゃしゃべってる年寄りの姿を見たくないので、今回はゴールデンウィーク明けまでの薬を出してもらった。

処方箋をもらいに、いつもの薬局に寄ると年寄りの客であふれていた。
わたしが店に来た瞬間、年寄りたちが一斉に「うわ、また客が増えたよ…」みたいな目線を送ってきたが、「それはこっちのセリフだっつーの!!!」と心の中でめちゃくちゃ叫んだ。

しかも座った場所が最悪だった。大声でぺちゃくちゃ話す年寄り夫婦の隣でさらにストレスが溜まった。
しかも、わざわざ立ち上がって店員に「坐骨神経が痛くてね〜」とかなんとか話し始めた。
いや、足が痛いなら家にいろよ!!!叫び声が喉元まで出かけた。
「外出自粛といっても体は動かさないとね〜」とか理由つけて駅まで散歩しにくるな。年寄りに対する「外出自粛要請」は「外出禁止」と同義だろうが。
なぜそんなことも自分で考えられないのか。薬局にいるのになぜか頭が痛くなった。

約40分も待たされ、やっと自分の番がきた。
薬の数を薬剤師さんと確認したが、約1ヶ月分の薬の量は尋常じゃなかった。

一瞬「これならODするのに十分な量だな」と思った。けれど、すぐに「また体がバグった感覚を味わいたいのか?バカな考えはやめろ」と自分を責めた。
たぶん、ODしたら家族から全力で心配してもらえるし、愛されてる感覚を心体ともに得られるかもしれないと思ったからかもしれない。
そんな未来が実現するかどうかの保証もないのに。

帰りに成城石井でお昼ご飯のフォーとカカオ80%の板チョコを買って帰った。
板チョコは朝食がわりのプロテインのお供用。さすがに無味のプロテインだけは口と胃が虚しすぎた。カカオ80%なら朝食がわりにもなるだろう。何の効果があるかも知らないし、朝食がわりにしていいかどうか知らないけど。

とりあえず、朝食を作る手間をとりたくない。もう茶碗にご飯をよそって納豆をかき混ぜる動作すらもめんどくさい。
週末に母と食材の買い物に行って、半日かけて1週間分の作り置きをしていた自分はどこかに消えた。きっと適応障害とパワハラ女性リーダーの暴言によって奪われたんだろうな。

家に帰って買ってきたフォーを食べてから、中川家のラジオを聴きながら久しぶりに体を動かした。
押し入れに眠ってたヨガマットを広げて、ヨガベルトで足の筋肉を伸ばしたり、股関節を柔らかくする体操などした。
薬局にいた老いぼれ夫婦どもに体力で負けてたまるか。謎の対抗心を原動力に、めちゃくちゃストレッチした。
まぁ、年齢的に先に死ぬのはあっちの方だけど。

久しぶりにストレッチや腹筋、腕立て伏せなどしたことで血行が良くなったのか、凝り固まってた肩や脇がなんとなく軽くなった。
ストレッチをやり始めた時は、膝や腰、背骨がバキボキ鳴りまくった。
看護師の親友に肩もみをお願いしたら確実に「これ岩やん」と言われるだろうな、と思った。

わたしのただ1人の親友は看護師だ。
今の状況からして、親友の勤める病院もパニックになっているだろう。
会うこともできないし、忙しいだろうから気軽に電話もできない。
わたしにできるのは、親友が心と体を壊さず生活ができていることを祈るだけ。
たった1人の大事な親友だから、絶対に失いたくない。
そう思ってしまうのは、本当はひとりぼっちになりたくないという身勝手な欲からくるエゴだろうか?
何にせよ、心体ともに毎日無事に生きていることを願うばかりだ。

何かしてないとネガティブなことを次から次へと考えてしまうので、読書することにした。
今日の本は、アダム・グラントの「GIVE&TAKE 与える人こそ成功する時代」。
誰かに価値を与えられる人間になりたくてGoogleで「価値を与える人になる方法」と検索をかけたら出てきた。あとDaiGoさんがYouTubeの動画内でオススメしていたのもあったので、読んでみることにした。

世の中にはgiver(与える人)、taker(受けとる人)matcher(相手と自分の利益を五分五分にする人)に分けられるとのこと。
そして、一番成功しやすいのも損害を受けやすいのもgiverだという。
「与えよ、さらば与えられん」の言葉は分かる。でも、こと仕事になると人間はtaker寄りになってしまう。
この本を読んで、果たしてわたしは「与える人」になれるかどうかは分からないし、本の中でも保証しないと言われた。
でも、読んだ後に自分の思考を変えるきっかけにはなる。

適応障害になる前も後もずーーっと「会社員なんて辞めたい」と何度も考えてきたし、日記でも書きまくってきた。
でも、「じゃあ会社員を辞めて自分は何になりたいの?」と聞かれた時の答えがまったく見つからなかった。
お金持ちになりたいのか?
起業して社長になりたいのか?
プロのブロガーを目指したいのか?
本を出版したいのか?
SNSで有名になりたいのか?
どれも実際になってみたい思ったし、実際に夢でその姿を何度も見たこともあった。
けれど、全部いまの自分が欲してやまない姿とはイマイチ違っていて、そのままズルズルと「自分のなりたい姿も分からないのに、自分には生きている意味なんてないんじゃないの?」とマイナス思考に飲み込まれていった。

おまけに適応障害になったことで周囲の人々を振り回してる自分が憎くて仕方がなかった。
情けなくて、申し訳なくて、毎晩心の底から「こんな人間が生きててごめんなさい」と思いながら眠りについていた。

moonの世界でラブを集めるたびに、自分も誰かを愛して誰かに愛される存在になりたいと思うようになった。
同時に、愛に限らず「価値」を与えられる人になりたいと切望するようになった。

外出自粛とテレワークで時間がある今を利用して、少しでも自分が与えられる価値とは何かに気づきたい。

受けとる人間から与える人間にシフトしたい。
いや、変わらなくちゃいけないんだ。
他人は変えられないけど、自分を変えることはできるんだから。

それでは、また明日。

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