適応障害とわたし@2020/3/30

5:30に目が覚めた。スマホのアラームをスヌーズ。
5:45に目が覚めた。スマホのアラームをを再スヌーズ。ラジコで東京FMを流しておく。

7:30。ハッと目を覚ました。
わたしが見覚えのない知らない人と結婚式を挙げる夢。たぶん昨日Twitterで結婚式のつぶやきをしたせいかもしれない。でもウエディングドレスは着てなかった。残念。そこで目が覚めた。

今日からテレワークになったから、出かける準備をしなくて楽だ。のんびり朝ごはんを食べられて幸せだった。
今日の朝ごはんは、昨日の残りのシチューとロールパン2つ、ヨーグルトと野菜ジュース。ゆっくり味わいながら食べた。

朝から母はニュースを見て激怒していた。主に老人に対して。
「不要不急の外出は控えろ」と言ってるのに近所の老人たちが朝はやくからスーパーに並んだり、カートいっぱいに買い占めをするのをやめてほしいと嘆いていた。
どうして老人たちは出歩くのか?不思議で仕方ない。
そんなに家にいることが耐えられないのだろうか?
そんなに井戸端会議が命より大事なのだろうか?

近所には迷惑な老人であふれてるんだな、と呆れながら会社用のノートPCに電源を入れた。
9時からビデオ会議なので、すぐに参加できるように。
ちゃんと話せるか心配で仕方ない。話せなかったらもう開き直ろう。

10時。問題なく話せた。特にトラブルもなく。
ただハウリングがすごすぎて、自分の声がちゃんと相手に聞こえてるか不安になった。

それからは、淡々と作業をこなした。たぶん会社にいるよりダカダカ、カチカチとキーボードとマウスを酷使してた気がする。もう頭の中が「無」だった。
周囲を気にしなくていい。好きなときに飲み物を台所に取りに行っていい。会議中は顔を見せなくていい。
テレワーク最高。

もうこれからずっとテレワークになればいいのにと思いながら、お昼の納豆ごはんを食べる。

でもわたしの場合、集中しすぎてトイレ休憩すら忘れることもあるから気をつけないと。
適応障害になったのも、ずっと作業ばかりで休憩をロクに取らなかったのが原因のひとつ。

別に家に会社の人がいるわけじゃないんだから、疲れたらスマホだっていじってもいいんだ。会社ではできなかったけど、家ならできる。もっと気楽に仕事しよう。別に緊急の仕事抱えてる身じゃないんだから。

結局、午後の作業もほとんど「無」の境地でダカダカ作業をすすめた。読みたい本やTwitterを観るのもトイレに行くのも忘れて、頭に浮かんだ作業をすぐにこなした。おかげで首と肩の骨がゴキゴキいってる。

でも家にいながら仕事ができるようになって、「自分はちゃんと必要とされてる」と感じられるようになったかもしれない。本当にほんの少しだけど。
それは多分、ビデオ通話なりチャットなりに参加することで、嫌でも人とコミュニケーションをとってるからだと思う。

会社で仕事をしていた時は、誰かに話しかけられなければ会話なんてしなかった。
ひどい時は「おはようございます」と「お先に失礼します」しか言わない日が何度もあった。

でもチャットでなら自分から気軽に声をかけることができる。返事も早いからモヤモヤすることもない。不安と緊張ばかりだったけど、テレワーク初日は最高だった。

このままテレワークの状態がずっと続けばいいのに。
Twitterで志村けんさんの死去を知った時、真っ先にそう思った。
国民はドリフの大スターの死去を、どう捉えたんだろう?これからどう動くんだろう?ファンの人たちは今、どんな気持ちでいるんだろう?
「まさか」と思うか「やっぱり」と思うかで、悲しみの深さも変わるだろう。

湿った気分を振り払いたくて、明日の心療内科のことを考える。
明日こそ、コミュ障やら電車が怖いやらの相談をしなきゃ。不眠の問題で1440円も払いたくない。睡眠薬だけで2400円も払いたくない。
有名なメンタルクリニックを選択したのを少しだけ後悔した。だって電車代までかかるんだもの。

コロナが蔓延している中、外に出たくないのに今週に限って外に出る用事が多すぎる。心療内科に健康診断。それに美容院。

でもよくよく考えたら美容院に行くなら今しかない気がする。ロックダウンがどうたらこうたら言い始めてるし。個人的にははやくプリン状態の髪をはやく明るくしたい。
たぶんいつもの美容師さんにピアスのこと言われるだろうなぁ。場所が場所だからなおさらだ。どうか母の耳に入りませんように。それか席をめっちゃ離してもらえますように。

なんだか今日はすごい頭を使った気がする。頭と首がすごく重い。ずっと座ってたからだろうな。

ふと外を見たら、昨日の雪なんて少しも残ってなかった。昨日の寒さはどこへやら。
母親が毎日「地球が怒ってるんだ」と騒いでる。確証はないけれど、その意見には少しだけ賛同できる気がする。

就職活動が箸にも棒にもかからなかった6月。大本命だった会社からの御祈りメールを受け取った次の日に、最寄駅でよく当たると評判の占いをうけた。仕事運で3000円。
白い顎ひげをたくわえたおじいさんに「腎臓が弱いから気をつけなさい」と言われた。あと戦争株を買っておきなさいと念を押された。

結局、未だに戦争株は買っていない。でも、腎臓に気をつけろと言われたことは今でも信じてる。
肺炎にかかると言われたわけじゃないから、わたしはコロナで死ぬことはないんだろうなと勝手に思っている。

でも、もし明日でかけた時にコロナをもらってきちゃったら?健康診断中に誰かからコロナをもらってきちゃったら?
その時は、そういう運命だったんだと受け入れるしかない。わたしの人生はここまでだったんだ。やりたいことはたくさんあったけど、そこまで生きるべきではなかったんだと諦めるしかない。

誰かの訃報をきっかけに自分の寿命を推し測るなんて、我ながら不謹慎にもほどがある。
でも、現実は「明日が我が身」の世界。

『100日後に死ぬワニ』見ている側の人間は、ワニが死ぬ日を分かってる。でも自分が死ぬ日は分からない。

もし見知らぬ人から「あなた、明日死にますよ」と告げられたら、人間はどう感じるんだろう?悲しみ?怒り?憎しみ?それとも嬉しさ?
そんなの考えたところで分からないし、考えても仕方がない。考えても仕方ないことでエネルギーを使うもんじゃないな。

ひとりで部屋にいるといろいろ考えてしまうから、母の部屋で過ごすことにした。
今日はもうコロナのことで深追い思考するのはやめよう。
次のネイルをどんなデザインにするか考えよう。この前はシンプルなデザインだったから、今度はキラキラして派手なデザインにしてもらおう。

無理やりにでも楽しいことを考えよう。そうすれば今日もぐっすり眠れるはずだから。

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