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適応障害とわたし@2020/5/20

寒い。布団の中が寒い、寒すぎる。どうしよう、布団から出られない。左手の小指がいつもより痛む。
スマホのアラームを止めた後にradikoを起動させて、暖を逃さないよう念入りに布団に包まる。
時刻はまだ5:30。ワンモーニングまで時間もあるし、今日は仕事が休みの日。二度寝したって誰にも文句を言われないことが分かってるから、もう少しだけ惰眠をむさぼることにした。

「時刻は、7時20分です」。ザベスさんの時報でパチっと目を覚ました。
プロテイン。そうだ、プロテイン!今日からプロテインが飲める!さっきの眠気はどこへやら、プロテインが飲める喜びを原動力に布団からガバッと飛び出る。やった!やった!プロテイン!てか寒ッ!!
全身鳥肌が立つくらい寒かった。カーテンを開けると、昨日よりどんよりとした曇り空。

でも今のわたしには天気を気にしてる暇などない。顔を洗ってから、昨日届いたばかりのプロテインの準備をする。シェーカーに専用スプーン1杯のプロテインを入れる。いつも通り水で溶かそうと思ったけれど、冷蔵庫に牛乳が大量に余ってたので、最初は牛乳で溶かして飲むことにした。
自室に戻ってヨガマットを広げ、朝のストレッチタイム。今日はいつもより張り切って臨んだ。腹筋、腕立て伏せ、背筋を70回ずつ。そしてスクワットを30回。股関節伸ばしと足首ストレッチ。もう体がポカポカになるどころか、ヘトヘトになるくらいまでこなした。

そして、やってきたプロテインタイム。
シェーカーを念入りに振る。ダマができてると飲みにくいし咽せるからね。
キャップを開けてひと口飲む。その時、口と胃の中に衝撃が走った。
お、おいしい…美味しすぎる!!!なんだこれは?!
本当にプロテインなのか?!と疑ってしまうくらいの美味しさ。
抹茶味と書いてあるけど、そんなに抹茶抹茶してない。メインの原材料であるエンドウ豆のうまみが広がった後に、抹茶の深みのある甘さとまろやかさが口の中を支配する。
しかも飲み終わった後は適度に胃の中が満たされて、この一杯だけで十分な満腹感に包まれた。
だめだ、もうわたしはanomaプロテインの虜になってしまった。もう他のプロテイン飲めない。
以前の激マズプロテインよ、永久にさよならバイバイ。

プロテインの満腹感にひたりながら、今日やるべきことを考える。
まず午前中は病院へ行って尿検査を受けないといけない。その後はラジオ用マイクのテスト。そしてペンタブの練習。で、余裕があったら本を読む。
とりあえずやることが決まったので、すぐ出かけられように支度する。なんだか外が寒そうだったので、久しぶりにシルクの腹巻パンツを履いた。これで寒さ対策はばっちり。
健康診断の結果と紹介状、診察券と保険証とお薬手帳を入れたクリアファイルをトートバッグに突っ込む。
あー、年寄りばっかの病院行きたくない。準備万端のトートバッグを机に置き、ベッドに寝転がって悶々と過ごす。

健康診断で見事に引っかかった。しかも尿検査。
原因は何なのか全く心当たりがない。ぶっちゃけ面倒くさいし、これ以上、体に異常が見つかってほしくない。でも再検査してないことがバレると後で社長にドヤされる。それは絶対イヤだ。もうあんまり体調のことで社長と関わり合いを持ちたくない。ていうか話したくない。なので大方は自分の保身のために行くことにした。

10時くらいに家から15分ほどの場所にある病院に向かう。あぁ、やっぱり。待合室は年寄りばっかり。しかも、ほとんどジジババが席を占領してるので、全く座る席が見つからない。毎朝何しに来てんだよこいつら。病院に行く元気があるならStay Homeしてやがれ、と本当に言いたくなる。

自分の番がやってきて、いろいろ問診を受ける。腎臓が痛いとかは?家族に腎臓の病気になった人いる?生理はきてた?激しい運動してた?すべての質問に対して「無いです」と答える。だーってほんとうに心当たりないんだもん!
念のためお薬手帳も見せる。抑うつの薬を飲んでいるので、薬の影響もあるかもと思ったから。本当は適応障害のことは話したくなかった。なんか色々言われそうで怖かったし。でも先生からは「あー、たまに薬の効き目が出ちゃうこともあるからねー」と言われただけだった。思わずホッとした。
とりあえず、すぐに尿検査を受けることになり、ついでに超音波で腎臓の様子を見ることになった。

トイレに入ってから、ふと超音波検査のことを思い出す。超音波って、たしか看護師さんにお腹を見せてセンサーみたいなやつでグルグルされるんだよね…?
そこでハッとなる。やばい!シルクの腹巻パンツ!しかも色がつつじ色!見られたら恥ずかしくて死ぬ!
あわててトイレの個室で腹巻パンツを脱いでトートバッグに突っ込んだ。ぎりぎりセーフ。
尿検査を提出した後、すぐ看護師のお姉さんに超音波で呼ばれた。ベッドに横たわると、すぐお姉さんに服を胸から骨盤あたりまでガバッとさらされた。腹巻パンツ脱いでおいて助かった〜…
案の定、何回かセンサーみたいな棒でグルグルされた。左右の脇腹を念入りに。ややあって、もう1人のお姉さんが「いいんじゃない?」と言った。検査してたお姉さんはコクっとうなづいた。
そのお姉さんのやり取りで、わたしの脳内は混乱に陥った。「え?何?何がいいの?検査終了の合図?何も異常なし?ねぇ!ねぇってば?!」
お姉さんに「はい、お疲れ様でした〜」と優しく言われるが、結果が気になって仕方ない。たぶん検査室を出る時、口がもつれて「ありがとうございました」がちゃんと言えてなかった気がする。

それから約20分後、さっきの先生に呼ばれた。
診断結果は、異常なし。尿検査も正常範囲で、超音波に映る腎臓もきれいな状態だった。
なんだか張り詰めていた糸が切れたかのように「はぁ…よかったです…」と情けない声が出た。
先生によれば、尿検査は生理現象で値がごくたまーに高く出てしまうことがあるそう。うわっ、なんてはた迷惑な。しかも健康診断の日に限って!
「特に異常も問題も見られないんで、これで終わりでーす」と言われたので、深々とお礼を言って診察室を後にした。
その後、会計の番が回ってくるまで2、30分待たされ、約3500円くらい払わされた。今月でたぶん1万円くらい医療費に費やしてる。ヒーーーッ!はやく給付金の10万円届いてくれーーー!

とは言え、腎臓に何も異常が見つからず終了してよかった。占い師のおじいさん、腎臓なんともなかったよ。まぁ、これから腎臓には少し気を配るよう心がけよう。

家に帰ると、ちょうど12時を過ぎたころだった。少しだけ食欲があったので、マグヌードル(和風だし)にとろろ昆布を入れて食べた。最近、昼食が細くなってるから、これくらいがちょうどいい。
会社に出社するようになったらどう乗り切ろう?もうプロテイン持ってくか。母にお弁当作らせるのも申し訳ないし。おにぎりとプロテイン持参しよう。

午後は予定通り、ラジオ用マイクのテストをした。ノイズは入ってないか?きれいに声が聞こえるか?試しに本番を想定したセットでテスト録音してみた。
うん、きれいに聞こえる。…だけど思ったより声高いなわたし?!よく自分の声は骨伝導で聞こえるから低めに聞こえると言うが、録音した自分の声があまりにも高くて、いつも聞いてる妹の声そっくりでびっくりした(姉妹だから当たり前だけど)。
果たしてリスナーはどんな印象を抱くのか?ちょっとそこが心配になってきた。
(※ラジオ参加予定の方は、ひょろっひょろでそこそこ身長のある赤茶ショートヘアで、ピアス6つバチバチに開いてる甚平と羽織りを着たOLの姿を想像しながらお聴きください。)

マイクテストが無事終わったので、スカイロケットカンパニーが始まるまでペンタブの練習に勤しんだ。
この前までネガクイちゃんばっかり描いてたけど、そろそろ好きなキャラクターとか描けるようになりたい。
とりあえず、ポーズ素材をひたすらなぞって人体を描く練習をした。これが思いのほか楽しい。好きなキャラクターのこういうポーズ見てみたいなーと考えながらやっていると、勝手に脳内でその図が再現される。仕事や会社の人のことを一切考えなくて済むし、脳?の保養になる。あまり長く続けてると眼精疲労になってしまうので、ほどほどの所でやめた。

そういえば、読もうと思っていたけれど、なかなか忙しくて読めていなかった五木寛之氏の「大河の一滴」をKindleで読むことにした。
先々週の土曜日に「世界一受けたい授業」の番組内で紹介されていたのをきっかけに読もうと決意した。
番組では、コロナの影響で苦しい時代を生きていくためには?というテーマで紹介されていた。
その時は「興味深い。さっそく読んでみよう」とは何となく思えなかった。
でも、試しにKindleの試し読みで冒頭部を読んでいて驚いた。それは、作者が人生で自殺を考えたことが2回あるという点だった。しかも、どちらもかなり真剣に具体的な方法を研究するほど。その話の後、作者は語る。

ひょいと気軽に道路の白線を飛び越えるように、人は日常生活を投げ出すこともありえないことではない。
引用:五木寛之「大河の一滴」

この一文を読んだ後、すぐにKindle版で購入した。
なぜか?正直、わたしにもよく分からない。
でも、何だかこの本は生きづらさを感じてる人に向けた本のような気がした。辛く苦しい気持ちで生きてる人の思考や感情を否定しないでくれる本だと思った。

最近は「瞑想でマインドフルネスを身につけましょう!」とか「自己肯定感を高めましょう!」とか「マイナス思考やネガティブに捉えちゃダメですよ!」が常套句の本で溢れかえっている。
別にポジティブ思考や瞑想などを真っ向から否定したいわけじゃない。だが人に感情がある以上、どうしたってネガティブから抜け出せない人だっている。そんな人に「考え方を変えてみましょう!」と言うのは烏滸がましいにも程がある。考え方を変えるか否かは当人に委ねられているはずなのに。

コロナに負けずに頑張りましょう!と言ってくれる人がいるのはありがたい。わたしにはどうしても口にできないから。
だけど、その言葉は果たして本心から出てきた言葉なのだろうか?その人の言葉が信じられないということじゃない。偽善者だと言いたいんじゃない。無理にプラスな言葉を口にするほうが辛くない?と思ってしまうのだ。

アナウンサーやタレント、アイドルにバンド、歌手やYouTuberたち。誰もが口をそろえて「コロナに負けるな!」と画面の向こう側にいる人々にエールを送る。
そろそろ疲れてきませんか?心に無理矢理とりつけたプラス思考の鎧、もう外してもいいんじゃないですか?

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