適応障害とわたし@2020/4/11

6時半に目が覚めた。
昨日の激しい頭痛と腹痛は大分おさまった。けれど、吐き気が完全になくなったような気がしない。目が覚めれば空腹感がやってくるのに、なんだか胃のあたりがモヤモヤしてしょうがない。

とりあえず、今日は土曜日だし早起きする気にもなれなかった(早起きして読書する習慣は何処へやら)ので、二度寝することにした。

次に目が覚めたのが8時25分。
いつもなら起きて朝ごはんを食べてから、読書かプライムビデオを観てダラダラ過ごす。
でも、なかなか胃のモヤモヤが消えなくて、布団に包まりながら悶々として過ごしていた。

目を閉じたら眠れるかと思ったけれど、さすがに二度寝のあとは脳が覚醒モードに入ってるせいか、眠ろうにも眠れなかった。

人間とは不思議でおもしろい生き物で、目を閉じて寝転んでいても、頭の中では色んな思考が飛び交っている。

あれだけ早起きして読書する習慣をつけようと意気込んだのに、1日しか達成できない自分が情けなくなった。
昨日は上司から資料の完成日を急かされ、挙句、仕事中に開発環境を自力で整えることができなかった。さらには上司に「時間がもったいないから解決しなかったらチャットで呼んでくれ」とお小言を言われた。
けれど、体調は最高に最悪だし、助けを求めようとメッセージを投げようとしたら他の社員と打ち合わせを始めてしまったし、もうどうしていいか分からなくなった。

そもそも休職明けで開発作業は苦しいと伝えていたはず。適応障害になったのも、技術と知識不足なのに、やたら複雑なシステムを作れと指示されたのが原因だった。
なのに何故わたしは今、必死に開発に必要なアプリを片っ端からインストールして、開発中のソースコードを読んでいるんだ?
これじゃ結局、適応障害になる前と何も変わらないじゃないか。

いや、まず前提として上司たちは、わたしが適応障害になった原因をちゃんと理解しているのか?
現場担当の上司は復帰する際に「社内の上司にちゃんと説明してあるから安心して」と笑顔で言っていたが、何をどのようにどうやって伝えたのか全く知らない。
これは間違いなく理解のギャップが生じている。どうなんだこの状況は。

休日の朝から仕事や上司のことを考えて、ネガティブになりたくなかったのに、脳内では走馬灯のように昨日の仕事のことがフラッシュバックされる。

布団の中で動かずにいると、脳が宿主の意思とは関係なくネガティブなことを思い出させてくる。

ならば布団から出てしまえばいいと思い、ベッドから飛び起きた。
ついでにそのまま体重計に乗った。

何時ぞやに体重を計った時、あまりにも体重が落ちててスマホから「これ本当にあなたの体重ですか?」と聞かれて「それはこっちが聞きたいわボケ」とケンカした。
それが今朝、またしても起きた。
昨日は晩ご飯を何も食べてないから、おとといと大して変わらないだろうと思った。
おとといが46.85㎏。そして今日が43.65㎏。
松田優作じゃないが、体重計に乗りながら「なんじゃこりゃぁあ!!」と叫びそうになった。
なぜ2日で3キロ落ちるんだ???
おとといはダイエットどころか欲望に任せてチョコやらプリンやら食べたのに。体重計に対する信用が日に日に薄れてきている気がする。

とにかく胃に何か入れないと、また体重が落ちる。
お風呂に入るたびに骨の感触が分かるまでに痩せた胸元を触りたくない。
でも固形物を食べたら昨日のドリアのように逆流してきそうで怖かったので、牛乳に溶かしたプロテインを流し込んだ。プレーン味だから味がなくて全く美味しくない。
でも賞味期限が迫ってるし、はやく消費して味のあるプロテインを新しく買いたい。
そう思ったら、いい朝食がわりになるじゃないかと自分に言い聞かせ、しばらくの間は朝食プロテインを続けようと決意した。ボトルに入れて振るだけだから朝食の準備も楽になる。

無理矢理ポジティブに考えながら飲み終えたボトルを洗っていたら、母が買い物から帰ってきた。
「具合はどう?」と聞かれて胃のモヤモヤを話したら「摂食障害ってやつじゃないの?」と言われた。
母よ、これ以上わたしの体に障害名を増やさないでくれ。
側弯症。適応障害(抑うつ症状あり)。ここに摂食障害が追加されたら、本当にどうしようもない人間が出来上がってしまう。ただでさえコミュ障にも悩まされてるのに。
体力面も精神面も不健康な人間が、果たしてこの先まともに生きていけるのか?
一瞬ポジティブになりかけた頭が一気にネガティブな沼に落とされた。

何かしてないとネガティブになってしまう。そう思って日差しのある内ベランダで読書することにした。
もう桜も散り始めて4月も中旬になるのに、家の中は寒い。
でも晴れた日に内ベランダは、暖かい日が差して気持ちがいい。おかげでセロトニン増し増しだ。

ついでにそのままmoonの続きを進めることにした。「ラブ」を集めるのは意外と難しいけれど、集めたら集めただけ「ネカ(お金みたいなもの)」がもらえるので達成感が味わえる。
人の頼みごとを叶えたり、死んだモンスターのソウルを捕まえるだけでお金がもらえるなんて、どんなに優しくてやりがいの感じられる仕事なんだと思った。
同時に、現実世界で必死に生きてるのに体ばかり悪くなる一方で、何の生産性のない自分が惨めに思えてならなかった。これじゃ悲劇のヒロインぶってるのと変わらない。

自分の人生は自分の責任。
毎日毎日、自分に言い聞かせてきた言葉。だけど、そもそも自分の人生に意味を見いだせない時点でうずくまってる人はどうすればいいのか?
世で成功している人やSNSでたくさんのフォロワーに囲まれて生きる人は、どうやってたくさんの人に価値を与えられるようになったのか?

価値を与えられる人間になりたい。
そう思って24年間生きてきたはずなのに、誰にも価値を与えられていない。

Twitterやnoteには日々、イラストで自分の伝えたいことを表現している人がいる。視覚的に価値を与えられる人には、当然ながら人が集まる。

対する自分はどうか?
こんなダラダラとした日記を毎日飽きもせずアップし、何が「価値を与えられる人間になりたい」だ。わがままにも程がある。

もし一度だけ神様に会えて、ひとつだけ質問できるとしたら?
おそらく「なぜわたしはまともに生きられないんですか?」と聞くだろう。
それか「わたしはいつどこで死ねますか?」と聞くかもしれない。

価値を与えられる人間になりたい。
誰かの「ラブ」が欲しい。愛がほしい。誰かを愛して誰かに愛されたい。

そう願ってしまうのは間違ってるだろうか?
いや、誰もが当たり前に持っている願望のひとつに違いない。できれば、そうであってほしい。

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