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適応障害とわたし@2020/5/25

夜中にぼんやりと目を覚ました。おそらく夜中の2時くらい。いつもの中途覚醒だ。もう慢性化してしまっていて、薬を飲んでも改善される兆しがない。あぁ、今月の通院の時に「まったく改善されません」と正直に言えばよかったなぁと後悔した。やっぱり心療内科の先生には包み隠さず状況説明したほうがいいなぁ。

真っ暗闇のベッドの中で後悔してもしょうがない。明日(というより今日)に備えて、再び眠ろうと布団をかけ直した。
けれど、一向に眠気はやってこない。それどころか、布団の中に熱気がこもって暑苦しい。なんで?甚平しか着てないはずなのに。不思議なことに体温がどんどん上がっていき、かけていた羽毛布団を剥いだ。
あつい、くるしい、ねむれない、どうしよう。頭の中が混乱して、どうしていいか分からない。
何度も寝返りを打ちなおして、どうにかこうにか眠ろうと試みる。でも眠れない。
「どうしよう、このまま眠れなかったら…」
あぁ、それだけは考えないようにしてたのに。眠れないことを不安に思うと、さらに寝付けなくなると分かっていたから、意識的に考えないようにしていた。だけど、無理だった。

結局、眠れたのかどうか分からない。ベッドに横たわりながらずーっと半目で過ごしていた記憶しかない。体は鉛のように重くてだるい。指一本も動かない。
「どうして疲れを癒すために寝ているのに疲労が溜まるんだ?」と疑問に思いながら、スマホで時間を確認した。時刻は5:20だった。
ここで起きても朝のzoom会議や仕事の最中に居眠りしてしまう。なので、ホットアイマスクをつけて二度寝した。

次に目が覚めたのは朝の7時ちょっと前。よかった、寝坊しなくて。と、安堵したのも束の間。ベッドから体が起こせない。はやくカーテン開けてストレッチタイムしたいのに。そう思っても、なかなか体を意識的に起こせない。
10分ほどかかって体をやっとの思いで起こした。原因はおそらく精神的なストレスだろうなぁ。今日は仕事の日だし、1週間の始まりの日。しかも世間では、今日から出勤再開の人もいるという。わたしの父も今日から出勤再開で6時半に家を出た。(満員電車が嫌なので早めの電車に乗るためらしい)

カーテンと窓を開けると太陽の光とともに、スーツを着た男性の姿が見えた。これから満員電車に揺られて会社に行くんだろうなぁ、と他人事のように思いつつ、朝のストレッチを始めた。
腹筋の最中、ラジオから緊急事態宣言解除のニュースが流れた。正直、気が気でなかった。だって、第2波のリスクも十分あるし、「気温が上がればウイルスが収束する」と説明する人もいるが、そもそもまだ夏でもないのにどこにそんな証拠があるの?

それに、緊急事態宣言が解除されたら会社への出社訓練も再開になる。そうなれば、また震えながら電車に乗らなければならないし、会社の人の目を気にしながら仕事をしなきゃいけなくなる。
幸い、5月いっぱいはテレワークだが6月から会社も出勤再開になるだろう。あぁ、また憂鬱な日々がやってきてしまう。
一応、心療内科の先生からは「テレワークと出社訓練を上手いこと使い分けながらの方がいい」と言っていた。なので、もし出社訓練が再開したら真っ先に相談しなくては。自分の心と体を守るために。

「頼む、できれば6月もテレワークのままでいてくれ…!」と願いつつ、朝のzoom会議に参加した。だが、やっぱり今日もわたしが呼ばれることはほとんどなかったので、マイクをミュートしてYouTubeの生放送が有効化されたかチェックを行った。
すると、めでたいことに有効になっていた。やっぱり確認に時間がかかってたのかー、と納得し、すぐにTwitterやブログで5/30(土曜日)にリベンジ放送する旨を報告した。

今度こそ初放送を成功させたい。おたよりを読みたい。ネガティブなおたよりやコメントをもとに、みんなと楽しくおしゃべりしたい。
肝心な出だしはどうしようかなぁ〜と考えていたら、急に上司に名前を呼ばれて現実に引き戻された。
「へぁいっ!」と変な返事を社用PCに返したあと、新たな作業を依頼された。もうっ!今いいところだったのに!と思いつつ、作業の解説をする上司に適当にあいづちをうつ。でも頭の中はラジオのことでいっぱいだった。

資料づくりをしながら、出だしはどう話そうか?ラジオ名の由来をどうやって説明しようか?など、頭をフル回転させていた。ただでさえコミュ障なわたしが、果たしてパソコンに向かって1人で台本もなしにしゃべり続けられるのだろうか?
5/23の放送前は、まったく考えもしなかった不安が、ここへきて一気にどっと押し寄せてきた。
そう、そうだよ。わたしコミュ障なんだよ?話すの苦手なんだよ?なのに台本もないのに一体どうやって進行させるつもりなの?
そう思ったら、必死に押さえつけたはずの黒い闇をまとった自分が心の奥底でニンマリ笑ってる姿が見えた。
「ほぉら、だから無駄だって言ったじゃない?」

それに負けじと言い返す。だったら最低限の進行表メモを作ればいいじゃないか。それなら何を話せばいいかすぐに分かるし、ダラダラ話す時間も短縮できる。
リスナーは顔の見えない存在。どこで、どんな人が聴いてるか分からない。当然ながら、わたしの表情もリスナーには見えない。
だけど、ラジオは声がメインのコンテンツだ。わたしがド緊張したままマイクで話せば、それは声を通してリスナーに伝わってしまう。「なんだコイツ、ただのコミュ障じゃないか」と感じて帰ってしまう人もいるかもしれない。

だが、それがどうした?そんなの今更じゃないか。
死ぬまでにやりたいことなら、どんなに他人に嘲られようが批判されようが罵られようが、何度だって立ち上がればいい。
初回からうまくやれる人間なんていない。学生時代から見てるニコニコ動画だってそうじゃないか。有名なゲーム実況者の第1回を見直してみろ。グダグタじゃないか。
自分のブログのアクセス解析だって見てみろ。最初は1ヶ月で20人くらいしか訪れる人がいなかったのに、今ではほぼ毎日、誰かがブログに訪れてきてくれるようになったじゃないか。(ブログに訪れてくれた方々、本当にありがとう)

ラジオだって同じだ。何度も回数をかさねて、少しずつ成長させていくもの。やらなければ、永遠にリスナーは増えないし、コメントしてくれる人だって増えない。

何を弱気になってるの?誰かに価値を与える人になりたいんでしょ?誰かに「ありがとう」って言ってもらう仕事をやりたいんでしょ?
だったら醜態さらしてでも自分のやりたいことを追いかけ続けろ。疲れたら休めばいい。身の危険を感じて嫌になったら逃げてもいい。

のんびり誰かとお話するのに、肩肘張った自分はいらない。そんな人間の語る言葉は偽物でしかない。
いつもここで、好き勝手に日記を書いている時の自分のままでいいんだ。背伸びなんて必要ない。
『適応障害で復帰訓練中のmarina*』のまま、素直な気持ちをマイクにぶつければいいんだから。

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