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適応障害とわたし@2020/5/4

暗闇の中でもがき苦しんでる感覚でバチッと目が覚めた。外は真っ暗。スマホを見れば夜中の2時半すぎ。
だめだ。せっかく新しい甚平で心地よく寝付けたのに、途中覚醒の症状がまた出てしまった。
病院の先生には、あまり気にしない方が精神的にも体力的にも普段は軽減されていくと助言された。
なので、新しい甚平の心地よい温かさに包まれながら、再度、眠りにつくことにした。

次に目が覚めたのは朝の5時前。うわぁ…めちゃくちゃビミョーな時間に起きてしまった。
ワンモーニングが始まるまで1時間以上ある。
このまま起きて朝のストレッチと朝食を済ませて読書するか?と思ったけれど、覚醒していない脳には勝てなかった。はい、二度寝決定。

やっと起きたのが6時半すぎ。ワンモーニング始まってるじゃんか。やっぱ二度寝するんじゃなかった。
ふと甚平姿の自分に目をやると、めっちゃくちゃシワシワになっていた。しかも変な方向に折り目もついてる。一体わたしはどんな寝相で寝てたのやら…

いつものようにベッドから体を起こして、すぐにカーテンと窓を開ける。今日はあいにく曇り。いつも差し込んでくる太陽の光がなくて、朝の光合成ができなかった。
しかも、ちょっと雨が降った後だったようで、冷たい風が部屋に入ってきた。
この寒さには、さすがに下着と甚平のみの体では勝てなかった。やっぱり下にTシャツ着てから甚平着るべきだったかー、と寝る前に「暑い!」とTシャツを脱ぎ捨てたことを反省した。
5月が過ぎれば、すぐに梅雨の季節がやってくる。そうしたら今よりもっと寒くなるだろう。暖かくなったと言っても、寒さ対策はきちんとせねば。

いつも通り朝のストレッチをして、朝食をとる。
今日は卵かけご飯(with塩昆布と白ごま)とヨーグルトとトマトジュース。
薬の影響からか、最近なんだか便通がよろしくない。おまけに異様に喉が渇くし、眠気が何度もやってくる(今に限った話ではないけれど)。
あんまり薬の説明書を見てなかったので、改めて見てみると説明書にきちんと注意書きがあった。

「症状が起こることがあります。」って書いてあるし、がっつり現在進行形で起きてる。
次の通院時に相談するか?と思ったけれど、これ以上薬の作用でメンタルを振り回されたくない。
しかもこの薬、たまに飲み忘れると体の神経がバグった感じになるんだよなぁ…
ネットの調べによると離脱症状が出やすくて、飲む頻度を調整したければ医師の相談が必要とあった。
確かに飲んでると不安とかネガティブ思考が若干和らぐし、やりたいことに対して即行動を起こせてるからありがたい薬ではある。

でも、なんだか今の自分は薬に頼って生きてる感じがする。薬がないと感情のコントロールができなくて、すぐに自分の将来のことを不安に思い、突然泣き出す。おもしろい動画やテレビを見ても心から笑えない。
そんな弱くてボロボロな自分を見せたくなくて、何も喋らず静かに黙ったままで過ごしていると、なぜか母親に「黙ってないで普通にしてて!何か喋れ!」と怒られる。
「人の気も知らないくせに…」なんて言い返せないし、相手にするとエネルギーを吸い取られるので大体無視して自室に逃げ込む。

母が今日、仕事の日でほんとうに助かった。
静かに読書もできるし、物思いにふける時間も邪魔されない。
おかげでやっと午前中にターシャ・ユーリックの「insight」を読み終えることができた。

短く感想を述べると、正しく自己認識ができている人ほど、自分が望む人生を手に入れやすい。そして、現状に不安や不満を抱いている人ほど、間違った自己認識に囚われている可能性が高いことに気づけた。
本の巻末には、正しく自己認識を高めるための7日間でできるワークシートが資料でついていた。これをやるかやらないかは自分次第。
真実を知るのにちょっと勇気がいるが、やる価値はあるに決まってる。
だが、あいにく今のわたしは植松努さんの「空想教室」が読みたくてしょうがない。
ワークシートは、また日を改めて取り組むことにしよう。

ふと、ラジオ用のキャラクター作りがしたくなった。
かわいいマスコットキャラクター。
みんなの不安や悩み、ネガティブを食べてくれるキャラクターがいい。

悪夢を食べてくれると言えば、動物のバク。
でも何となく違うなぁ…
うーん…みんなのネガティブを食べてくれる…
ネガティブ食い…ネガ食い…ネガクイちゃん!!!
アリクイっぽく直感的な名前でいい!これ採用!
久しぶりに絵を描くきっかけができた。
めっちゃかわいく描こう。そしてキーホルダーとかステッカー作ろう。

今日はコナンの誕生日だし、せっかくなので無料配信中の劇場版コナンを観ることにした。
作品は「水平線上の陰謀(ストラテジー)」。小五郎のおっちゃん大活躍の回。
久しぶりに観ると、やっぱりコナンはいい作品多いなぁと改めて実感した。
わたしは小学生の時から赤井さんにハートを射抜かれてるので、最新作の「緋色の弾丸」の公開が楽しみすぎる。
公開したら真っ先に観に行こう。ひとりで。

自室で懐かしいコナン映画を楽しんでたら、コンビニに行ってた妹が帰ってきた。
大方メルカリの発送だろうと思ってたら、PCの横にコトリと檸檬堂のレモンサワーが置かれた。
あ、それわたしの大好物のやつ。
「いらなかったら冷蔵庫に入れといて」と残して部屋に戻っていった。
???
なんで急に?と思ったが、ありがたく頂戴することにした。
プシュッといい音と、レモンの爽やかな香りが広がる。ひと口飲むと口の中いっぱいに甘酸っぱいレモンとほんのりアルコールの味が広がった。
うん、やっぱりレモンサワーはおいしい。

昼間っから酒なんて…と一瞬思ったけど、GWだし両親は仕事でいないし、ゆっくり味わって飲んだ。
コナン観ながらのレモンサワー、最高!
ありがとよ、我が妹!

コナンを見終わった後、PCからアップデートしろと言われたので何も考えずアップデートした。
他に何か動画でも見ようか考えてたのだが、一向にアップデートが終わらない。
MacBookさんよぉ…。「残り9分…」って言われてからもう20分くらい経つんですけど…
Windowsのアップデートもだけど、いい加減「〇分で完了」詐欺はやめてほしい。
コナン観たあとでアップデートかけて本当によかった…

アップデートはしばらくかかりそうだし、読みたくて仕方なかった植松努さんの「空想教室」を読むことにした。
冒頭の「あなたの夢はなんでしょうか?」という問いが、頭の中で植松さんの声で再生された。その問いに迷いもなく、わたしは「人に価値を与える存在になること」と答えた。
植松さんによれば、「夢」をアメリカの辞書では「強く願い、努力すれば実現できるもの」と意味している。
ところが、日本はその真逆。「夢とは儚いもの、叶わないもの」と意味しているという。
もう冒頭からびっくりして「日本人の過度なネガティブ思考は辞書にまで影響を及ぼしているのか…」と呆れてしまった。
と同時に、多くの日本人には「夢を抱くこと」自体に過剰な恐怖を感じている人が多すぎでは?と思った。

植松さんいわく、彼は幼少期に学校の「僕orわたしの夢」と題する作文に「潜水艦を作りたい」と書いたところ、担任の先生に「そんな”夢”みたいなこと書いてないで、ちゃんと”仕事”のことを書きなさい!」と叱責されたという。

この部分を読んだ時、わたしも母に同じことを言われたことを思い出した。
高校生の時、母と2人で出かけた時にわたしは「人の役に立つことをしたい。「ありがとう」って感謝してもらうことがしたい」と語った。
すると母は「そんな”夢”みたいなこと言ってないで、ちゃんとした”職業”に就いて稼ぎなさい」と一蹴された。
その時わたしは思った。
仕事をしてお金を稼ぐことが、そんなに夢を叶えるより大切なことなの?と。
母に言われた言葉は”「実現しそうなこと」を職業にすることが人として当たり前”というニュアンスを帯びていた。
その言葉がきっかけで、わたしは今まで母の操り人形だったことに気がついた。

稼げる職業に就くにはいい大学に行かなきゃいけない。
いい大学に行けるようになるには塾に通わなければならない。
塾に通うには習い事を減らさなければならないし、友達と遊ぶ時間をなくさなければならない。
小学生の時から、わたしには放課後に友達と遊ぶ時間は満足に与えられなかった。遊ぶ約束をして出かけようとすると、すかさず母がやってきて「うちの子、忙しいから」の一点張り。
共働きの家庭だったので、塾や習い事がない日のわたしの遊び相手は妹しかいなかった。

小学生のころは、月曜〜土曜は塾2つと体操クラブとスイミングスクールと自宅で母のピアノレッスン(母はピアノの先生)。
学年が上がるごとに習い事は辞めさせられていき、中学生からは部活後の塾が当たり前の日常になっていた。
当時のわたしは母に反抗することは悪いことだと思っていたし、そもそも反発する術をしらなかった。
そのせいか、クラスでも家でも主義主張ができなくない性格に育ってしまった。

それでも唯一、わたしが心を落ち着けられる時間があった。それは、放課後の人気のない廊下で、コントラバスを自由気ままに弾いている時間だった。

中学高校時代、わたしは吹奏楽部に所属していた。だが、コントラバスはわたしが卒業するまでわたし1人だけだった。
理由は、直属の先輩がわたしが入部して早々に引退してしまったことと、顧問の先生がなぜか頑なに後輩を入れようとしなかったから(たぶんコントラバスを買う金をケチっていたのだろう)。
だからわたしは中学から高校までの6年間、たったひとりでコントラバスを弾いてきた。しかも独学で。

最初は右も左も分からず、ただやみくもに弦を弾いたり、弓でぎこちないメロディを奏でることしかできなかった。
それでも、毎日部活に行くのが何だか楽しくて仕方がなくて、弾ける曲が増えていくのがたまらなく嬉しかった。

ある日の校外での演奏会。たぶん高校1年生の時。
わたしが本番前に原っぱでひとりで練習をしていたら、通りがかった人に「何か弾いて!」と頼まれた。
あまりに期待の表情で頼まれたので、即興で基礎練用の曲を弾いた。指慣らし用のとっても短い練習曲。
弾き終わってから少しの沈黙の後、パチパチパチ!と拍手を受けた。
「あ、どーも…」と言おうとしたが、それより先に「写真を撮ってもいい?!」とツーショットを求められた。気がついたら、わたしは見知らぬ人と肩を並べてツーショットを撮っていた。
写真を撮り終えたその方は、「ありがとね〜」と言いながらルンルンとした足取りで去っていった。

その時は演奏会の本番前だったし、突然やってきた嵐が過ぎ去ったような感覚だった。
だけど、それは数日後になってから、「自分の力で相手を喜ばれることができた」という感覚に変わった。

本当に小さくてささいな出来事でしかなかった。
だけど、わたしの心の中では何年経っても色あせない大切な記憶として残っている。

その出来事がきっかけで、やっと自覚したのだった。
「相手を喜ばせたり、感謝されることがしたい」。
母や担任、塾の先生から言われたからじゃない。
紛れもなく、自分の本心から湧いてきた”夢”のひとつだった。

その夢は「人に価値を与えられる人になりたい」という形に少し変わったけれど、意味合いは当時のまま変わらず宿っている。

植松さんの本のおかけで、懐かしくも情熱的な記憶を思い出すことができた。植松さんと出会えて本当によかった。

今日はネガクイちゃんを思いついたり、コナンが観れたり、大好物のレモンサワーが飲めたりと、ささやかながらも幸せな出来事ばかりだった。
めちゃかわなネガクイちゃん、生み出そう。

マイクも買った。チャンネルも作った。
ラジオ、絶対成功させてやる!
そして、たくさん友達つくってやる!

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