見出し画像

AIがこの先どうなるのかをぼんやり考える。

最近はAIの進化もめざましく、イラスト生成AIやchatGPTなどを使ったAIトークやAI接客などいろんなものが出てきていますね。

そこでふと思ったことなんですが…
私は人間は間違うから可愛げがあり、愛おしくもある部分が存在すると思っているのですが、AIはこの先たくさんのことを学んで知識を蓄えて様々なことに対応できるようになっていくんでしょうね。
それはもう、人が生きられるよりも長く存在し続けられるわけですし、人よりも早く膨大な量を学べるわけです。

パーフェクトヒューマンが出来上がるんでしょうか。
でも、先にも述べた通り不完全なものだからこそ可愛げがあると思うんです。今はAIも成長途中で「こういうところまでは出来ない」という部分があるからまだまだかわいげのある状態。
でも、ここからもっと学んで一通りなんでもできるようになってしまったら…?

完璧な人間ほどつまらないものはないなと、そんな風に思ってしまうわけです。不完全だからこそ助け合い、関係性を構築したり絆が生まれるのだと、物語が生まれるのだとそう思っています。
そしてそのAIが可愛げを失って人間を凌駕し始めた時に、AIと比較される部分が増え、つらい思いをする人が増えるんじゃないのかなって、そんな気もするのです。(現時点で比較されて悲しい思いをされている方もいると思います)

機械はとても便利だし役に立つもの。だけど便利だとか早いとか、コストが削減できるとか、そういう安直な理由だけでじゃあ機械に頼ろうってなってしまうような気がしています。
それって…それでいいんでしょうか?

本当に大事なのは、「人」じゃないのかな…
一方で人の役には立つけど、もう一方で人を苦しめるツールになるのなら、それは使うべきなんだろうか…
これは決して退化すべきという話ではないんですが、なんでも便利だけで食いつくのって違うような、そんな気がしているということです。

まあ便利を求めれば求めるほど、人間は退化してくんですけどね(笑)
勿論、介護とかそういった部分で必要になる機械とかはたくさん活躍してってほしいなとは思ってます。

あと、思ったのが、機械が人を超える存在になったとき、一体だれがそれを止められるようになるのだろう、ということと、
IQが高くても犯罪とか間違った道に進んでしまう人がいるように、必ずしも頭が良ければそれでいいってわけではないんですよね。
結局はその人が生きるうえで経験などからどんなことを得て、感じて、学んだか。これが本当は大事なんじゃないかなって思ってます。
それは深く考え、自問自答を繰り返したうえで生まれるとても尊いものだから、です。
そして、「正しいこと」は時と場合、環境などによって視点が変わったりするものです。

そういったことを機械は学べるのかな…
ただただアップデートされていくよりも、そういったセーフティレバーのような制御するためのことっていうのはいくつもの種類を作りつつ、作っていってくれると嬉しいなぁなんてね。

未来が多くの人にとって明るい未来でありますように…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?