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【読書感想文】52ヘルツのクジラたち/町田そのこ


タイトルに惹かれて。本屋大賞受賞作ということもあり、ずっといつか読みたいと思っていて、私にとってその時が来たのが、2023年11月だった。

圧巻。ダラダラと読み進める小説もある中、本作は一気読みに近いペースで読み終えた。

読了場所は、近所のホーリーズカフェ。ちょうどベビーカーに乗せた息子が気持ちよさそうに眠っている時だった。

物語の終盤、そんな息子の顔を見てかどうかはわからないが、新しくできたそのカフェの端っこの席で1人涙していた。そんな読書体験をくれた本書である。

52ヘルツのクジラ。世界で一番孤独だと言われているクジラ。その声は広大な海で確かに響いているのに、受け止める仲間はどこにもいない。誰にも届かない歌声をあげ続けているクジラは存在こそ発見されているけれど、実際の姿はいまも確認されていないという。

町田そのこ.52ヘルツのクジラたち【特典付き】(中公文庫)(p.68).Chuokoron-shinsha,Inc..Kindle版.

○感想

誰にも届かない声で泣いているクジラがいるらしい。誰かに届いて欲しいはずの声は、その目的を果たすことなくあぶくになって消えいていく。そんなことを繰り返しているさみしいクジラ。

キナコ、アンさん、美春。そして52こと、いとし。さらに、彼らを取り巻く、いろいろな人たち。

みんな誰にも届かない声で泣いている(鳴いている)。その声は誰かに助けを求めている声だろうか。それらの声は実際には人の鼓膜を振動させるような声にはなっていない心の声だ。もしかしたら、自分ですらその声に気づいていないのかもしれない。いや、気づきたくない本当の声だとも言える。

だからこそ、みんなその声とは、裏腹に違う行動をしてしまう。一番近くで聞こえるはずのその声を自らが一番聞きたくなくて、耳を塞いで聞こえないふりをしている。本当は自分が一番気づいているはずなのに、その声を自分以外の誰かに気づいて欲しい。つくづく人間は弱い生き物だ。そして、面倒臭い。自分の都合よく物語を解釈する。だからこそ、愛らしいのだろうけども。そして、我々は人間が繰り出す矛盾だらけの物語に心を動かされる。

こんなに寂しいのはきっとわたしだけじゃない。この声は誰かに届いていると信じるだけで、心が少しだけ救われた。あのときのわたしは、52ヘルツの声をあげていた。

町田そのこ.52ヘルツのクジラたち【特典付き】(中公文庫)(p.69).Chuokoron-shinsha,Inc..Kindle版.

ただ、単に弱い生き物だという言葉では片付けられない。誰かの強がりは暴力となって誰かを攻撃する。誰かの何かを埋めるために犠牲になってしまう心がある。そんな弱さを加害者も被害者も、いつしか正当化してしまうのだろう。もはや考えることも放棄して、ただただそこにあるものを無になって受け入れる。受け入れる意思すらそこにはないのかもしれない。どこにも行けない心。まさにそれはあぶくになって消えていく52ヘルツの声に近い。

ただ、確実に傷跡だけは残っていく。目に見えないものだけではなくて、目に見えるかたちとしても。それは残酷なものとして、そこに残り続ける。

そういった状況を救うのは、また人でしかない。誰かの心の声を聞き取れる人。その声が届く人。不完全な我々は、そうやって足りないところを補い合って、埋めていく。誰かの穴はその穴が見える人にしか埋められない。誰にだって埋めれるわけではない。

時に人は傲慢になり、人の穴を埋めようとするがそれは相手の声を聞くのではなく、単に自分の声を無理やり大声で誰かにぶつけ続けているだけなのだろう。迷惑。そんなことにもなってしまうから人生は難しい。

誰かの正義が誰か傷跡に変わる。暴力は許されない(精神的な暴力も含めて)。断じて。許容するつもりは微塵もないが、ただ、加害者ですら、その声を誰にも聞いてもらえなかったのだろう。だからこそ、このやり場のない想いを、気持ちをどのように整理していいのか、わからない。

真っ暗闇を生きてきたキナコと52。光明が差しても、またすぐに暗闇へ。自分のせいではないのに、自分の存在が誰かの何かを変えてしまう辛さ。そんな2人が出会い、今度こそはと思った矢先に立ちはだかる現実。

そこに登場する昌子さんと秀治さん。彼らの優しさに涙した。いや、安心したというのが近いのかもしれない。

単に優しく甘やかすことが愛情ではない。本当にその人のことを思って接すること。一人の人間として受け入れるとは、そういうことなのだろう。

こんなに寂しいのはきっとわたしだけじゃない。この声は誰かに届いていると信じるだけで、心が少しだけ救われた。あのときのわたしは、52ヘルツの声をあげていた。

町田そのこ.52ヘルツのクジラたち【特典付き】(中公文庫)(p.69).Chuokoron-shinsha,Inc..Kindle版.

きっと小手先だけの対応ではなく、相手のことを思う気持ち。それは決して、相手に嫌われないようにといったことではなく、嫌味だろうが事実をしっかりと突きつけて、自分たちの状況を客観的に伝え、現実的なゴールを示すことだ。

これが愛情。こう書くと、すごくフィードバック感があるが、となるとフィードバックも愛ゆえということか。小手先ではなく、嫌われるとかでもなく、愛を伝えられるか。人間関係はその繰り返しだ。

好き、とか嫌いとかそんな薄っぺらいものではなくて、52ヘルツの聞こえない声を聞くこと。

傲慢ではなく、正しく聞き取ること。そこから全ては始まるのだろう。誰にとってもこれができるわけではない。

わたしはまた、運命の出会いをした。一度目は声を聴いてもらい、二度目は声を聴くのだ。このふたつの出会いを、出会いから受けた喜びを、今度こそ忘れてはならない。

町田そのこ.52ヘルツのクジラたち【特典付き】(中公文庫)(p.226).Chuokoron-shinsha,Inc..Kindle版.

きっと番があって、誰かの声を聞けるのは誰かでしかなくて、それはあなたでも私でもないかもしれないが、そういうものなのだろう。

人はみんな違っていて、誰もが誰もの役に立てるわけではない。そんな汎用品ではなくて、誰かの役にしか立てないからこそ、きっと出会いもドラマもあるのだろう。

そんなことを考えた一冊。

人と人は互いを知ることからすべてが始まる。他人を理解することこそが、自分自身を知ることにもなる。

町田そのこ.52ヘルツのクジラたち【特典付き】(中公文庫)(p.248).Chuokoron-shinsha,Inc..Kindle版.

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