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【読書感想文】何者/朝井リョウ

頭の中にあるうちは、いつだって、何だって、傑作なんだよな。お前はずっと、その中から出られないんだよ。

朝井リョウ.何者(新潮文庫)(p.125).新潮社.Kindle版.

朝井リョウ氏は個人的に好きな作家のうちの一人であり、文庫になっているものはほとんど読んでいる。また、単行本も購入することがある程度には彼の作品のファンである。

ただ、いくつか読んでいない作品があって、その一つがこの「何者」である。

なぜ、読んでいなかったのか。その理由こそが、この物語のテーマに重なってきてそうなのだが、怖かったのだ。この物語は、僕にグサグサと容赦なくナイフを刺してくる。それがわかっていたから読めなかった。

数年前に映画ではこの作品を一度通っている。なので、内容はなんとなくわかっているつもりだった。それだけに原作を手に取ることがどうしてもできなかった。というほど、大層な理由でもないんだけど、なんとなく避けてきており、これまたなんとなく手に取ってみたのが今だったというただそれだけのことだ。

この感想も本当は書く気はなかった。ただ、やはりこの物語はこうして、自分の文章にしてこそ、何か当時の自分が成仏されるような気もしており、思うがままに不細工な文章を書こうと思った次第である。なので、途中で飽きればそこで切り上げようと思うし、思いついたままに思いついたことを書くので、読書感想文というよりも、メモに近いと思う。

冒頭、「ナイフ」の例えを使ったが、どのあたりが僕にとって、ナイフなのかというと、登場人物が自分自身なのだ。具体的には「当時の自分自身」なのだけれど、未だに僕は自分の中に”タクト”と”リカ”と”タカヨシ”を飼っている。”コウタロウ”や”ミヅキ”は僕の中にはいない。3人の痛々しいところだけが部分的に自分に突き刺さる。

常に批判的で観察者であろうとしている自分。今のXの投稿なんかはまだこれだ。日経新聞の記事にどこか評論家っぽいことを言おうとして何も言っていないに等しいことを垂れ流す。それを繰り返していると、どこかの誰かになれるような気がして。きっとどこかの誰かがそんな自分の語り口を見つけてくれるような気がして。

「自分のこと、観察者だと思ってるんだよ。そうしてればいつか、今の自分じゃない何かになれるって思ってるんでしょ。

朝井リョウ.何者(新潮文庫)(p.242).新潮社.Kindle版.

リカの要素は、今はないかもしれないし、かつてもなかったかもしれない。いや、今もあって当時もあったのかもしれないが、リカのように行動ができなかっただけで、憧れてはいたような気がする。だからこそ、リカのように行動ができる人に嫉妬し、意識高い系みたいな思考停止の便利な言葉で揶揄したりして何も行動していない自分を正当化し、自分の自尊心を保ち、正当化しようとする

タカヨシ要素は今も昔もずっとある。未だに業界人っぽいものは好きだし、憧れを抱いている。だからこそ、何に対しても”にわか”っぽい人や物が苦手だったりする。自分が一番”にわか”にも関わらず。他の”にわか”と自分を区別することで、自分だけは他の人とは違う特別な目とセンスを有している”わかっている奴感”を出そうとするし、そうだと信じている。

ということで、この物語は自分には少々きつい。特に、大学生の僕が読んでいたらおそらく発狂していたはずだ。それこそ、朝井氏を嫌いになっていただろう(笑)。そこまでして、自分を正当化したかったはずだ。

さて、今はどうだろうか。今も僕の中には、おそらく3人の痛々しい部分は持っている。ただ、当時のそれとは少し違っている。

もうそこまで自分を正当化するような必要性はなくなっているし、誰かの何かと自分を比べることもそれほどなくなった。他人に対しては、単純に「すごいなぁ」と思えるし、「なんでそんなことをするのかなぁ」と純粋な疑問を持つことができるようになった。それが怒りや焦りや攻撃性を持った感情に変化することがなくなる程度には、僕は寛容になったのだ

「自分は自分にしかなれない。痛くてカッコ悪い今の自分を、理想の自分に近づけることしかできない。みんなそれをわかってるから、痛くてカッコ悪くたってがんばるんだよ。カッコ悪い姿のままあがくんだよ。

朝井リョウ.何者(新潮文庫)(p.249).新潮社.Kindle版.

それでも、やっぱり自分の中には、3人のような属性がまだ存在していて、それはその痛々しさも理解しつつ、逆に愛くるしさをもって、その属性と接しているようなイメージである。どういうことか。

やっぱり、僕は”何者”かになりたいんだと思う。まだ見ぬ何者か、に。当時の自分からすれば、もうすでに十分なくらい”何者”かになっているはずだけど、まだまだ飽くなき”何者”かへの挑戦を続けている。全てはそのためにやっているつもりだし、誰かに見つけてもらいたいというのも事実だ。だからこうして、Xなりnoteなりで、自分を文章で表現している。

「あんたは、誰かを観察して分析することで、自分じゃない何者かになったつもりになってるんだよ。そんなの何の意味もないのに」

朝井リョウ.何者(新潮文庫)(p.248).新潮社.Kindle版.

”何者”かになりたい気持ちに正直になれたこと。それこそが今回この物語を読んで気づけたことだ。”何者”かになるために、ダサくても良いし、寒くても、痛くても良いので、とにかくタフに行動を続けること。”何者”かになれなくたって、きっとそれを追い求めること自体、それに向かって何かをやっている自分を感じていることに、僕は一種の幸せを感じているに違いない

「十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。自分とは違う場所を見てる誰かの目線の先に、自分の中のものを置かなきゃ。何度も言うよ。そうでもしないともう、見てもらえないんだよ、私たちは。

朝井リョウ.何者(新潮文庫)(p.204).新潮社.Kindle版.


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