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【読書感想文】ナチュラルボーンチキン/金原ひとみ

最高だった。そんな二文字の感想が真っ先に脳裏に浮かぶくらいにはこの物語は最高だった。

何がそれほどまでに最高なのかと問われると答えに窮してしまうところもまたその最高である理由なのだ。

何か優れた一片があるわけではなく、どれをとっても最高で何からどう話せばいいのか非常に難しい。それほど最高なのである。もうすでに何回も最高という言葉を使っているくらいには最高だ。

人生においてつまらないことを選んだ出版社勤務、労務担当の浜野さん。そんな浜野さんが勤怠不良の平木直理と出会うことによって、人間らしさを思い出し、世界との接し方を変えていくストーリーだ。

つまり私は過剰が苦手だ。慎ましく謙虚で、目立たない人生を求めているし、驕り高ぶった人や慢心している人、高慢だったり尊大だったりする人を見るとざわざわする。まさにこういう人間こそが苦手のお手本だ。

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まず、登場人物がほぼ全員素晴らしい。そして、読み終えた時、僕は45歳の浜野さんに恋をしている。とてつもなく可愛らしい人物だ。一切のエンターテイメントを排除し、ルーティンを守り続けて生活をするだけの限界中年おばさんがどうしようもなく愛おしいのである。

平木さんに振り回されながらも、それを拒絶することなく受け入れていく過程で、彼女の隠していた本当の姿が表出されていく。会話一つとっても、ぶっ飛び女子の平木さんについていけるくらいには充分なユーモアを備えているのである。

「浜野さんは大丈夫ですよ。自分が正しいと思い込んでないから。大体の害悪は、自分が一番正しいと思い込んでる人です。浜野さんは、一番とか二番とか、そういう概念がないし、いつも自分は正しいのかなって考え続けてる人でしょ」

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平木さんの紹介で限界ルーティン守りおばさんである浜野さんとはどう考えても混ざらないパンクバント“チキンシンク”が出会ってしまい、そこから浜野さんは次第に人間らしさを取り戻していく。

僕は思う。結局、人間らしさというものは、人間同士の繋がりの中に存在するものなのだと。もちろん、そんなものは必要ないという生き方もあるし、それは尊重したいが、きっとそれはあって困るものではないし、あった方がなんか人生に色味がプラスされるんじゃないかなと思ったりするのである。

過去の自分を封印し、もう同じように世界に心を開かないと決め込んだ浜野さんだったが、それを平木さんに無理やりこじ開けられて、その色味にもう一度気づくようになる。

浜野さんももちろん素敵なのだが、平木直理もまた素晴らしい。ぶっ飛び系女子。今時とかそういうことでもなく、自分が行きたいように生きる。他人の目線なんて気にせず、ありのままに生きれる存在。

こういう登場人物に僕は憧れのようなものを感じる。決して馬鹿ではなく、自分の人生を自分で生きている感じがする人たち。

決して出会いたいから出会ったわけではない2人だが、おそらく直理が浜野さんに出会った時に何かを感じたのだろう。

「浜野さんランチ行こー」。

浜野さんは段々とルーティンを崩され、でもそこまで悪い気もしない感じで染まっていく。無機質無関心無色と思われた浜野さんのキャラが直理のペースでどんどん崩されていく感じがなんとも心地良く、浜野さんが本来持つユーモアみたいなものが表れていく様が圧巻である。

「基本、ライブはバイブスです。共鳴したら体が勝手に動くんで、勝手に動かない時は基本地蔵で大丈夫です。バイブスが共鳴したら基本否が応でも動くんで」

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水と油もびっくりするくらいの水と油な浜野さんとチキンシンクが出会った時、浜野さんの中でこれまで抱いたことのないものが沸騰するお湯のように音を立ててぷくぷくと湧いてくる。

その夜出会ったかさましまさかという狂気の男の全然狂気ではない一面との出会い。その後はジェットコースター的に開発される浜野さんの中で殺していた感情が陽気な春の日の噴水のように噴き出す描写がいつまででも読んでいたくなるくらい素敵なのである

なんでこんなに面白いんだろう。終わってしまうことが惜しいくらいに、ギャグ漫画のようにずっと読んでいたくなるくらいにこの物語、この人たちの会話を聞いていたくなる。

金原ひとみの作品は初めてで、作品も蛇にピアスをタイトルだけ知っているくらいだったが、この作品で一気に引き込まれた。なんというか文章が独特のリズムを持っている。

息継ぎをさせてくれないようなリズムで本当はそれが苦しかったりするのだけれど、心地良いステップのように感じられるから不思議だ。

ということで、中身なんて何もなくてもきっと面白いこの物語なのだが、話の核というか個人的に印象的だったところを。

それは「おじさん」に対する言及であり「おじさん化」と言われる進化についてである

おじさんとはつまり、話の通じない人のことなんです。自分とは価値観がかけ離れすぎている人、何を大切に思うかが全く違う人、だということです。

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おじさんをこのように評している通り、おじさんはこういう人だ。分かり合えない。だからうざい。うざいを超えて、邪魔なんだと思う。

この間まで同時とまでは言わなくとも、普通に話の通じるはずだったはずの男性が、当然『おじさん』というペルソナを被って、同僚に対しても新人作家に対しても結婚相手に対してもめちゃくちゃ偉そうな態度を取るようになる現象。

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この偉そうになるという態度。そして、僕が今そう思っている通り、自分だけは大丈夫だと思ってしまいそれをやってしまっていることを気づかない状況がまさに地獄なのだろう。

これも全員そうと言われるとそうなのかもしれないし、どこまで言ってもその可能性からは逃れられないのだが、僕はこのおじさん仕草に対して酷く敏感でありたいと思っているし、年齢以外の意味でおじさんになるということを本気で嫌っている。

それは外見もそうだし、痛いと思われるギリギリの狭間だと思うのだが、外見も中身も若くありたいと思っている。そもそも若いというのは生き方の総称だと思うので、一般的に思われる年齢的なものには抗い、この年だからこそ、新しいものに触れて、おじさん化しないように努めている。

でも、それは結局、ポジティブシンキングのジレンマみたいな話で、おじさん化を意識しているというかおじさん化しているということの証左なのかもしれない。

現に酒の席での酔い方がまさにおじさんみたいになってきているし、たぶん普段押さえ込んでいるタガが外れたかのように自慢話をしてしまうようになってきた。そして、翌日後悔する。

今までは避けてきた若い女性との飲み会にも喜んで行くようになってしまったし、その時には漏れなくカッコをつけるようになってきていると自分でも思う。彼女らが喜びそうな話題を選択し、ただそれはまさにおじさんが選択するそれであって、結局痛いうえこの上ないのだろう。

何かから回避するように酒とタバコと女性を求めて、擦り切った自尊心を満たす日々。列記としたおじさん化である。

でも、まあそれでいい。今はそれでいいのだ。苦しんでそんなことをしているわけでもなく、自ら望んでそれをやっていて、僕はそれを望んでいるのだ。

まさかさんのようにはなれないかもしれないが、彼のような柔らかいニュアンスに憧れる。

自分でもあまり気づいていなかったが、僕はどうやら周囲を喜ばせることが好きなようだ。ただし、ストレートなやり方は好まないのでそれを僕らしいやり方でやっているつもりだ。

自分の周囲にはいない他の人とは違ったやり方で、面白いと思われたいし、かっこいいと思われたい。これはもう否定しようがない。そうなるためには自分が心の底からやりたいことをやるのみだと思う。

ただ、ここ数年でその核のようなものを失くしてしまい、今は自分が思う若い自分になろうと努めている。いや、若いというか、自分がかっこいいと思うそれを目指している。

体型を維持し、ランニングで鍛えて、早起きをして、水をたくさん飲み、カロリーを抑えてタンパク質を摂る。

毎日日焼け止めを塗り、スキンケアにこだわり、ヘアオイルをつけて、パーマをかけ、眉毛サロンに行く。濡れ髪を意識して、顔剃だってする。

普段はつけないが香水にも詳しくなり、服装だって昔からギャルソンをきている。プレ値のスニーカーを抽選で当てて、オーラリーのシャツだって着る。

小説を読み、文章を書く。新しい音楽を入れて、サカナクションやずとまよ。のライブにだって行く。

無理なんてしてない。全部やりたいからやっているのだ。おじさんになりたくない。傲慢になりたくない。説教なんてしたくない。

ネタっぽいマウントはOKだが、ガチのマウントはしない。その線引きも絶妙なところを押さえているつもりだ。

たぶん僕はマイノリティ的な生き方をしてきたので、その辺りの感覚は分かっているつもりだ。未だにインターネットが大好きだし、そこで流行るそれとその背景みたいなものはなんとなく分かっている。

だから、その価値観の違い、キレるポイントのわからなさが与えてくるストレスという意味ではおじさんと一緒でだからこそこの嫌悪感はおじさんに対するそれと似ているんだ、ということに気づいたんです。

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そもそもキレるようなことはない。そう思ったとしても、静かに自分の中で消化する。時間はかかるが今までもそうやって生きてきた。だからたぶん人間関係みたいなものは苦手なのだと思う。逆にだからこそ僕はそれを求め続けているのだ。

普通の人は自分より下の世代をゆとりだのさとりだの何とか世代だのと皮肉ったり、最近の若いもんはとか言って腐したり、昔は良かったと懐古的になったり、今の若い人のことはよくわからない、と分断するばかりで、その渦中にいる人たちが迫られている必然性や、気持ちを想像しようともしない。

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浜野さんにも平木さんにもまさかさんにも共感できた。多くの人がそうなのかもしれないし、だからこそ売れているのだと思うのだけれど、どうしても僕はやっぱり彼らの気持ちをいつまででもわかっていれる自分でもありたいと思う。

例えそれで世に言う成功のようなものを手に入れられなかったとしても、僕は遠くから彼らに寄り添い続けたい。生きるのが下手くそな一員として、どうしようもない僕たちのための物語を大切にしたいのだ。

そんなことに気づけた読書体験だった。よし、まだまだカッコをつけていこう。

僕はこう見えて、自分になんだかんだと理由をつけて挑戦とか新しい一歩とか踏み出さない保守的なタイプで、それこそナチュラルボーンチキンなんですけど、やらなかったら死にきれないだろうと思うことは!極力玉砕覚悟で全部やってみようって心に決めたんです。

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