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【読書感想文】中国行きのスロウ・ボート/村上春樹

○はじめに

村上春樹の小説については、長編・短編問わず、大学時代中心にほとんど読んでいる。

その後の新著についても、ほぼ発売日近辺に読んでいる。それほど、彼の作品が好きだ。一番好きな作家を聞かれれば、まず僕は彼の名前を挙げるだろう。

ただ、エッセイについては、まだ読んでいないものも多い。これについては、ここ4~5年程度で気が赴くままに読んでいる。なので、特に最近は、彼の文章に触れていないわけではないが、彼の小説には触れていなかった(直近でいうと、「一人称単数」)。

本作、「中国行きのスロウ・ボート」に関しては、なぜかこれまで読んでこなかった。これは自分でも不思議である。ただ、これも何かの縁なのだと思う。今年1月3日に豊洲の有隣堂にて、ふと思い立ち、購入した。

紙の本を買ったのは久しぶりだ。つまり、書店で本を買う行為からはかなり遠ざかっていた。ここ数年は、kindleが読書体験の主になっていた。

ここまで遠ざかっていた理由と直接関係はないが、この短編には、学生時代のとある思い出がある。

大学 4 年の時だったか。一般教養のコマで「日本文学史」的な講義を受けていた。内容は全く思えてい ないが、毎週一つの小説を取り上げて、その内容と文学性(←?)なるものを読み解く、といった講義だった。たいして面白くもなかったので、それほど授業に出ていたわけではないのだが、本書が取り上げられた回には、出席していた。

講義の内容を覚えているわけではないが、その程度のインプットはされていた。不思議なことに、このような経験をしているのと、すぐさま手に取りそうなのだが、そうとはならず、あれから10年以上経過してから本作を読むことになった。不思議。

○小題

・中国行きのスロウ・ボート
・貧乏な叔母さんの話
・ニューヨークの炭鉱の悲劇
・カンガルー通信
・午後の最後の芝生
・土の中の彼女の小さな犬
・シドニーのグリーン・ストリート

○感想

特にこれといって、特定の物語が印象的に僕の中に残っているわけではない。

それぞれの話について、どんな話だったかを聞かれても、おそらく答えられない。それは、うまく表現できない、ということではなく、単純に覚えていないのだ。

だとすると、僕のこの読書体験はなんだったのだろう。読書をした後に感じる不器用な気持ち。もちろん、初めてのことではない。

特定の物語に言及して何か言いたいことや教訓めいたことを引き出せたわけではないが、全体を通して感じたようなことを簡単に記しておこうと思う。

本作だけに限らず、彼の小説を読んだ後(←特にここ数年の感情かもしれないが)は、「あらゆる物事は適切なタイミングで適切に処理をしなければならない」ということだ。

幼少期かもしれないし、思春期かもしれないし、大人になってからかもしれない。どこかで僕たちは、自分が望んでいないのにも関わらず(時には、望んでいるのかもしれないが)、何かしらの呪いのようなもの(又 は、ある種のしこりのようなもの)を背負ってしまう

そういった自分が背負ってしまったモノに対し、「気づいていない“ふり”」をして、生活を続ける。自分に嘘をつく。自分を欺く。

いくら“ふり”をしたところで、時間ととともに、そのモノは大きくなり続け、ある時、それが自分を蝕んでいることに気づく。その時には、もう自分でもどうしていいのか、わからなくなっている。

物語の中では、その存在に気づき、何かしらの“対処”が行われる。それが結局のところ、当人にとって、救いになっているのか、そうではないのかは、わからない。

ただ、そのモノと向き合い、“ふり”をしてきた自分と向 き合うという“行為”は行われる

今回の小説でも、僕はこういった側面を物語から感じた。どこかで失われた何か、と向き合うこと。ある種、冒頭申し上げた大学の講義で、僕はずっと何かしらのモノを背負ってきたかもしれない。もちろん、そう解釈できるかもしれないということだが。

この文章を書くことによって、それと対峙したとも言える。いつか大きくなって、僕を蝕んでいくはずだったそれのエミッション。

次にこの小説を手に取るときがあるだろうか。その時、きっと僕は、正月に豊洲の有隣堂で買ったことを思い出すだろう。

「だけどね、電車が東京駅をすぎたあたりから、何もかもが嫌になっていっちゃたの。もうこんな目にあいたくない、もう夢なんて見たくないってね。」(中国行きのスロウ・ボート「中国行きのスロウ・ボート」 P.35
しかし僕が僕自身であるという個体性が、そんな僕の希望を邪魔しているのです。
これはとても不愉快な事実だと思いませんか?僕のこの希望はどちらかといえばささやかなものであると思います。
世界の支配者になりたいわけでもないし、天才芸術家になりたいわけでもない。空を飛びたいわけでもない。
同時に二つの場所に存在したいというだけなんです。いいですか、三つでも四つでもなく、ただのふ たつです。(中国行きのスロウ・ボート「カンガルー通信」P.144)

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