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「どうして偉くなれないの?」なんて、言えないよ絶対〜#魂の退社#稲垣えみ子

 なぜなら、大きい幸せは小さな幸せを見えなくするからだ。
知らず知らずのうちに、大きい幸せじゃなければ幸せを感じられない身体になってしまう。
 仕事も同じである。高い給料、恵まれた立場に慣れきってしまうと、そこから離れることがどんどん難しくなる。そればかりか「もっともっと」と要求し、さらに恐ろしいのは、その境遇が少しでも損なわれることに恐怖や怒りを覚え始める。その結果どうなるか。自由な精神はどんどん失われ、恐怖と不安に人生を支配されかねない。

「魂の退社」プロローグより

「どうしてわたしは偉くなれないのでしょうか」
「どうしてあの人は今回昇進したのでしょうか」
「あの人とわたしの違いは、どんなところなのでしょうか」

こんな風に上司に相談できる人がいたら、よほど関係性ができているか、
オープンな会社なのかな、と思う。
またこんな相談を第三者であるキャリアカウンセラーにもしないのは、
欲しい回答を持ち合わせていないのも想像がつくし、
きっと励ましを受けたり、自己理解へいざなわれるような気がして、
利害関係のない人にも相談しにくい。

でも本当は、
なんでわたしはこのままなの?
なんであの人なの?
と誰だって聞きたいのではないか。

そんな人に言えない悩みに「魂の退社 会社を辞めるということ」
もやもやを受け止め、
自分の思っていることを代弁してくれるような気がする。

人に言えない、会社員の○○になりたい、という悩み 

会社員のキャリアの悩みのひとつ、昇進や昇格。
わたしは「いち○○」でいればいいので、特に興味はない、
そういう人もいるだろうし、わたしもそう思っていた。
※〇〇には、例えば「いち新聞記者」とか「いち銀行員」とか、
 いわば、課長になりたい、とか部長になりたい、とかじゃない、という
 そういうことだ。

昇進について口にすること、特に上司に言うことは、憚られる気がする。
「わたしは偉くなりたいんです!」と聞こえる「昇進」について言うと、
「そういうところがダメなんだよな」と思われるんじゃないか。
「目の前の仕事で結果出してから言え」と言われるんじゃないか。
社内のキャリア面談で、
本音の本音が語られるのって難しいのかな、と思う。

人に言えない「偉くなりたい」という思い。もやもや。
それを思うことは決して恥ずかしいことではないのに、言えない。
それを自分で認めることが唯一自分を癒やすことなのかもしれない。

偉くなりたい のは 人間の根源的欲求だから

かの有名なカーネギーの「人を動かす」。
その中に、
人を動かすには相手の欲しがっているものを与えるのが、唯一の方法である。」とある。
そして、その「相手の欲しがっているもの」の一つで最も強いものが、
「他人に認められることを渇望する気持ち」なのだ、と。

昇格は、会社に認められるということだ。
会社にとって、そのポジションにあなたが必要だ、と
認められた証とも言えるだろう。
「そんなの興味ないよ〜」と言ったりしながらも、
昇格のタイミングや、人事通達が出るたびに気にしている自分。

「誰が昇格したのか」ということは、
「自分ではない誰か」が会社から認められた、ということなのだ。


どうしてわたしは昇格できないの?とは聞けない

最初は「いち○○」でよかったのに、
いつしか誰が昇格したかを気になるようになる。
認められないと仕事での意見が通らず、メンバーのアイディアも通せないから、無意識に上司に受け入れられるように振る舞う。
そこに悪気はないけれど、そうなると会社へどう対峙するのか攻略法に目がいき、あの楽しかった「いち〇〇」としての仕事っぷりができなくなっていることに気づくのである。

これは人に相談できない。
「わたしはどうして昇格できなくて、あの人はできたのか」
そんなとき、この本が心をわたしたちに寄せ、やり場のない思いをそっと、
そして爽快に肯定してくれるかもしれない。

実際辞める覚悟はできないけれど・・・

この本では、
実際にその「いつまでも続くわかりやすいゲーム=誰が偉くなるのか」ということから、意思を持って離脱した実体験を読むことができる

実際に辞めるには勇気がいるけれど、
「辞めるつもり」で会社との関係性を変えることはできそうだ。

その「選ばれたい」という欲求は根源的であるということを認めたとき、
はじめて、
そこから開放され、また「いち○○」としての自由な働き方ができたとき、
本当の意味で自立できるのかもしれない。

「魂の退社 会社を辞めるということ。」

#魂の退社
#会社を辞めるということ
#稲垣えみ子

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