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わたしたちは、頑張ったことは自分の実力だと思いたい#ふろむだ

自分が頑張ってきたことは「実力」だと思いたいです。
「運も実力のうち」とかいいますから、
「運」ですら「実力」であり、
自分が引き寄せたものだ、みたいに思いたいのです。


でもね、あやしくなってきました。
これまで「実力」だと思ってきた自分のキャリア。
もしかして、
「運」と「勘違いさせる力」だったのかもしれない。


そっか、そっか、だからでしたか。
どうもこれまでの「実力」ではうまくいかなくなり、
じゃあどうしようかと考えたとき、
一生懸命実力をもっとよくするための「スキル」を磨こうと
躍起になっていました。
ずいぶん前から、
それ、「実力」じゃどうしようもないっすよ。
「勘違いさせる力」そういうの磨いてますか?
そういうメッセージだったかもしれないのです。


実力で勝負していたつもりだったが、そう思いたかっただけだったかも

え?
まだ実力で勝負とか言ってるの?

表紙より


ふろむだ さんの
「人生は、運より実力よりも『勘違いさせる力』で決まっている」

認めましょう。いさぎよく。
「実力でここまできました!」「努力は裏切らない!」と思っています。
それは、圧倒的に学生時代に身に着けた生き方でした。

シューカツして、働いて、役職についたりして。
それでも、うまくいかなかったとき、
「実力」や「努力」が最も大切だと信じていたから
欲しい結果が得られなかったときでも
コントロールできる「自分」に矢を向け、
ひたすら努力し続けることをしてきました。

コントロールできることばかりではないのに。


そう考えると、
これまでも「実力」だけではなかったのかもしれません。

成果を出したのはいい仕事と上司・同僚がいたから。
その仕事をもらえたのは、
他の人が私に対して抱いた錯覚が産んだものだったかもしれない。
錯覚とは、
他の人と比べたときに、なんとなくできそうだ、というもの。
そして、その成果がでたことで「実力」がついた。
それで、また他の人が私に対して「できる」という錯覚を抱き、
次の環境が与えられる・・・

「実力」 だと思っていたものは、
実は 「運」 と「勘違いさせる力」もあったのでしょう。


冷静になれることで改めて地に足がつく

「勘違いさせる力」というコトバだけだと、
本質が伴っていないように見えるかもしれません。

仮に自分を採用する側に立ったとき、
「実力」の差はどれほど見えるものなのか、
たいして見えないものではないか、と思うのです。

同時に、
何かしらわかりやすい見えやすいもので
全体のイメージが押し上げられる。
それを「実力」と呼べばそうかもしれません。

自分の頑張りでなんとでもなる!
から一歩離れて、冷静になることで、
かえって地に足がつき、頑張ろうと思えることもあるのかもしれません。

この本そのものの「勘違いさせる力」の強さは強力なのかもしれません。
本に素直に心をあずけて、
自分のキャリアやこれからに思いをはせる。

ちょっとだけ、
実力≒努力でなんでもできる!と思っている自分もかわいくなるし、
それでも「運も実力のうち」と言いたい自分を愛でてあげようと
思えました。

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#ふろむだ




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