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A night in CINE-MAⅢ 【後編】建築のない映画館

中山英之(建築家)+安藤桃子(映画監督)+有坂塁(移動映画館キノ・イグルー主宰)

TOTOギャラリー・間「中山英之展 , and then」
ギャラリートーク「a night in CINE-MA」3

表紙写真=© TOTO GALLERY・MA

【前編はこちらから】

映画は世界言語

中山 こんなに面白い“建築”のレクチャー、なかなか聞けないです。ほとんど建築家の話として聞けるようなお話でした。実は今回の展示の機会をいただいたとき、初めにアドバイスを乞いに出かけたのが有坂さんだったんですよね。共通の友人だった江口宏志さんの紹介で、緊張して吉祥寺の喫茶店に行ったら、いろんなことを教えてくださった。その時から、これは僕だけが聞いてはいけない話だと思っていました。東京国際映画祭のことなんて、ぜひもう一度聞かせて欲しいです。

有坂 ああ!そうでしたね。東京国際映画祭って、会場がシネコンなんです。だから、たとえばカンヌ映画祭のレッドカーペットのような、映画祭の顔になる風景がないんですね。それで、主催者からいわゆるメインビジュアルになるようなイベントをつくりたいと依頼されました。その時は芝公園で東京タワーをバックに野外上映を企画しました。映画好きが集まれる天国をつくろうと思い立ち、一つだけルールをつくることにしました。先ほどのスターバックスと同じで、「自分の好きな映画を3本書いたものを名札として貼ってください」というお願いです。これを通してコミュニケーションを生み出すようなスタッフを30人ほど用意したりして、そこに自分の好きな映画を話している人たちが1000人くらいいるという空間をつくりました。
お客さんだけが着けているとお客さんとスタッフとの間には壁ができてしまうんですが、僕は天国をつくりたかったので、スタッフも名札を着けていたし、もし映画祭のトップが来ても着けてもらおう、というルールを決めていました。そこで警備員さんも付けてもらったら、「ラブ・アクチュアリー」(リチャード・カーティス、2003)でした(笑)。

中山 奇跡みたいな素敵な話。警備員さんって、ふつうはこちらを見張っている役割だから、お客さんとは属性が違います。でも、この夜警備員さんは、そうである前に「ラブ・アクチュアリー」が好きな一人の人になった。それは映画というのが、誰にとっても等しく、世界言語としてあるからですよね。
それからもう一つ、有坂さんのお話で印象に残っているエピソードがあります。僕は最初、TOTOギャラリー・間の屋外スペースを映画館にしたいと思っていたんです。でも、音とか、それから天気のこととか、気になることがたくさんで。そのことを有坂さんに相談したら、「僕は一つだけルールを決めている」と。なんですか?と尋ねたら、「雨天中止」と。どういうことかというと、CLASKAというホテルの屋上での上映会で、その日が雨になってしまったのだそうです。それで室内に切り替えて予定通り上映できたのだけど、観終わってもなんだかがっかりな気持ちしか残らない。そのとき、ああ自分は映画を観てもらっているのではなくて、一つの体験をつくろうとしていたのか、って気づいた。以降有坂さんは、雨が降ったら中止にすることを決めたそうです。とても印象的なお話でした。映画館って、映画を観る場所じゃなくて、ある固有の体験の場なんですね。僕も映像を見る場所を用意するのではなくて、CINE間という固有の体験をつくらなきゃって、その時思いました。

有坂 CLASKAは有料のイベントなんですね。予約制でやっていて、雨天別会場上映と告知していたのでお客さんは来るんですけど、楽しみに来ている感じじゃないんですよ。予約したし、別会場でやるっていうのが決まっているから来るっていう。なんだか空気もどんよりとしていいて、なんのためにやっているんだろうって思いました。もちろん僕らとしてはそのチケット代が収入になるので、中止にしない方がいいんです。だけど長い目で見たら、このままでは来年にはこのイベントなくなるんじゃないかって気がして。中止にしてしまえってって思ってから、スッキリ気持ちよく全部をつくっていけるようになりました。

安藤 有坂さんのしっかりしたプレゼンテーションを聞けるのって今しかないなと思っていて、こんなふうにお仕事されているのかっていうのを知れて、感動しています。ミニシアターをやりたいって思ってつくった私と全く共通した思いなんですよね。形のあるKinemaMの中でも、有坂さんが言われた体験は、形がないかたちでやられている体験と通ずるものがあるなと。
映画館に入るお客様って、一人で来ているのか、誰かと約束したのか、外は雨が降っているのか、晴れているのか、すべてその日のコンディションも含めて、その映画を選んでいるんですね。映画の内容は覚えていなくても、隣のおっさんがいちいち頷く動きがうざくなってきたみたいなことだったり、ポップコーン落としたりそれでワンシーンを見逃したみたいなどうでもいいような体験を覚えていますよね。そういう記憶につなげるために、ベストな音響や環境を用意したい気持ちがありますね。

有坂 僕の場合も、もともと映画館での経験がもとにあるんです。僕レンタルビデオ屋でバイトしてた時があったんですが、その同僚が潰れた劇場を映写機なんかも含めて譲り受けて始めた21席しかない映画館があって、そこでイベントを開くようになったのが2003年のことです。だからはじめは35ミリのフィルムで上映してたんです。フィルム缶を使っていると、3缶台車に乗っけてコンビニから返送とかするんですけど、その時映画ってこんなに重いんだって感じるんです。今はDVDとかブルーレイでの上映なので2本指でも持てる。映画って軽くなったんです。フィジカルに重いという経験をしてるっていうことは実はすごい大事なことで、それを僕らは活動の初めに体験できたのはとても大事だったと思っています。
映画には人の思いとか時間とか情熱とか全部詰まっているなぁと体に感じられるので、みんなでフィルム缶を持ってもらうワークショップとかいいかもしれない。

誰かに紹介してもらう映画

中山 すばらしいなあ。さっき屋外上映で船がスクリーンの後ろを横切るってお話がありました。これは今日、特にお話したかったことなんです。建築家ってどうしたって箱をつくるのが仕事なのですが、シアターはその中でも特に閉じられた箱です。例えば図書館だったら窓から見える風景とか、美術館なら自然光のとり入れ方だとか、中と外の関係をいろいろに考えます。でもシアターは完璧に閉ざされた箱をつくって、ヘリコプターや救急車の音が入って来ちゃだめだから、壁なんて30センチ以上のコンクリートでないといけないし、そこへ二重の扉をつけて……、そうやってどんどん閉じていくんですよね。
チャップリンに「サーカス」(1928)っていう映画があります。確かラストシーンは、サーカスが去った地面にテントの跡がまあるく残っていて、そこに風がすーっと吹いて、それでおしまいでした。箱が先にあるというよりは、そこに集まった人たちが一時の楽しみを生み出し、分かち合っていて、建築と呼べるものはたかだか木と布でできた簡単なものでしかない。人々が去れば空間もろともすうっと溶けて消えてしまう。ほんとうはそういう、箱より先に出来事がつくりだす空間というのが憧れです。


中山 シェイクスピアの時代に原型ができた、グローブ座という劇場がロンドンのテムズ川沿いにあります。上から見ると丸い形をしていているのですが、屋根の真ん中は開いているんです。雨が降ったら入ってくるし、見上げれば鳥が飛んでいる。もちろん街や道路の音だってそのまま聞こえちゃう。でも、そこに当たり前のように空が見えているだけで、全てが許せてしまうんですよね。物語が佳境にさしかかると、空がだんだん暮れてきて、劇場と世界がひとつに溶け合う、それはそれは素晴らしい演劇体験です。
有坂さんや安藤さんがつくったのも、言うなれば不完全な映画館ですね。でも、その不完全さがむしろ、一回限りの固有の経験を生み出している。そういう経験は、閉ざされた箱をつくるしかない建築家には決してつくれない、憧れであり、嫉妬なんです。
そういえば、同じ場所に新築でkinemaMが復活するかもって聞きましたが、はじめからつくるとなると、どうですか?

安藤 そこなんですが、とても悩んでいるところです。みんなからは常設を期待されているんですが、常設となると制限が増えてしまうんです。非常口の数だったり……。

中山 通路の幅とか……。だんだん建築家の悩みがわかってきたんじゃないですか?(笑)

安藤 そうなんですよ(笑)。ポンと現れてふっと消えるっていうKinemaM本来の良いところが、どう変化してしまうのだろうって悩んでいるんです。
上映される映画はどんどん増えているけれど劇場はどんどん減っていっている。これってすごくおかしな状態ですよね。これからの映画館のニーズってキノ・イグルーみたいな体験だと思うんです。でも、映画をつくっている側からすると、それでは経営的に回らないっていう矛盾の壁にぶつかっているところです。

中山 そうか! KinemaMって、安藤さんがみんなに見てほしい映画を選んで上映しているんですよね? それって、同じ映画をただ劇場で観るのとはぜんぜん違う。

安藤 確かに、大事なことを忘れていました。

中山 大好きだったあのミニシアターたちも、館主の「これを観てほしい」っていうメッセージに惹きつけられていたのかもしれません。そういう場所は今、ほとんどが消えてしまいましたね。キノ・イグルーも一緒で、そこが特別なのか。

安藤 本当にそうだと思います。以前私がやっているラジオで有坂さんに出ていただいたことがあって、その時も、大手の企業がキノ・イグルーをやってもうまくいかないんじゃないかって感じました。有坂さんだから人が集まってうまくいったんじゃないかな、匿名だったらみんな集まらなかったんじゃないかなって。
それで思い出したんですが、映画の案内人がいなくなっちゃったっていうお話を他の映画監督としていて。淀川長治さんみたいな。

有坂 僕も淀川さんの話をしようと思っていました。今テレビで放映する映画は、だいたい新作の番宣じゃないですか。でもかつては、チャンネル回していて淀川さんのオープニングの解説に出会っちゃうとなんか引き込まれて、観るつもりがなかったのに最後まで観てしまったっていう人がたくさんいたって言われてるんですね。淀川さんって自分の言葉で喋っているんです。よく聞いてみたら日本語が間違っているところもあったりするんですけど(笑)。でも解説を最後まで観たら映画を最後まで観たくなるんです。それで良しなんですよね。
難しく考えすぎてるというか、映画を届けるっていうことは実はシンプルなことで、熱量をもって届けるっていうのを軸にして、そこにいかにアイデアとかクリエイティブを入れていくっていうことなんじゃないでしょうか。

中山 今日はお二人の共通点から話が始まりましたが、うかがっているうちに対照的なところが見えてきました。人間の住み方の原型に定住型と遊牧民型っていうのがありますが、建築家ってこの二つを比較しながら考えるのが好きなんです。安藤さんは映画という方法を使って、高知という場所から世界の未来を考えようとされていました。有坂さんもまた映画という方法を使って、日本中のあちこちで、そこにすでにある場や人の中に隠れていた体験を引き出すようなことをされている。安藤さんは定住型、有坂さんは遊牧民型で、それぞれに新しい人や場所についての実験のようなことを試しているのだなあ、と思いました。ほんとうに面白いなあ。
最後に、そんなお二人がこの先にイメージしていることがあれば、ぜひ聞かせてください。

安藤 なんで映画じゃなきゃいけないのかっていうことを話そうと思います。
映画って「間(ま)」なんです。フィルムの映画では1秒24コマの「間」に入る黒みがあります。それは、すごくロマンティックに言うと「まばたき」なんだと。
誰かを思い浮かべるとき、例えば今日の有坂さんを思い出そうとするとします。その時思い出されるのって、鮮明なものではなくて、今日の有坂さんの印象と空気なんですね。記憶って印象に強く左右されていて、映画はそのシステムの上でつくられているので、見ている人の心と対話する時間を与えてくれる。人ってすごく賢い生き物で、一回でもフィルムの上映を体験しているとデジタルでも同じようにその「間」を見られるようになる。
フィルム缶の重さについてお話がありましたが、そういう体験をしていると、ちゃんと映画を観れる大人になれると思うんです。全ての文化に通ずると思うんですが、その文化の本質の受け取り方を教えてあげることって必要で、未来の大人たちの感性を育ててあげることで、未来の映画監督たちの場づくりにつながる、みたいなプログラムを始めています。

有坂 僕がこれまでやってきたキノ・イグルーのイベントはすべてが受け身なんですね。やりませんかって声をかけてくれたところが全部出発点なんです。
なんでこのスタンスなのかっていうと、声をかけられて人から求められることってすごく嬉しかったり、求められることで無意識の扉がそのコミュニケーションをベースに開くんです。そのほうが自分の良さがどんどん出るっていうのを自分がわかっているからなんです。なので5年後キノ・イグルーはどうしてますかって聞かれても、全くイメージが浮かばない。だからキノ・イグルーをどうするのかっていうより、日々の細かい選択を楽しみながら心の赴く方に積み重ねていけば、良くなるイメージしかないです。
上映イベントのほかに4年前から、映画を上映しない映画イベントをやっています。「あなたのために映画を選びます」っていう一対一のカウンセリングみたいなものです。僕が対面で1時間お話聞いて話を掘り下げて、最終的に5本の映画を選んでカードに書いてお渡しするっていうのを月に一回のペースで3,4年やっています。そういう上映しないイベントは、もうちょっといろんなことをやっていきたいと思っています。

質疑

中山 僕からお聞きしたいことはまだまだ尽きませんが、会場の皆さんも聞いてみたいことがたくさんありますよね。

質問1 安藤さんと有坂さんにはそれぞれ建築について、中山さんには映画について、思うところはありますか? お互い羨ましいと思うところなんかがあればお聞きしてみたいです。

中山 映画という世界の、不完全さを許容できる人間を信頼してるところ、そこがとても羨ましいです。世界にはいいこともそうでないこともあって、両方あるからすばらしい。建築は完璧さや恒久性がいつも求められますが、僕は本当は、諦めの落としどころを定義する仕事なんじゃないかなってよく思います。安全や安心を追及すると、まあいいや、という諦めのハードルをどんどん上げてしまう。そこにいつもジレンマを感じます。お二人の、不完全さを分かち合った先にある経験の豊かさのようなものに、やっぱりすごく憧れます。

安藤 建築ってなんだろうって思うと、コートを思い浮かべるんです。コートは家だって思ってるんです。家みたいなコートじゃなきゃ嫌なんです。家は巣であって、映画館をつくるときも巣づくりみたいなものだと思っていて。館主のヴァイブレーションが中心にドンってあると、そこに共振して共鳴する人たちが集まってくれる。そういう印象ですね。

有坂 中山さんは憧れるって言ってくれますが、僕たちが映画を通じてつくっているのは、非日常の時間です。でも非日常って、日常があるから感じられる。建築家ってその日常をつくる仕事でしょう?
建築は日常の中にあることが羨ましいですね。映画を観ようって思う時点で、非現実のスイッチが入っているんですね。だからこそ届けられるものはあるんですけど。日常的に建物の中に入って何かを感じることを生み出せるっていうことが単純に羨ましいですね。そういうふうに映画でも何かできないかなって考えたりしましたね。

中山 うわあ、なんて嬉しいことを。

質問2 好きな3本の映画を教えてください。
(一同大笑い)

有坂 僕は映画にすごく甘いんです。いろんな楽しみ方ができるじゃないですか。ピカソのように作品としてみることもできるし、自分が仕事で悩んでいたら、それに対して問いを与えてくれるようなストーリーの映画を選ぶこともできる。探せば必ず1個はいいところがあるのが映画のいいところだと思っていて。だから答えるのは難しいですが……。「桜桃の味」(アッバス・キアロスタミ、1997)、「お早う」(小津安二郎、1959)、「グーニーズ」(リチャード・ドナー、1985)の3本でしょうか。

安藤 私も同じように甘いんですが、鉄板は、「ネバーエンディング・ストーリー」(ウォルフガング・ペーターゼン、1984)、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のPV。これは映画です。
それから、「ラブ・アクチュアリー」も大好きです。毎年クリスマスに観たいと思いますもんね。

中山 僕、映画の感想で苦手な言葉があって、「リアル」なんです。だって、つくり物だってことがわかるかどうかと映画のすばらしさって、本当は関係ないと思うんです。むしろつくり物であることに開き直った映画だからこその表現が大好きです。その最たるものがミュージカルですよね。

安藤 私も大好きです。ミュージカル撮りたいんです。

中山 とか言いながら必死に考えているのですが(笑)、うーん、「ウェスト・サイド・ストーリー」(ロバート・ワイズ+ジェローム・ロビンズ、1964)も好きですが、やっぱり一番は「雨に唄えば」(ジーン・ケリー+スタンリー・ドーネン、1952)かな。たった今「リアル」が苦手なんて言いましたが、新しいCG表現も大好きです。ぱっと「インターステラー」(クリストファー・ノーラン、2014)が思い浮かびました。あともう一つは、実はテレビで途中からしか見たことがないのに忘れられないシーンがあって。それはマリリンモンローがアインシュタインにおもちゃを使って特殊相対性理論を説明する、っていうシーンなのですが。「マリリンとアインシュタイン」(ニコラス・ローグ、1985)っていう映画です。

さて、楽しい時間はあっという間ですね。映画館の素敵なところに、観終わったあとにパンフレットを買うっていうのがあります。友達や恋人とカフェやバーでそれを開いて語り合う時間も、映画の楽しみの一部です。ぜひ皆さんもこのあとどこかに寄り道して、今日のお話を振り返りながら、そんな時間を楽しんでくださいね。安藤さん、有坂さん、ありがとうございました。

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2019年6月21日、TOTOギャラリー・間にて
テキスト作成=關田重太郎、根本心
テキスト構成=出原日向子

TOTOギャラリー・間のウェブサイトでは、中山英之による展覧会紹介動画のほか、展示・映画の様子、関連書籍の案内をご覧いただけます。

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