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表裏一体

親友の定義なんてわからないが、コイツみたいなヤツが結果的に親友なんだろうなという友人がいる。

彼女との出会いは幼稚園だった。
小学校時代は1年に360日は会っているよね、というレベルで一緒に居た。
私は人と喧嘩するのがとても苦手で、怒らずに我慢して、最後は唐突に縁を切るというタイプの人間なのだが、彼女は数少ない喧嘩と仲直りができた相手である。

学校に居る時はそんなに一緒にいたわけではない。
「二人一組になって」と言われたときに、彼女と二人で組んだ覚えもない。
お互い違う友達と一緒に帰って、その後彼女の家に通っていた。
家に帰ってもテレビを見ながらずっと電話で話してた。
不思議な関係だった。

私も彼女も幼稚園からずっとピアノを習っていた。
ピアノ教室が併設された幼稚園だったので同級生もピアノを習っている子が多かったのだが、その中でも彼女はひと際ピアノが上手だった。

発表会の登場順というのはなかなかシビアにできている。
上手い下手の評価を面と向かって言われることはあまり無いが、先生が組んだ出番順で序列がわかってしまうのだ。
誰がその学年のトリを務めるのか。
子供たちよりも親や先生たちの方が子供の順位を気にしていた。
子供たちは「順位を気にする大人たち」を気にしていた。
そんな空気に彼女は人一倍鈍感で、私は人一倍敏感だった。

ピアノの上手い下手をはかるのは単純ではない。
ハノンやツェルニーやソナチネの進度が早いとか遅いとか。
練習量が多いとか少ないだとか。
もちろんそういうことも大事ではあるんだけど、努力がいつも結果につながるわけではない。
そもそも子供が努力しようと思って努力なんてできない。
あの頃の私には自分の不愉快の理由なんてわからなかった。

時は経ち、中学生。
私と彼女は一緒にバドミントン部に入った。
同級生は6人で、団体戦に出場できるのはダブルス2組、シングルス1人の合計5人だった。
「一人だけが落ちる」レギュラー争いは熾烈だった。
誰か一人めちゃくちゃに不真面目な奴が居たら平和だったんだろうけど。
残念ながら我々は皆、真面目な子供たちだった。

私は彼女よりもバドミントンが上手かった。
だけどシングルスの直接対決で私が彼女に勝てたことは一度もない。
でも私の方が上手い、ということになっていたのだ。

レギュラーは私ともう一人が固定で、それ以外のメンバーは不安定だった。
私は安定した場所からチームメイトのレギュラー争いを見ていた。

バドミントンの上手い下手と、学校内での立ち位置は関係ない。
だけど中学生なんて部活と学校生活を分けて考えられる程大人ではない。
彼女は中学生になっても相変わらず鈍感で、自分の「好き」を通す人だった。
すなわち中学生のイジメの標的にされやすいタイプだった。

彼女はレギュラーになったり落ちたりしていた。
同じようにレギュラーになったり落ちたりする部員の仲は不安定だった。
そしてレギュラーの私は、彼女に一度も勝てなかった。

星野裕に勝てない月本誠はどんな気持ちだったんだろう。
月本誠に負けない星野裕はどんな気持ちだったんだろう。
ふと、そんなことを考える。

本当は私もピアノがそこそこ上手かった。
彼女が陽だったら私は陰。
発表会であてがわれる曲はいつも彼女とは真逆だった。
だから周りは彼女と私を比較することもなかったし、発表会だっていつも別の日、別の部だった。

私は中学でピアノを辞めた。
彼女はそのまま続けて音楽系の専門学校に進んだ。
私は中学でバドミントンを辞めた。
彼女は高校でもバドミントンを続けて大会に出続けた。

あの時の感情にはもやがかかっていて鮮明には思い出せない。
残っているのは記録されている事実しかない。

彼女は子供らしい子供だった。
私もあんな子供でいたかった。
彼女のことが好きだったんだろうか。
それとも憎かったんだろうか。

彼女が居たから。
彼女が居なかったら。

特技を聞かれて「ピアノ」と答えたことがない。
12年も習っていたのに。

もし、私の人生に彼女が居なかったら。
たまたま置かれているピアノを見つけて「昔、ピアノ習ってたんだよねー」なんて言いながら、昔の練習曲のさわりを弾く。
そんな女になっていたかもしれない。



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