映画『ハケンアニメ』刺され、誰かの胸に。
物語とは「救い」だ。
「ハケンアニメ」を観て、僕はそう実感した。
創作活動をしている人の野望も欲望も希望も、そこには描かれていた。
一方で、甘っちょろい理想だという声も聞こえる。
現実にはありえないという声も聞こえる。
だが、最高だった。
少なくとも僕にとっては、最高だった。
映画なのだ、フィクションなのだ、原作は小説なのだ。
「事実」なはずがない。
だが、誰かが「現実」と誤認するほどに、登場人物たちの「リアル」な内面を描いていたのだろう。
そして、それは映画に登場する人物だけではなく、それを観た僕らの気持ちすらも大きく揺れ動かすほどの「現実」を描いていたのだろう。
ハケンアニメ、物凄く最高だったのでぜひ観に行ってください!
と、ここで話を終えても良い。一区切りというやつだ。
ただ、まだ「ハケンアニメ」を観たことがない人や既に観たことのある同志の方々に向けて、もう少しだけ独り言を書かせていただきたい。
さて、先程から「ハケンアニメ」「ハケンアニメ」と連呼している「ハケンアニメ」とは何か?
「Yahoo! 映画」からあらすじを引用させていただく。
要は、映画である。
アニメを創る映画の実写版である。
原作は辻村深月さんの著書「ハケンアニメ!」である。
余談だが、辻村深月さんの「スロウハイツの神様」は僕の大好きなトップ1-2の覇権を争う小説の一つだ。そこにもクリエイターたちの救いと苦悩が描かれている。その辻村深月さんが「ハケンアニメ!」を描いたというのは、どうしたって納得させられるものがある。
さて、再び映画「ハケンアニメ」の話に戻る。
映画は原作とは多少の変更が加えられているが、それはむしろ演出として素晴らしいスパイスになっていた。悪い意味ではなく、良い意味での原作改変と言える。
描かれていたのは、誰かの「苦悩」だった。誰かの「絶望」だった。誰かの「狂気」だった。誰かの「葛藤」だった。誰かの「覚悟」だった。誰かの「誠実」だった。誰かの「喜び」だった。誰かの「願い」だった。誰かの「希望」だった。全員の「がむしゃら」だった。全員の「本気」だった。
僕は「夢中」だった。
僕らの物語だった。
最高な物を創る。
作品を誰かに届ける。
誰か一人にでいいから刺されと祈る。
誰か一人でもいいから希望を植えつけたいと願う。
物語の誰もが、その想いを胸に嘘のない仕事をする。
最高な物を作るために時には激突する。
時には和解する。
時には誤解する。
時には理解する。
時には汗をかく。
時には涙する。
最後には笑顔になる。
もしかしたら、嗚咽をこぼす。
「良かった……」と呟く。
「ありがとう」と感謝をする。
「ハケンアニメ」はアニメ業界の話である。
だが、アニメに限らず「最高を創ろうとしたことのある誰しも」が経験するであろう、最高の瞬間が描写されていた。
そこで僕らは「ハケンアニメ」を追体験をする。
王子監督を。
斉藤監督を。
行城プロデューサーを。
有科プロデューサーを。
造り手の皆を。
創ることで生まれる葛藤や絶望、恐怖や過去を乗り越えるためには「創ること」しかないと描いていた。
それもまた最高だった。
それだけではなく、「ハケンアニメ」はきちんとアニメとしても「覇権」を争う物を創ってくれた。
「このアニメ、観たい……!!」
純粋にそう思えるアニメが劇場で展開される。
「君を絶望させられるのは世界で一人、君だけだ」
そんなキャッチコピーで始まるサイバーパンキッシュなバイク×魔法少女アニメ。観たくないなんて思ったら嘘だろう、と思える。
映画を終わった後には、1クール、2クールの良質なアニメを観たような気分にすらなっていた。
この熱量でアニメを創ってしまう狂気は、まさに「ハケンアニメ」で描かれる狂気そのものだ、なんてなぜだか顔がニヤけてしまう。
「アニメ映画アニメ」で思い浮かぶ「SHIROBAKO」と同質かつ同量の熱量を感じられる。もちろん「SHIROBAKO」も最高なのは言うまでもない。
来る2022/6/30には「映画大好きポンポさん」の監督との対談もあるらしい。行きたさしかないが、如何せん予定が調整できない。無念。
なお、「映画大好きポンポさん」もまた、クリエイターたち、さらには彼らを理解しようとした僕たちの狂気と希望を描いた素晴らしい作品なので、ぜひご覧いただきたい。
僕の中では2021年のベストアニメです。
いや、「2021年」という冠を付けなくても良い、と思うくらいかも。
さて、そんな「ハケンアニメ」は当初「爆死」と銘打たれていた。
それだけ観客動員が少なかったらしい。
「届けることの大切さ」も説いていた作品が?
「良い物を作るだけでは届かない」と諭していた作品が?
である。
だが、逆説的に「良いものは良い。良いものは届く」ということをやってのけてしまったのだから、それもそれで面白い作品だ。
ただ、決して届けるための努力を怠っているとは思わない。
努力は、公式HPの企画や公式Twitterの活動量、さらには監督・役者陣含めたインタビューの多さなどから伺い知れることだ。
しかし、いずれにせよ「良い物を作る」ということが大前提にあるのだなと感じさせてくれるエピソードだったりする。
そう、良い物を作る。
これは大前提。
こと「ハケンアニメ」に関しては「観客が宣伝マン」になるのも当然だろう。それだけの作品だった。
そう、僕だってこうしてnoteを書く以前に、観終わった瞬間に速攻でTweetをした挙句、20人近くの人に宣伝をして、会う人会う人に「ハケンアニメを観なさい」とさも偉そうな御高説を垂れているのだから。
さて、ようやくこの独り言もここまで来たので、最後にもう一度。
物語とは「救い」だ。
「ハケンアニメ」を観て、僕はそう実感した。
僕の中の絶望を知っているからこそ、誰かの胸に希望を植え付けたい。
誰か一人で良い。
物語が「救い」になる誰か一人に届けたい。
好きを、つらぬけ。
刺され、誰かの胸に。
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