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クワガタムシを何と呼ぶ?甲虫の方言、三重県の場合

はじめに

私はいま三重県の津市に本拠を置いて、記者生活をしています。三重でさまざまな人に出会ったのですが、とても尊敬しているのが松阪市で活動している「まっつぁか弁保存会」の皆さんです。地元の方言を愛する市民グループで「松阪弁を愛し、後世に残したい」とモットーを掲げています。YouTubeで動画配信をしたり、地元の祭りに参加したりと積極的に活動しています。

中でも「まっつぁか弁保存会」の皆さんの活動で、最も興味をひかれるのが、Facebookで公開グループを立ち上げて、地元の方言についての話題をあれこれ繰り広げていることです。前にも書きましたが、私は松阪で育った時期が長いので、いつも楽しく読ませていただいています。
まっつぁか弁保存会 | Facebook

甲虫の呼び方は? 興味深いスレッド

そのFacebookで最近、興味深いやりとりがありました。ある方が「教えてください。カブトムシの幼虫の呼び名は何ですか」とスレッドを立てたのです。スレッドを立てた方が仰るには「津市出身の父が『ジンド』と呼んでいた。まつさかには特有な呼び方があったかな」とのことでした(少し表現に手を入れてます。また、ひらがな表記をカタカナ表記に直したりしています)。それに対し、カブトムシの幼虫だけでなく、甲虫全般の呼び方について、私も含め22件のコメントが寄せられたのです。保存会関係者にも了承を得て、以下の表でスレッドで登場した呼び方などをまとめてみました。

多様な松阪周辺の甲虫の呼び方

図表が小さくて読みにくかったかも知れません。また小学校や町の所在するところは、地元の人でないと理解しづらいかもしれません。作表にあたり多少「この方は松阪市民だろう」とか「この方は松阪市外の人だろう」などとと想像を加えたところもあります。多気町のミヤマクワガタの「ミミ」は、私が今でも連絡の付く同町の知人に教えてもらい付け加えました。また空白部分も本当は呼び名があるところもあろうかと思います。特にカブトムシ雄は概ねカブトだろうと想像します。必ずしも正確ではないかもしれません。もろもろお許しください。

この表を作ってから、松阪市の旧嬉野町(平成の大合併で松阪市に吸収される形となった)に暮らす60代の方に聞いたところ、地元の年配の人はかつてカブトムシもクワガタムシも「ガンド」と呼んでいた、と話していました。記憶の曖昧さはあるものの、多様性のバリエーションの1つだと感じました。決して広い地域ではない松阪市とその周辺でこんなに甲虫についての方言が存在することに驚かされます。

私が甲虫の方言にひかれる理由

松阪市の大河内小学校の校区ではクワガタムシをガモと呼んだ

50代の私が甲虫に関する方言にひかれるのは、父の仕事の都合で多気町の佐奈小学校から松阪市の大河内小学校に転校した経験があったからです。夏の思い出となりますが、佐奈小学校ではクワガタムシをテンカクと呼び、子どもたちで虫採りのことを「テンカク採り」と言いました。それが、車で30分もあれば移動できる大河内小学校に転校したら、クワガタムシをガモと呼び、虫採りのことを「ガモ採り」と呼んでいたのです。県外どころか、県内の遠い地域に引っ越したわけではありません。松阪市と多気町は生活圏が同じ(警察署の管轄が一緒で、買い物に行く店も共通。両市町の中学から両市町にある高校への進学もしばしばみられる)です。それでも、こんなに方言の違いがあるのかと、小学生ながらびっくりしたのです。

「ガモ」の名は蒲生氏郷から?

あくまで私見ですが、テンカクとはクワガタムシのあごを角(つの)に見立てて、天を向いていると考えたのではないかと思います。正確な漢字表記は不明ですが「天角」なのではないでしょうか。テンカクの呼び方は松阪市中心部の幸小学校の校区と、隣町の多気町に見られます。どのような言語の伝播があったのか興味があります。また、私が大河内小学校校区で聞いたガモの呼び方は、根拠のない勝手な想像ですが松坂城の城主だった武将の「蒲生氏郷」に語源があるのではと思います。これも想像ですが、ガモの呼び名は、朝見小学校でのガンマや玉城町、旧嬉野町でのガンドの呼び名とつながっていそうな気がします(或いはノコギリを意味するガンドが、ガンマ、ガモと変容したのかもしれません)。蒲生氏郷は後に会津に移りますが、福島県で「ガモ」などの松阪市周辺につながるクワガタムシの呼び方が存在したら、大変面白そうです。どなたか教えていただきたいです。

津市の甲虫の方言も調べてみた

昔の記憶もあり、松阪市やその近郊の甲虫の呼び名の多様性が面白くなってきました。現在津市に住んでいる私は、少し興味の範囲が広がってきました。津市にも多様な甲虫の呼び方があるのではないか、と思ったのです。そんな期待を膨らませ、中学卒業後に知り合った知人にスマホで連絡を取りまくりました。すると意外なことが分かったのです。甲虫の呼び方は現在の津市の市域では、松阪ほども多様ではなかったのです。

津市中心部に住んでいた高校の同級生(それぞれ新町小学校と養正小学校に通っていた)によると、クワガタムシとカブトムシには、一般名詞としては特段に別の呼び名はなかったとのことでした。津市に平成の大合併で吸収される形となった旧河芸町や旧一志町も同様でした。ただ多少の例外はあり、津市郊外や一志町の一部で、ノコギリクワガタの小さい個体を「スイギュウ(水牛)」と呼ぶケースがあるようです。

「ガンド」をめぐるグラデーション

現在の松阪市との境に近い、津市の旧久居市須賀瀬地区に住む知人からは、カブトムシのことを「ガンド」と呼び、ノコギリクワガタのことを「ノッコン」と呼ぶとの証言も得られました。津市中南部出身の友人からはガンドについて「それ聞いたことかあるかも」との声がありました。もしかすると、昔津市内でもガンドの呼び名が使われていた可能性があるのかもしれません。ただ、玉城町で「ガンド」はクワガタムシ全般を指していたのに対し、そこから北にある旧嬉野町ではクワガタムシもカブトムシも「ガンド」と呼び、旧嬉野町のすぐ北にある旧久居市須賀瀬ではカブトムシを「ガンド」と呼ぶことが今回のリサーチで分かり、言葉のグラデーションが感じられました。

県内全域にヒアリング

さらに私の関心は広がっていきます。松阪市や津市以外で甲虫の呼び名はどうなっているのでしょうか。市役所の方など、仕事で世話になった方々に、業務の確認事のついでにクワガタムシに絞って(時間的な負担をかけないためです)別の呼び方はないか質問してみました。すると、桑名市、四日市市、亀山市、伊勢市、鳥羽市、志摩市、尾鷲市の方々はそろって「クワガタムシにはほかの呼び名はない」との回答でした。一番驚いたのは、鳥羽市役所の担当者が市内の離島である答志島の出身者にも確認したところ、やはり「クワガタムシにはほかの呼び名はない」との回答だったことです。お伊勢参りや熊野古道の街道づたいに街が形成された三重県は、きっと甲虫をめぐる方言に多様性があると考えていましたが、ヒアリングの結果は予想とは異なっていました。

しかし、全県的なヒアリングの中で、新しい発見が得られました。三重県の南部に位置する熊野市です。同市の住民からはノコギリクワガタのことを「ババクワガタ」か「ドロップ」と呼んでいたという証言を得ました。松阪近郊では雌のクワガタを「ババ」、雌のカブトムシのことを「ババカブト」と呼ぶとの指摘がありましたので、熊野市の方にも「ババクワガタとは雌のことですか」と聞いたところ、雄も指すとの返事でした。また、「ドロップ」という名前については、比較的近年生まれた呼び方ではないかという印象を受けました。

ちなみに、熊野市の南隣にある御浜町に住む人に聞いたところ、「クワガタムシにはクワガタムシ以外の呼び名はない」との返事でした。ババクワガタやドロップという別名が幅広く熊野市周辺に浸透しているわけではなさそうです。

伊賀と甲賀、「ゲンジ」でねじれ

三重県西部にあり、京都や滋賀、奈良に府県境を接する伊賀市からは、新たに貴重な証言が得られました。同市の担当者はわざわざ、庁内幅広くに聞いて下さり、現在70代の岡本栄市長から直々に「クワガタムシを『ゲンジ』と呼び、カブトムシを『ヘイケ』と呼ぶ」との証言を集めてくれました。50代の別の職員もその言葉を聞いたことがあるとのことでしたが、それらの確認をして下さった40代の担当者ご自身は「私自身は、クワガタムシやカブトムシの別名を知りません」とのことでした。

三重県から少し県境を超えてみると、また興味深いことが分かりました。滋賀県に住む知人は「甲賀市の旧土山町では、カブトムシの雄のことを『ゲンジ』といい、赤い体色のノコギリクワガタを『アカヘラ』と呼ぶ」と指摘していました。私の転記ミスなどでなければ、すぐ近くの伊賀市でカブトムシを「ヘイケ」と呼んでいたのと真逆となります。伊賀と甲賀は忍者の世界でライバル的に描かれますが、このカブトムシとクワガタムシの別名をめぐるねじれには興味深いものがあります。

岐阜ではクワガタムシを「カブト」

さらに三重県の北隣の岐阜県の方にもヒアリングしました。各務原市の50代の知人は「自分は使わないが、父親に聞いたところ、カブトムシのことは『男カブト』といい、クワガタムシは『女カブト』と呼んでいたそうだ」と教えてくれました。以前取材でお世話になった岐阜大学副学長で岐阜県内の方言を研究している山田敏弘教授によると、同県揖斐川町の旧久瀬村ではクワガタムシのことを「カブト」と呼び、カブトムシのことを「タイコー」と呼ぶそうです。私見ですがタイコーとは太閤の意味でしょうか。また同県関市でもクワガタムシは「カブト」と呼ばれているそうです。山田教授によると、広いエリアで(クワガタムシを)「カブト」と呼ぶ例がまだあるかもしれないとのこと。すべてを把握しているわけではありませんが、三重県と岐阜県では甲虫をめぐる呼び方がまた違っているように思えます。

最後に 甲虫の方言を忘れない

三重県を中心に、甲虫の別名を概観してきました。お手軽なヒアリングをしただけなので、報道的価値も学術的価値も低いだろうと自覚しています。間違いや「私も三重にゆかりがあるが、こんな甲虫の別名を知っているぞ」といった漏れのご指摘もあるかも知れません。

そのうえで、今回の執筆にあたって感じたのは、甲虫をめぐる方言がどんどん消滅しているのではないか、ということです。ヒアリングを通じて「自分は使わない言葉だけど、祖父が話しているのを聞いた」といった言葉をよく耳にしました。甲虫の別名は、恐らく地域の子どもたち、それも男子の間で共有されてきたと思います。岐阜大の山田教授からは「学校の中の方言」というものが存在する、と教えていただいたことがあります。例えば、岐阜の小学校では計算ドリルを「ケド」と呼び、漢字ドリルを「カド」と呼ぶそうです。隣県の三重では通じない言葉です。それと同じように、放課後の男子小学生が共有してきたのが、甲虫の名前にちなんだ方言だったと思います。

ただ少子化が進み、甲虫を捕まえにいく子どもは減りました。甲虫を手軽に

クワガタムシは採るものから買うものとなった

捕まえにいける里山も、開発や手入れの担い手不足で少なくなったかもしれません。そもそも昆虫はホームセンターで売っているのを買うもの、という認識が広がっている可能性もあります。店頭の甲虫の商品名に「ガンド」や「テンカク」などが付けられていることはまずありません。

言葉は生き物であり、常に変化します。役割を終えた言葉は静かに消えていくのかもしれません。それでも、かつて自分たちが暮らした地域に、子ども社会を彩った甲虫の方言が存在したことを忘れずにいたいと思います。

追記

配信後に岐阜大の山田教授から、ガンドとは「大鋸のノコギリを表すことば」と教えていただきました。なるほどと思いました。松阪市大石の出身の方、旧飯南郡山間部に親戚のいる方からも「ガモの言葉が使われていた」との指摘をいただきました。特に大石出身の方からは、「ガモはカブトムシに対しても使われていた」との証言をいただき、新しい視点を頂戴しました。

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