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「おいしいもんはな、1個や2個食べただけれはわからへん。」

これは政令指定都市にある大学付近で、昔から大判焼き屋さんを営むとあるおいちゃんのおはなし。

おいちゃんとの出会い

いつものように大学での授業を終え、普段持参しているパンを忘れてきたことに気付いた昼休み。以前から気になっていた付近のパン屋さんに行こうと志すも、不運にも定休日だった。仕方なく他を探していると、これまた以前から気になっていた大判焼き屋さんが珍しく開いていることが分かり、迷わずそこに向かった。

おいちゃんとおばちゃん

値段を見ると一つ100円。他にも10個入りのたこ焼きが400円で売っている。とにかく安い。

「ここの大判焼き、あんこがぎょうさんはいってんねん、見てみ。」
「冷めてもホンマ美味しいねん。」

おばちゃん、そこそこ遠いところに住んでいるようだが、大判焼き屋さんの目の前にある区役所に通う度に買って帰るらしい。まずは一つ買ってみよう。うん、美味い。あんこの甘みがきつすぎず、いい甘さだ。ぺろりと食べ、満足していると、

「おいしいもんはな、3個4個食べてみて、初めておいしさが分かるんや。ぎょうさん食べてもおいしいもんはおいしい。1個2個ではわからへん。」
「ほれ、おばちゃんが買うてやるわ」

終戦直後を生きたおいちゃんとおばちゃん。食べられない時代を生きたからこそ、たくさんおいしく食べられることに幸せを感じるそうだ。申し訳ないと思っていたが、「これも何かの縁や」と親切にも言ってくださるおばちゃんに追加の2個をごちそうになった。最後まで飽きずに食べられた。満足。さらにたこ焼きまでごちそうになった。おばちゃんには頭が上がらない。

「お客さんの喜ぶ顔が見たいねん」

おばちゃんが帰った後も、たこ焼きを食べながらおいちゃんに話を聞いていた。

おいちゃんは御年84歳。戦争の時代を経験した、今となっては数少ない方だ。アレルギーのためコロナのワクチンも打てないらしい。もともとおいちゃんは、呉服屋に勤めていた。ふとおいちゃんが立ち上がり、ある写真を手にもって戻ってきた。

「これ、チャップリンがお忍びで来てた写真や。おいちゃんが案内してん」

呉服屋での集合写真とチャップリンとおいちゃんが写った写真。誇らしげに語るおいちゃんからは、哀愁すら感じる。その後、自身の大判焼きへの愛が抑えきれず、30年以上前から現在のお店を持つようになったという。

「10年前くらいかな、店辞めようと思っててん。」
「でもな、お医者さんがやめんほうが健康にええ言うし、何より遠くからあの味が忘れられへん言うて来てくれるお客さんを笑顔にしたいから今も続けてるんよ。」

最盛期は1時間から1時間半待ちの行列ができたというおいちゃん。今でこそ人数は減り、体力の衰えと共に営業時間も10時から16時までと大幅に短くしたようだが、それでも日曜日には遠くからこの味を求めてきてくれる人が多いという。僕自身、普段大学に行き、帰ってくる時間帯にはいつも閉まっていたので、いつ開いているのかわからなかったが、これで空いてる時間に狙っていけそうだ。

ちなみに、値段は創業当時から変えてないらしい。お客さんから20円や30円値上げしてもええんとちゃう?と言われることも多いようだが、おいちゃんはお釣りの計算がめんどくさいからとずっと同じ値段を続けているらしい。しかしその背景には、学生に、地域の人に、昔からの常連の方に、いつでも食べられる手軽な価格で楽しんでほしいという思いがあるのだろう。

仕事はなあ、

おいちゃんの話は、多様な経験を積んできたからこそ、随所に深みが見られる。特に印象的だったのは仕事観の話。

「仕事はなあ、誰かの役に立っていると実感できるものを言うんや。」

戦争を乗り越え、呉服屋での修行を経て、今も毎日大判焼きを焼き続けるおいちゃんの人生観がにじみ出る言葉。それは「他者貢献」や「自己実現」といったことばには集約できないほど深いものを感じる。

気付けば1時間半も話していた。そろそろ次の授業が始まる。帰り際、思わず「また来ます」という言葉が、社交辞令でもなんでもなく心の底から湧いて出てきた。

人のつながりを求めて「地域」をめぐっていたのに、まさかこんなところで「地域」を知るなんて。

目の前は大通りで、多くの車が目まぐるしく通っていく。

目の前の歩道も、こんな小さなお店に目を止める暇もなくせかせかと駆け抜ける人々が多い。

そんな中、こうしたお店を見つける余裕と、偶然が連続で重なったおかげで出会うことができた。

これも何かの縁だと思って。

これは特別な地域でもなんでもない、「普通」の大判焼き屋さんのお話。

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