見出し画像

学級歌

学級歌。

メガネ外しなさい。
これは平手打ち、つまりはビンタの前に必ず先生が僕に言ったセリフ。

小学6年の頃の僕は、とにかくほぼ毎日怒られた。まじで。笑。何人かはよく怒られていたけど、No.1だったと思う。
 授業中に突如、読んでいたマンガのシーンを再現したくなって、立ち上がって右手を、高々と掲げたり、大好きだった、夢で逢えたらのコント、特にちちくりマンボの真似を急にしはじめたりするような奴だったので、落ち着きがなかったのは間違いない。4年生の頃は教室の窓から、外に向かって光GENJIを熱唱していた。

 教壇の横に置いてある、先生用のネズミ色の少し大きめの机。そこに呼ばれては小一時間ぐらいは毎日毎日怒られていた。説教である。
 その時の先生のポーズは決まっていて、肘をついて顔を少し傾けながら、僕の方をみて、なにかしらおっしゃっていた。が、内容はほぼ覚えていない。コーヒーの匂いがしてたな。

僕はとにかく文句の多い人間で、帰り道では友達と必ず先生の文句を散々いい散らかしてから帰宅していた。
 いま、思えば不思議ではあるけど、だからといってその先生が嫌いで嫌いで仕方ない。なんて事はなかった。
好きではなかったけど、嫌いでも無かった気がするな。
 
先生といえば、宿題が多くて有名だった。
そしてそれをやってこないと、必ず提出させていた。まづノートの冊数を数えるんですね。クラスの人数に満たない場合は、
だしてない人、正直にいいなさい、と。

他にも長ズボン禁止令が敷かれたり、なかなかにパンチの効いた方ではあったな。
「半ズボンなんて履けるのは今のうちで、どうせ長ズボンしか履かなくなるから、小学生の間は半ズボンを履きなさい。」
という教えで、長ズボン履いてきた子は怒られていた。その親と先生の間で論争らしきものもあったとかなんとか。
 ちなみに半ズボンというのは、あの頃は今で言うハーフパンツの丈感ではなく、ホットパンツフィーリングである。(写真参照)
 しかし、大人になって考えると信念だったのかもしれないし、すごい情熱だったのかもしれない。なかなかそこまで徹底できないよね。

と、ここまで書いて、すでにものすごく懐かしいし、どうか元気でいて欲しいなて気持ち、担任していただいてありがとうございました、という気持ちがどんどんでてきてびっくりしてます。

たくさん怒られた中で、覚えている事がいくつかだけある。
 ちなみに、メガネ外しなさい。
は、理科室で一回。後は教室で二.三回。あったと思う。理科室の時は先生泣いてたと思う。

ある時、学級会の時間に、クラスの歌を作ろうということになった。学級歌と呼んでいた。
曲はその時の先生のお気に入り、
爆風スランプのRunnerだ。
そう、あの、

走る〜走る〜俺たち♪である。

歌詞を自分達で決めていこうというのだ。
ようは替え歌である。
たしか、一行ずつ、
ここは、何かありますか?他にありますか?
みたいな感じで、学級委員長が司会をしながら多数決をしながら決めて行ったと思う。

どれくらいの時間を費やしたかも覚えていないけど、相当大変だったと思う。
そして、ようやく完成した歌詞。
全く覚えていないが、サビだけははっきりと覚えている。

走る走る俺たち

進む進む僕たち

と、
なったのだ。


いや、
もうそのままでいいよね。


そんな学級歌が事あるごとに歌われるようになるのだが、3回目ぐらい、割とはやい段階でみるみるクラスメイトのテンションはダウンしきって、ほぼ誰も歌わなくなった。
 完成に時間がかかりすぎて、この曲自体の流行がすぎていたのかもしれないし、そもそもみんながこの曲が好きだったかは定かではない。

音はカセットで、カラオケのテープをたしか先生がさがしてきてくれたと思う。
その日は、ぼくがその再生ボタンを押す役目の日で押したんです。
テテテテーン、テテテテーン♪
 ゴキゲンなイントロとは裏腹に、生徒達は伏し目がちになっていき、曲はクライマックス。そして静かに停止ボタンをガチャ。

そんな様子を見て先生が言いました。
「どうして、歌わないんですか?」
ピリリと張り詰めた空気の中、僕はいいました。
「もう、みんな飽きたんじゃないですか?」
と。

「みんなで決めたのに、飽きるなんて事あるんですか!?
そんな事あるわけない!歌いなさい。」

その後、みんながどれくらい歌って、その学級歌がその後どうなったのかは全く覚えてないが、その日は当然呼ばれて、ずっとずっとお説教していただいたと思う。
 ほんとにどうでもいいけど、僕は間違えてないと思う。笑。


クラスの子達はいろんな子がいたけど、わりと皆仲良かった。あるいみで、先生がみんなの嫌われ役でいてくれたから仲良くできてた部分は少なからずあったと思う。


今から、もう32年も前の話。(正確には1989年の話)
先生があの時いくつだったのかわからないけど、どうか元気でいて欲しいな。
 方向の是非なんてのは問題じゃなく、真剣に接してくれた事はほんとにありがたいなーて。
濃い分、今は、より面白い。
 
誰がとか、何がとかよりも、
出会ったほとんどの人へ、
ほんまありがとうなー、
て思う位には年をとったな。


おやすみなさい。
明日もみんな元気に。
2020/3/10 26時36分 自宅にて

....
別ブログに書いた物を後日、加筆、修正したものです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?