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もうすこし若い時なら
自分ならこう。こうしたい。こうするんだ、ていうのが好きで、そうじゃなきゃとも思ってた。し、今でも好きなのはまちがいない。

けれども、大概の事の答え、すくなくとも思考の最適解を導くにあたり、要する時間がどんどんと減り、結局の所、現状があって、それで自分はどうするのか、努力するのかしないのか、と言う所に行きついて。

だからというわけでも、たぶんないけど、ただただ、こう感じる、ただただ、そう在る、ていうような事を近頃はしばしば思う。

先日のLIVEで弟のLIVEを見に来て、全力で楽しむ兄、翌日、弟の為に料理の腕を振るうおにーちゃん、という関係を近いところでみせてもらって。
なんだか男兄弟ていいもんだなーと。


僕には、親戚のおにーちゃんがいた。
いくつ上だったかな、7.8こだったと思う。優しくて、よく相手してくれて、ときどき僕をからかって遊んでたな。
 そんな長い時間一緒にいたわけじゃないけど、遊びに行けば遊んでもらってたし、一時期うちの親の店(美容室)を手伝いに来てくれてたこともあって、ほんとにおにーちゃんみたいだった。
 シャンプーしながら、学校帰りの僕の方をみて微笑んでくれた顔、よく覚えてる。

 釣り吉三平とバリバリ伝説ていうバイク漫画が好きだった。
 コミックが入ってる、あれなんていうのかな、ガラス扉みたいなやつを押せば開いて中に収納できるやつ。
そのガラスに釣り吉三平のステッカーが貼っていたと記憶してる。

優しさが顔にでていて、どちらかというと薄めの顔立ち。
写真でいえば、プールでとった写真が1番記憶深い。髪型は当時のいわゆる、パーマネンツヘアーだ。
 そして仏壇の写真。

バイク事故だったけど、小学生だったぼくはなんだか現実味がなく、知らせをうけた母親が泣きながら、布団をたたんでいたのをいまでもはっきり覚えてる。



思えば、親が自営だったこともあってか、〇〇にーちゃん、と呼んでいた人は何人かいたし、今思えば、すごく可愛がってもらっていたと思う。
 その中の1人、Kにーちゃんにはとくに、遊んでもらってた。
 焼肉連れてってくれたのがすごいうれしくて。すごく美味しかったな。
その事を結婚式の時、作文にして読んだ。こんなに美味しいので食べたことない!て思った気がする。
小学何年だったかな。
それと、誕生日の当日にプレゼントを家まで持ってきてくれたんやけど、ぼくは家族とでかけてて、家にいなかった。
たしか親に、エキサイトバイク というファミコンのカセットを買ってもらった日だと思う。
 Kにーちゃんは2.3度訪問してくれたみたいだったけど、帰りが遅くて、会えず。  隣の人にプレゼントを預けてくれてた。その時、なんともいえず寂しい気持ちでいっぱいだったな。手紙も書いてくれてた思う。会って受け取りたかったな。



全ての思い出を愛おしいと感じるくらいには年とっている。


年々、余計なものが削げ落ちて、どんどんと素直な自分でいられるようになってくる。
 だからなのか、どうなのかは、はっきりしないところだけど、最近は年上の方と仲良くさせてもらう事が増えたなーとただ、なんとなく思ってる。


母親が、亡くなる前の年、骨折して入院し、お見舞いに行った時、

あんたこれからどうしたいんや?
と、問われて、
もっと自由に生きたいねん。
と、言う僕に
あんたみたいに自由に生きてる人おらんわ
と。

実際はそんな事ないだろうけど、
好きに自由に生きてるとはおもうし、もっと自由にとも思ってる。

そんな僕、と仲良くしてくれたり、面倒みてくれたり。ほんとにほんとにありがたいし、嬉しい。

そして昭和産まれの男としては、
男子の本懐をとげて
ちゃんと返したい。

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