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コハルの食堂日記(第5回)~ゲームにハマる青春②~

 昭和五十三年夏、東京。

 この頃、この年に発表されたばかりのアーケードゲーム「スペースインベーダー」が学生ら若者を中心に絶大な人気を誇っていた。
 何せ、昭和五十三年。まだファミコンだとかいう家庭用ゲーム機の登場する前のハナシである。また、このゲームのヒットが走りになってゲームセンターなどが全国各地に広まるようになったのである。

 都心の学生街の一角にある、この喫茶店にもスペースインベーダーのゲーム機が早速取り入れられ始め、大きな人気を呼んでいた。例年以上の猛暑極まる日々が続く時期。一般家庭には、冷房機はまだ本格的に普及はしていなかった。蝉の鳴き声が響き渡り、アスファルトの路面から陽炎が揺れる屋外から一歩、冷房の効いた店の中に入ると、まるで天国のような涼しさだ。

 店主が先代の人間だった数年前までは、雰囲気のよさを謳っていたはずのこの喫茶店。当時は学生カップルに人気の店ではあった。だが、現在の店主は雰囲気の良さなどのこの店が伝統的に持ってきたものを大切にするよりも、更なる利益を追求するために、流行に敏感になりそれを取り入れるタイプであるのだ。今ではこの店の中の半分以上のテーブルが、スペースインベーダーゲーム用のテーブルに取って代わられていた。そして、ゲーム目当ての客が毎日のように朝から列を作ってこの喫茶店の開店を待っていた。

 米倉勲という青年もスペースインベーダーに夢中になっていたひとりである。一見真面目そうな学生に見える勲。細身の身体に弛んだTシャツをまとい、無精髭の伸びきった顔に眼鏡姿の勲。
 勲は毎日のように席を確保するために、暑い中だが開店前から並んでいた。そして、今や勲のゲームの腕はこの喫茶店の常連さんの間でも一、二を争うものとなっていた。
 多くの客がスペースインベーダーを利用したいと思っているので、店員は客それぞれに長時間の利用を控えるようにと声掛けしていた。特に勲のように毎日のように時間を忘れてプレイを続ける客には。

「お客さま、いつもご利用ありがとうございます」
 今日もまたハイスコアをたたき出したところの勲にそう声を掛けたのは、この喫茶店のアルバイトである二十四歳になった金子春子だった。秋田から上京してきて今年で七年目の「夢追い人」の春子は常連だけれど、まだ名前すらよく知らない勲に、そろそろインベーダーの席を他の客に譲ることを催促しようと声を掛けたのだった。その言葉にも黙ったままの勲に春子は更に声を掛ける。
「相変わらず、上手いですねぇー」
 勲は黙ったまま、自分のイニシャルをハイスコア達成者として登録していた。そう、「イサオ・ヨネクラ」だから、もちろん「I・Y」なのである。

 春子は更に声を掛ける。
「I・Yさんは学生さんですか?」
 勲はそれに対してちょっとはにかみながら答える。
「え、ええ、東京工業大学の……」
「え、東京工業大学!?」
 春子はこのゲーム狂いの無精髭姿の若者が、難関の東京工業大学の学生であることに驚きつつ、答えた。そこで勲から春子に、なんとなく申し訳なさそうに言葉が返ってくる。
「……浪人生です……」
「……あれ、まぁ! インベーダーばかりしていたら来年も浪人しちゃいますよ!」
「……よ、余計なお世話ですよぉー。ここでも待ち時間とかに英語の単語帳とか読んでますから!」
「はい。でも、次のお客さんがお待ちですから。どうかお客さまどうし早めの譲り合いをお願いします。ね、山田一浪さん?」
 ここは口調をはっきりとさせて答えた春子。I・Yのイニシャルを文字って「イチロウ・ヤマダ」と仮称を付けた。もじもじしながら答える勲。
「……い、一浪じゃないすよ。今年で二浪っすよ……」
 そう、昭和五十三年度当時、勲は東京工業大学への入学を目指しての、いわゆる浪人生という立場にあったのだ。しかも浪人二年目である。
 そのことを知った春子は答える。
「おーい! このままだと三浪しちゃうぞー!」
「そ、それだけはご勘弁です……」

 春子と勲。店員と客として顔は知り合っている間柄だったが、やりとりらしいやりとりはこれが初めてであった。そして、勲のイニシャルがI・Yであることを春子が把握している以外、お互い名前はまだ知らなかった。
 それでもお互いに微かだけれど、想いらしきものを抱いていたのではあった。いつものように接するお客さんに対し。いつものように接してくれる店員さんに対し。

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