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Photo by
yokoichi
エモーショナル
街を歩いていると
人の顔を認識して、捉えた時
なぜかその人が 怒り狂ったり、泣き崩れたりする表情がパッと浮かんできて
具体的に脳内にイメージしてしまう
ちゃんとその人の顔で明確に。
街歩く人、全ての顔に対して思うわけではない
自己分析してみたら
「人の顔には、何かが書かれている」
ということなのかもしれないなと思うようになった
街を歩いていると、ごく稀にびっくりするほど、死んだ顔をしている人がいるけれど
そういう人からは、喜怒哀楽のイメージも湧かず、ただただ暗い何かを感じるだけだ
目は口ほどに物を言う
という諺がある
目と口がついてるから、顔は総合的に語ると思う
「人の本性を知りたい」
道ゆく人は赤の他人。
仲良くなることなく通り過ぎていく。
もしかしたらエモーショナルな部分を知りたいのかもしれない
他人が感情的に何かを伝えようとした時に、信頼だったり、心のドアを開けられたと思うから。
逆にドアが閉まる瞬間もあるけれど。
でも、数ミリでもどちらにせよ、開くんだけどね。
他人に興味があるからこそ、赤の他人に脳内イメージを張り付けて妄想してみるという作業が起こって、たまにフィルターを外して何も感じないように眼鏡を外すこともある
今は皆、マスクをして、人と触れ合わないように距離を保って、行き来している
目でしか会話できないこともある
その目が何かを語っていたり、何かの情熱を灯していたり、あるいは何も感じてなかったり
都会を歩くことで孤独を感じたり、ブレたような世界に見える時
もしかしたら、エモーショナルな時を求めているのかもしれない
そんなことを思った午後