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第43回 「総体としての準備金」概念の誕生へ。reserves から reserve への話①

 「資本論-ヘーゲル-MMTを三位一体で語る」の、第43回。


 このところ何度も取り上げているのですが、MMTの原点であるモズラーの気づき。

It's just a glorified reserve drain!

  この件だけですでに三回書いていました(笑)
 ここここここ

これを着ている人が居たらそれはワタクシ

 今朝のことなのですが、ワタクシこれに関連して哲学的、社会学的、言語論的、文明論的、人類学的に面白い発見をしてしまった気がするので、気ままに書いてみようと思います。

 a glorified reserve drain の a こそがポイントなのではないか、ということです。

 アリストテレスの形而上学に次の一節があります。

かくしてこれらすべてのものにおいて、尺度や原理は一にして不可分なる或るものである。すなわち線においても一プースの長さにおけるものが不可分割(アトモン)なるものとして取扱われている。

 アリストテレス『形而上学』

 ヨーロッパ語で思考を組み立てるときに「それ」が単数なのか複数なのかは重大な違いがあります。

 だから西洋哲学はこの言語的な特徴に支配されるところがあります。

 そして皆さんやワタクシが生きる日本語圏も、これと無関係ではいられません。

 なぜなら法をはじめとしたわたしたちの社会システムは、もはや彼らの言語の上に立脚するものになってしまっているからです。

 …と抽象的なことばかりではどうせ誰にも読まれない文になってしまう。

 そこで具体的な本題に入りましょう。


「潤沢な準備」レジーム(ample reserves regime)

 ここ数年(2019年から)アメリカの金融政策はハッキリと「潤沢な準備」レジーム(ample reserves regime)に突入したと語られます。

 日本の内閣府が2020年2月に公表した「米中貿易摩擦下の世界経済と金融政策」という文書の中では、こう書かれています。

https://www.federalreserve.gov/econres/feds/files/2020020pap.pdf

 おや?
 reserves でなくて reserve と単数形になっている。

 ふうむ。

 ここを読んでくださっている方はリザーブの意味はご存じという前提で進めますが、よかったらこちらを。

 アメリカの公式文書ではどうでしょうか。

 よく引用されるのは、2020年1月のこれです。

https://www.federalreserve.gov/econres/feds/files/2020020pap.pdf


 この4.4節は ”A Simple Criterion for Optimal Reserve Supply in an Ample Reserves Regime" と、複数形が採用されています。

 うんうん、やっぱ準備金という意味でのリザーブは複数形の reserves が自然だよなというイメージ。

「最新の金融政策」プロパガンダと英語が読めない経済学者

 今後マクロ経済学の教科書は、英語の教科書を筆頭に金融政策の記述はこの「新しいレジーム」が前提になっていくはずです。

 で、世間のごく一部の金融政策オタクの間だけで話題になったFRBの連中による2020年10月のペーパーがあるんです。

 タイトルは "Let's close the gap" (ギャップを埋めよう)。

 これを先月シラカワスキーさんが和訳なさっています。

 このペーパー、ワタクシも先月、英語が読めないことで定評がある朴大先生のXでも見かけていたやつ!

 朴先生と言えば、ワタクシにとってはこのような。

 これ、非常に示唆的な現象だと思うんですよ。

 英語が読めないことで定評がある朴先生は、FRBのご説明を擁護する。

 他方、MMTはFRBの説明なんか、ちゃんちゃらおかしいくて臍が茶を沸かすという立場。

 主流シナリオに対するMMTのシニカルな立場はワタクシがこちらで説明した通り。

 英語ができないことにかけては人後に落ちない彼の、上の発言をよく味わってください。

 たかだかFRBのペーパーを通信簿として教科書を評価できると本気で思っている。

 どういうことか?

 彼がMMTを理解しない(=ワタクシの訴えを論理的なものではなく、誹謗中傷と見做す)というそのことが、MMTのメッセージは彼にはまるで届いておらず、主流の思想誘導にほいほい追随する人物だということを露呈させている。

 どんだけ曲学阿世?

 学者としての矜持みたいなもの、ないの?

 あははー

 さて、以上は前振り。

われわれは歴史の転換点に立っている(と思う)

 いみじくも、やはりいまいちMMTを理解しない石塚さん(と言っても朴とは違ってかなりマトモ)も、この言葉に注目されていました。

 同感。

 このレジーム転換が、ある意味歴史的なものになるはずです。

 それは、複数形の "ample reserves regime" が脱皮を遂げて、単数形の "ample reserve regime” として結実する過程。

 ワタクシにはそう見える。

金利カテゴリーの最終形態?

 実は今朝、なんとなくその "Let's close the gap" (ギャップを埋めよう)論文を眺めていて、おもしろいことに気づいた。

 こういうことは、ふつうはない。
 同じ筆者が、単数と複数を混在させている。
 日本人の英語じゃあるまいに。

 これはまさに、単数形としての準備預金、つまり「総体としての準備預金」という概念が、無意識のうちに成立しつつある時代にわれわれが立ち会っているということではないでしょうか?

 そう見える。

 このことをワタクシはすごく面白い現象だと楽しんでいると同時に、この展開はそれ自体恐ろしいことだとも思っている。

 マルクス的に言うと、剰余価値の現象形態である金利が、ついに完成された経済学的カテゴリーとして出現しつつあるということ。

 恐ろしい。

 というわけで、このことを三回くらいに分けて書いてみようかなと思い立ったのです。

 ではまた!

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