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匿名「お前は学生時代何を頑張ってきたんだ?」

青年「学校を卒業した。」

匿名「学校を卒業しただ?そんなこと当たり前のことだろwwwそれは頑張ったとは言わない。」

青年「じゃあ、具体的に何をしたら頑張ったことになるんですか?」

匿名「そりゃあ、お前あれだろう。例えば良い大学に入ったり、生徒会長になったりとか・・・そういうのだろう。」

青年「つまり学校に行き、そして卒業することは前提で、そこに付加価値を創り出す必要があるということですね。それでやっと"頑張ったこと"になると?」

匿名「ああそうだ。その通りだ。ただ学校に行くことなど誰でもできるだろう。そんなことは凄くはない。」

青年「世界が狭いんですね。」

匿名「は?」

青年「世界が狭いんですよ、本当に。大抵のことは断定なんてできないんですよ。それなのにあなたは断定して他者を判断する。人間関係が希薄な私ですら分かることですよ?」

匿名「いや、これは客観的事実だろう。学校に行き、そして卒業する。それだけで社会的評価が得られると思うか?残念だが、世界はそんなに甘くはない。プラスを生み出さなきゃ評価はされんのだよ。お前はマイナスをゼロにしただけだ。」

青年「つまりあなたは社会的評価が絶対正義であると・・・奴隷根性極まれりですね。」

匿名「お前はまだ若いからそう言うだけだな。社会に出たら分かる。」

青年「まあ、そうかもしれないですね。ただ、あなたは社会的自己と本来的自己を分離できていない。つまり社会が求める自己に溺れて、本来の自分が死んでしまった可哀そうな人なんですよ。」

匿名「だからといって事実が存在することには変わりがないだろう?マイナスから0にしたところで評価はされない。その事実は確かに存在する。」

青年「それはそうですね。確かにマイナスを0にしたところで評価されることはない。しかし、それをその人の頑張りとして評価しないのは人としての浅さの表れだと私は思います。まあ、肯定はしなくてもいいですが、否定をすることは明らかに悪意がありますよね。」

匿名「悪意ではない事実だ。私は事実を言っているだけだ。」

青年「いや、その事実をわざわざ言うこと自体が悪意に基づくものでしょということを言いたいんですが・・・あなたがしたいことは根本をたどれば単なる憂さ晴らしなんですよ。自分も過去にそうされたからお前もそうされろ。そういうことをしてるんでしょ?」

匿名「仮にそうだとして、それの何が悪い。」

青年「別に悪いと言ってるわけではないですよ。善悪の議論をしたいわけではないですし。ただ、裏にあることを汲み取らずに表の情報のみで判断する、その思慮の浅さを指摘しているだけです。」

匿名「ではどうすればいいのだ?」

青年「評価が必要になる場面っていつですか?日常生活で数多くあるものではないですよね?評価が不要の場面で人を評価することの愚かさを私は説いているんですよ。何も社会的評価を完全に否定しているわけではない。社会的評価がなければ成り立たない世界もありますから。ただ、必要のない場面で無理に評価をするのはどうなのかということを言っているんです。」

匿名「・・・」

青年「勿論、評価を完全に取り去ることはできないと思います。強弱を見分けることは原始からの本能ですので。ただ、人として、相手を最低限慮るということをすべきではないか・・・そう思うだけです。別に有益になろうとしなくてもいい。ただ、故意的に有害に振る舞うのはどうなのかと・・・」

匿名「何から何まで甘い考えだな。まあ、いい。今日は面白い会話ができて良かったよ。じゃあな。」

青年「もう暗いですので、背後にはお気をつけて。ありがとうございました。」

匿名はあざけり笑いながら、夜道へと消えていった。



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