深淵への誘い

知るな。見るな。聞くな。

この扉を開けたものは総じて帰還しなかった。深淵に導かれ、彼らもまた深淵を望むようであった。

何も見えず、何も聞こえず、何も感じとれず。感覚という感覚が遮断され、自己の存在すらも危うくなる。

迷うな。

扉を開けるのであれば開ければ良い。そして一歩一歩、噛み締めながら足を進めるのだ。消えて無くなるその日まで。

狂え。狂うのだ。

君は普通にはなれない。特別にもなれやしないのさ。

だったら壊れるしかないだろう。大脳から小脳。脳幹も頭蓋骨も。全てを人捻りにぐちゃぐちゃにするんだよ。

狂人。単独者として世界と対峙せよ。

君は招かれているんだよ。この扉の奥底にあるものに。

怖がるな。もう何も怖くないだろう?

ほらそっと心に手を当ててみるんだ。誰が君を支えてくれたんだ。

それは君自身だろう。君が望んでいるのさ。君は君自身のことを最も愛しているのさ。

この先にあるものは何も怖くない。悍ましくもない。穢れてなんていないし、慄く必要も無い。

素敵なはずさ。なぁそうだろう?

本性に揺らぎ、そのメロディーに酔い痴れればいい。

だぁれも見てやいないさ。君のことなんて。

はなから真っ直ぐではなかったのだろう?

曲がっていたのさ。逸脱していたんだ。もっともマイナス方向にだがな。

だが事実として君が異常者であったことは、君自身が深く理解していたことだろう?

なら良いでは無いか。扉の奥には君みたいな人が沢山いる。ごまんとな。

君はその中の1人にすぎない。砂漠の砂粒を数える人なんていやしないさ。

いい加減、許したらどうなんだ?

君を責めているのはいつも君自身ではないか。

心配するな。何も心配する必要なんてない。

君の声は誰にも届かないだろう。届いたとしてもそれは単なる音の羅列にすぎない。

そもそも、君は誰かを求めているのか?

君が求めているのは他者ではなく君自身であろう。

君は誰も求めていないはずさ。

震えなくていい。泣かなくたっていい。

寒いのであれば毛布をかけてやればいい。お腹が空いたら何か料理を作ってやればいい。

小さな器に暖かいスープを注いで。

それをゆっくりと飲めばいいのさ。

なぁ、落ち着いたか?

大丈夫さ。君の生まれ故郷は扉の奥にあるはずだから。

不確かな道だ。だけど君のもといた場所は君を拒絶しないさ。

君を受け入れ、抱き締めてくれるはずさ。

さぁ、準備はできたか?

君というお守りを君は大切に握りしめるんだ。

だだ、それだけが道を照らしてくれるのだから。





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