ふくいんカレー、福音を知る
「キリスト教」の信者になったのは22歳の時ですが、「福音」を知ったのはその10年後でした。
最初のころ、よく言っていた事があります。
「信仰が必要でした。正直、仏教でもイスラム教でもよかった。人のご縁とキッカケがあったから『キリスト教』にしました。」
最初に出会った教会。心の支えと、仲間は魅力的。感謝してる事もたくさんあります。
でもイエス様の弟子が実際に伝えていた「福音」を僕はわかっていませんでした。
そして、より大きな心の支えと、より魅力的な仲間がいる場所に出会ってからは、教会に代わりそちらに向かったのです。
それから色んな事があって、心身ともに無力になった時、再びイエス様の事を知る機会をいただきました。そして今度は「福音」に出会えたのです。
本来の人間のすがた。私たちの問題の背後にあるもの。「イエスがキリスト」の正確な意味。
十字架で「完了した」と言われた理由。どうすれば救われるのか。そして救われた人に、神様が計画と祝福を備えられていること。
新約聖書の「ローマ人への手紙」にて宣教師パウロは「私の福音とイエス・キリストの宣教」と書いています。
当時の大国ローマは激しいキリスト教弾圧をしていましたが、この福音は広がり続けました。
そして、ついには文化をひっくり返し、ローマの国教となったのでした。
最近、福音でしか解決できない問題があることを強く感じます。特に、心のいやしについてそう思います。
僕自身はいまも微力な存在です。それでもいま信仰生活の中で、ひとつまたひとつと、解決といやしの確信が来ていることを感謝します。
不定期ですがつづく!
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