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主日礼拝「現場が宣教地」(使徒18:1-4)

はじめに

私が仕えている新宿のアットホームな教会「新宿キリスト教会」の主日礼拝の動画です。

不定期になるかもですが、礼拝のメッセージをそのまま分かち合えたらいいなと思って動画付きの記事にしました。

今回は、私が個人的に恵みを受けた箇所を抜粋して文字起こしをしています。

メッセージ動画「現場が宣教地」

で、今も自分の家庭であるとか、あるいは職場、学校に誰も救われる人が起きないということで、実際に悩んで苦しんでいる人がいます。で、その問題に対する答えがあります。1つは何でしょうか。それは、このところ(自分自身が宣教地)をないがしろにしているという場合です。

自分自身が宣教地であるということを軽く見て、家庭が福音化されなければ、職場が福音化されなければと、多くの人のクリスチャンの考えはこっちに向いてしまいます。しかし、ここが成り立たない以上は家庭の福音化とか、職場の福音化というのは、それは絶対に不可能なことです。ですから自分自身が宣教地だと、自分自身に対するその見方です。

まず私が生かされて、本当に私が神様の恵みによって今日も喜んでいて、感謝に溢れて、というような、そのような私自身に日々変えられていくという、そういうことがここでなされていく必要があります。その時初めて、2番目と3番目がなっていくっていうことです。

伝動や宣教は自分がするという、その考えをまず捨てなければなりません。多くの人は、無意識だったとしても自分がという、その考えに縛られています。私がしなければ。しかし主がなさる、というのが答えです。

ですから、私ではなくキリストが私の中で生きておられるのです。私はキリストのものです。だから私はアブラハムの子孫、祝福の源です。私によって家庭が、私によって学校が職場が福音化されていく、それは神様がなさることです。ですから、ここ(自分が宣教地)が問題でこちら(福音化)になっていかないという、それが答えです。

もう1つの答えは、私はもう本当にこの福音の素晴らしさを毎日味わって、本当に私は信仰に満たされ喜びに満たされ、感謝に満たされています。しかし、まだ家庭と職場は、という人がいらっしゃったとするならば、それは神様の時刻表がまだだということです。

神様は意味もなく皆さんを家庭に置いたり、あるいは職場に学校に置くような、そういう方ではありません。神様には主の計画があります。神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って呼ばれた皆さんのためには、主は全てのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

ですからまず、考え。自分が何かしよう、自分が何かしなければならないという、その律法主義的なその考えを捨てて、私ではなく主がご自分のわざをしておられるのです。

このようにまず最初に自分自身が宣教地として、自分自身の内側に宣教の働きがなされていくこと。そこから始まる皆さんお1人お1人となりますように、主の皆で祝福をお祈りいたします。

教会のHPです🔔

http://remnant7000.cafe24.com/

Youtubeです。
礼拝生放送は金曜19:30、日曜10:30🔔


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