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使命は音楽を鳴らすこと。

❏ライブレポート
ZAZEN BOYS/長野クラブジャンクボックス


序章~今夜も泣けなかった~

泣けない自分が情けなかった。手も足も出ない自分が悔しかった。だからこそ、わたしは書き続けることで戦っていくんだと決意した。

久しぶりの再会と初の対面

2023年11月16日木曜日、午後7時に開演。定刻通りに登場したメンバー4人を目撃した時、静かにわたしは興奮。ライブ参戦人生で、初めて最前列で陣取ることができたから、なお一層のことである。目の前にギターの吉兼聡さんが居た。いつものシャツに黒いダブッとしたパンツ。落ち着き払ったその立ち居振る舞いに感激を禁じ得ない。わたしの位置から見て一番奥にはベースのMIYAさん。配信やDVDでその演奏は拝見していたけれど、生演奏を食らうのは初。MIYAさんがZAZEN BOYSに加入したのはいつだ。調べたら5年も前!ドラムの松下敦さんは厳しい顔つきだった。それでもブラックなシャツのその姿にいつもの安堵感を覚えた。そしてThis is 向井秀徳さん。穏やかに微笑んでいたように見えたな。足下にはアサヒスーパードライが、笑。ギターのチューニングも独特のグオオオ~ンと鳴るソレ、安心。そう、ふらっと4人ともやって来たのだった。ミュージシャンらしさを醸し出しながらも、失礼ながら《普通》な佇まいは隠せない。だからわたしは彼らの登場にあくまでもやさしく盛り上がった程度だった。

《普通》の佇まいからの変貌

それは無防備だった。イチ、ニのドン!で出たバンド・アンサンブルは超*重厚で、恐ろしく奥行きもあり、スポンジのような弾力性とダイヤモンドより硬い迫力があった。空気の振動が大きな波動となってわたしを襲う。音圧に圧倒されたのか、バンドの一体感に感動したのか、早くもわたしは涙が出そうになる。うるうるが落ち着くまでに3曲くらいはかかった。でも、本当は素直に号泣したかった。泣き方を忘れてしまって、泣きそびれたのだ。12年くらい泣いてないんじゃないか、わたし。でも後悔している暇もなく、ライブは獰猛な野獣のように突き進んでいく。いや、同時に空から舞い落ちる天使の羽のようにやさしくもあった。

俺こそがZAZEN BOYSだ!

司令塔の向井さんの一挙手一投足を見逃さないように、バチバチとメンバー同士の視線が交錯する緊張感、たまらない。一方で正直、ダサいと感じさせる向井さんのファニーな動きには笑ったが、その行動は林家木久扇師匠のようであると感じた。すごく頭がキレるのにバカであるように見せている落語家のような凄み。それを感じて笑いながらも背筋がゾッとした。カシオメン(吉兼さん)のプレイを目前で見られたのも幸せだった。職人のように淡々とリフを弾き、ギターソロの演奏の際は踊るように、はたまた倒れ込みそうになりながら激しくギターを揺らした。MIYAさんは完全にZAZEN SOUNDにキマっていて、ベースに没入。時折、メンバーの動きを確認する上目遣いの視線は『シャイニング』の時のジャック・ニコルソンよりも狂気じみていた。屋台骨であるドラムの松下敦さんは柔道二段どころではない実力者で、重い音でありながら軽快なドラムも同時に叩ける猛者だと体感。CDなどで聴く以上に手数が豊富で1人が人力で叩いているドラムには到底思えなかったが、マジマジと見てもやはり『ひとり』だけだった。何よりも圧巻だったのは『バンドそのもの』であったわけだが、どうしてあのような破壊的かつ儚い音が出せるのだろうか。向井さんの統率力によるところが多いのは言わずもがなだが、逆にその向井さんこそ残りのメンバー3人に意図的に操られているのではと思うほど、それぞれの演奏に「俺こそ(わたしこそ)がZAZEN BOYSだ」という気概を感じた。

嫉妬混じりのライブ鑑賞

演奏された曲は2004年リリースの1stアルバムから、2024年初頭に発売される最新作(6thアルバム)まで新旧幅広く網羅。Spotifyのプレイリストにあったセットリストの原曲を改めて聴くと、リリース済みの作品に関してはライブ時にはどれもアップグレードされていて、しかもそれが一度や二度ではないことは長年のザゼンファンであれば周知の事実であるだろう。これだけアレンジを変えられても聴き応えがあるとは見事としか言い様がない。JーPOPではリリース時のアレンジにいかに忠実に演奏するかが問われる気がするけれども、それこそ予定調和でイケ好かない。かといってZAZEN BOYSにも予定調和はある。それは「MATSURI STUDIOからやって参りましたZAZEN BOYS!」とか「繰り返される諸行は無常、甦る性的衝動」と言う口上で、前者に関しては10回くらいこの日のライブで言っていたんじゃないか。聴く側はそれを待っているから需要は大いにある。後者に関しては以前インタビューで向井さんが「言いたいから何回言ったっていいじゃないか」とおっしゃっていて、度肝を抜かれたことを覚えている。新曲に関しては今年6月に日比谷野音より配信されたライブ中継を拝見していたので予習はしていたけれども、やはり生はいい、格別だ。アダルトなロック・ソングたちであり、永遠おじさん的ナンバーたちでもあった。正確な歌詞まではわからなかったが、胸をきゅんと締め付けるフレーズも見つかった。なんて言葉のセンスが秀逸で独特なんだろう。わたしも言葉を扱う者であるので、向井さんの才能に嫉妬するのであった。

参考になったこと

また人前に立つ人間の端くれとして、ZAZEN BOYSの皆さんの佇まいは参考になった。顔をしかめてシャウトしたり、棒立ちで淡々と歌ってみせたり、仁王立ちでギターリフを延々と奏でたり、首がもげるほどベースラインで綱渡りしたり、マイクに入らないことも承知の上でカウントを叫んで合奏したり、黙々と馬車馬のようにリズムを刻みまくったり。どれも自分の朗読パフォーマンスに活かせそうなものばかりだった。そのほか印象的だったのは向井さんと吉兼さんの横歩きステップと、向井さんの拳銃をぶっ放す仕草。恒例の缶ビール(アサヒスーパードライ)をグビグビ飲み干した飲みっぷりにも満足感があった。まあ、どれも真似できそうで真似できないものなんだろうが、少しでも彼らのような佇まいを獲得したいものである。

高くはなかったチケット代

ふとこの原稿を書いていて思ったのだが、ZAZEN BOYSの人たちは音楽を楽しんで演奏しているのか?ということだった。あれほど集中力を維持して、魂も削って演奏することで病んでしまわないのか?などとも思ったわけだが、愚問だったな。思い出したのである、ライブ中盤のMCで向井さんが「決め事が壊れていくのがライブの醍醐味」とおっしゃっていたんだ。そんな瞬間に生き甲斐を見い出しているんだろうな。と同時にやはり演奏への姿勢からAsobiじゃないことを思い知らされた。それにチケット代だって決して平均的な値段とは言えない強気の設定。万年貧乏なわたしだが、それでもライブ後に「やっぱ見に来て良かったあ」と掛け値なし、いや、こっちが儲かっちゃったと感じたくらいだった。ZAZEN BOYSの中で一番好きな曲は演奏されなかったけれど、ライブに行ったことを後悔なんてしなかった。本当にありがとうございました!って感じ。

あの人たちの使命、わたしの運命

ZAZEN BOYSのメンバーの方々には使命があり、それは音楽を奏でるということ。同じステージに立てないわたしたちの日々の疲れや傷を癒やすために、音を鳴らし続けることが、選ばれた彼らの音楽をやる理由だと勝手に思ったわけで。もちろんプロだから稼ぐために音楽を演奏している部分もあるだろう。でも決してそれがメインじゃないのが、嬉しい。楽しくて好きだから、あの少年や少女たちはバンドしているのだ。わたしは小説や朗読活動を好き勝手に楽しいからやれている。そういう部分でも共感できた。わたしはあの世界線には立てないことが悔しいけれども、まあ、甘んじて受け入れるしかない。諦めても、そこから試合開始なんだ。だから、戦い続けるよ、あの人たちと同じようにね。

終章~ハッキリ見えたDAYDREAM~

ライブハウスを出て、しばらくはなんだかふわふわして日常感がなかった。白昼夢じゃないけれど、現実ではないものを観た気がしていた。バスは終わっていたので、家まで40分かけて歩いた。いつもなら音楽を聴きながら歩くのだけれど、ZAZEN BOYSの音楽すらも聴きたくない気分だったから、無音で街の生きている様子を伺いながら、帰った。家に着く頃にはすっかりライブの酔いも覚め、現実に。あれはなんだったのだろう。蜃気楼のように消えてしまいそうな偶然で、摩天楼のように華やかな必然だった。玄関を開けると妻と娘がいて、3匹の猫がうとうとしていた。もう泣きたい気持ちはなかった。間違いなく、そこは日常。さあ、戦うぞと誓う。そういえばカシオメンの手が美しかったなあと、わりにくっきりと思い出した。

《了》

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