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食事を終えたらどうしますか?

今月、私は30歳となりました。この節目の年に長らくROM専となっていたnoteを再開してみようかと思います。

デザートまで食べ終えた

年を重ねたものの生活そのものはサラリーマンであることを除いて、大学生の頃と何一つ変わってはいません。守るものは自分の体と当面の生活費だけですから。しかし、30代になってしまうと人生のイベントはほとんど発生しません。子供のころは、歳を重ねれば重ねただけ様々なことが起きて振り回されていくのだと漠然に感じていましたが、そんなことはありません。平日は職場と家を往復し、幾ばくかの時間にゲームをし、本を読む。休日はそこから仕事の時間がなくなっただけの日々。中学生の時点でそんな人間になるということは薄っすらと感じていましたが、心のどこかで「いや、そうではない」とも思っていました。この全ての料理を食べ終えたような状態からどうなるのか。それは、おそらく誰にも分からないことです。このまま、お店の閉店時間までただ座り続けるのでしょうか。それとも、右も左もわからぬ街に出て、別のお店を見つけるために彷徨うのでしょうか。少なくとも現時点ではもう料理が運ばれてくることも追加注文もできそうにない気がします。

お店をでるまで

自分という人間は、もう少し暇や孤独をエネルギーに変えられると信じてきましたが、そのような能力は平凡な人々と変わらぬ程度にしか持ち合わせていなかったようです。しかしながら、この店の閉店がいつなのかわかりません。そして、人間である私はいずれお腹がすいてくることでしょう。何かを口にするために動かねばなりません。この広い街のなかでは遠くまでお店を探そうと動けば迷子になりかねせん。一先ずは、1か月後の新車の納車までは少し休もうと思います。それよりも先のことはわかりません。もしかしたら、全てのお店のシャッターは降りて、眠りについているかもしれません。これまでのことで後悔はありますが、不満はないのでそれはそれで良い気がします。とりあえず、明日という日がどんな日になるのか考えておくことにいます。

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