酸っぱいブドウの話

「酸っぱいブドウ」の話をする前に、筆者のことを読んで下さる皆様にお伝えしようと思う。そうは言ったものの、破天荒な経歴など持ち合わせていないので、28歳の男ということだけ分かって頂ければ十分だろう。付け加えるならば、春には29になるということぐらいである。


 正月ということで、筆者も地元に帰省した。普段は、二十歳そこそこの人間に囲まれているため身近な話題ではなかった結婚もしくはそれを意識させることが身内や友人たちに起きていた。28歳といえば、そうなっていくことが当たり前であると世の中の人々は考えているであろうことを思えば普通のことである。身内については、そのうちなるようになるだろう、と思っていた。また、友人たちについては詳細は知らないがそれなりに努力したようだ。少なくとも、祝うべき事柄であることは間違いない。お酒の席だったので、やや曖昧な記憶ではあるが、祝いの言葉を多く述べたはずである。


 筆者自身については、そういったことは当分の間、起きる予定はないと思う。このことを両親、特に父親が筆者の身をとても気にしていた。自分の親がそういったことを気にかけるタイプであるか分からずにいたが、やはり人の親だったようだ。親の気持ちは分かるものの、結婚というものをするつもりはあまりないというのが筆者の正直な気持ちである。結婚に対して拒否感のというものはないが、それを望むといった気持ちがない。なぜ望まないのかと問われれば分からないと言わざるおえない。そうなのだから、そうなのである。


 おそらく今後は、そういった問いをされたり、何らかのアドバイスをされることが増えると思う。聞かれたり言われたりすることは別に苦痛とは思わない。だが、相手の善意に対して納得できないであろう返答をしなければならないという事実がある。では、納得してもらえるように努めれば良い話なのだが、それが難しい。筆者は、男女の交際というものを経験することなく28年間生きてきたため、話す言葉が説得力を持ち得ないのである。仮に、正直に言ったとしても「酸っぱいブドウ」と受け止められてしまう可能性が大きいように思う。これは、中々困難なことである。


 また、筆者自身の考えが「酸っぱいブドウではない」と確証を持って言えないことが困難さを増幅しているだろう。自信の考えの根源になんらかの物証があるわけではないため、上述したことを証明することができない。どこにも自信を持てる言葉がないのである。


 自分の考えがどこからどのように生まれるのか、それについては各方面の専門家による研究に任せるとしよう。喫緊の課題は、如何にして周囲の言葉に応えていくかである。別に、納得させようだとか論破してやろうといった気は毛頭ない。ならば、口をつぐむのも一つの手段ではある。しかし、それは自分自身に対して不誠実な態度であるように感じてしまう。言い分がある以上、しゃべりたいのだ。さりとて、口を開いたとて何らかの前進は難しい。そもそも、前進とは何なのか。何をもって前進とするのか。それすら、不明瞭である。


 なんだか、色々と書いてはいるが答えに値するものは出てきそうにもない。なので、自分はいったいどうしたいのか、この問いに対して答えらしいものをひねり出すことを今年の目標の一つとしようと思う。

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