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ディバイデッドホテル 5/32

 玄関の自動ドアが開いて、サングラスをかけた男が三人、両手をスラックスのポケットに突っ込んで入ってきた。
「シングル三つ。空いてっか?」
先を歩いていた、小柄で、坊主頭の男が、カウンターに肘を突いて言った。芳美は、反射的に直立不動になった。ヤクザ者だ。
「ご予約ですか?」
「いや。予約じゃねえと、泊めねえのか?」
「い、いえ。あの、あ、空いております。チェックインは、こちらのタブレットからお願いします」
男は眉間に皺を寄せ、芳美の差し出したタブレットの画面をしばらく睨んでいたが、「分からねえ」と押し殺した声で呟き、「すまねえが、やってくんねえか」とサングラスを外して、一重の瞼を凄ませた。
 芳美は慌ててタブレットを操作した。こんな客のためにも、彼はいるのだ。実際、慣れた会員なら予約もチェックインもお手の物だが、初見の者にはいささかハードルが高かった。これが、このホテルの売り上げが今一つ伸びない原因だ、と芳美は思っていた。
 空き部屋は、いくらでもあった。横浜駅東口の、港湾地区に通じる歩道橋の縁に建った古ビルを改築したホテルで、平日は、フリーの客は滅多に訪れない。すぐに要望に応えようと思って画面をタップしたが、手が震えていた上に、指の油に塗れた液晶画面の反応が鈍かった。三度ばかり画面を滑らせて、ようやく予約画面に辿り着いた。
「チェックアウトのご予定は?」
「明日」
「ご本人確認のために、免許証か何か、顔写真のついたものをご提示ください」
「ねえよ、そんなもの」
男はまた凄んだ。
 完全無人であるために、このホテルでは、本人確認のできない者は原則として宿泊できなかった。
「オレはよ、一六で単車の免許取って、その日のうちに集団暴走行為でパクられて、免許取り消しになっちまったんだよ。だから、免許はねえ。なんだ、このホテルは。運転免許がなければ、泊まれねえってのか?」
「いえ、そうではありません」
芳美は、顔を引き攣らせながら笑みを作った。
「なければ結構です。その場合、こちらにご住所と、お電話番号と、メールアドレスをご入力ください」
「ずいぶん、メンドクセーこというじゃねえかよ、オウ!」
男は顎を引き、両手をズボンのポケットに突っ込み、肩を怒らせ、上目づかいで芳美を睨んだ。背は低いが、『びっしり』という形容がそのまま当て嵌まるような、頑丈な体つきだ。芳美は、自分の睾丸の皮が縮む音を聞いた気がした。
「金はあんだよ。一晩泊まるだけじゃねえか。サッサと空き部屋に案内しやがれ」
「下がれ、加藤」
背の高い、髪を後ろに撫でつけた男が、加藤と呼んだ男の肩を掴んだ。加藤は、凶悪な眼差しでしばらく芳美を睨んでいたが、肩を引かれ、背中を小突かれて、唇を歪めながら引き下がった。
 背の高い方は、マイナンバーカードを出してタブレットに翳した。田代信郎。サングラスは取らなかったが、目元にも、口元にも、紳士的な笑みが浮かんでいた。彼はたちまち四階の三部屋を予約し、さらにチェックインの手続きをした。
 美しい。
 その形容が、適切かどうかは分からなかった。だが芳美は、彼の所作や物腰、立ち姿、指裁きや言葉遣いに、一切の無駄を見出せなかった。すべて効率的であり、しかも美的。部下をどかせ、タブレットを取り上げ、マイナカードを読み込ませ、チェックインする。一連の作業がまるで芸術作品のように仕上がった。これが、男の美しさというものか。
「悪かったな、兄ちゃん」
田代は、折り畳んだ札を芳美に握らせた。
 このホテルは、チップ厳禁だ。
 どんな客でも同等に扱う。それが、このホテルの方針だ。チップの多寡で、サービスに差をつけてはならない。そもそも、最低限のサービスしかしないことが前提の、素泊まりオンリーのホテルだ。チップを貰うのは、その前提に反する。もらってしまったら、最低限を超えたサービスをしなければならなくなる。
 芳美は札に指を這わせてギョッとなった。万札だ。この日の日当よりも多い。
 返さなきゃ。
 エレベーターの到着する音が鳴り、三人の男は乗り込んだ。芳美は慌ててカウンターから出た。そこへ七海が、肩を揺すりながら向かってきた。
「どいつもこいつも、バカにしやがって」
ヒールの音を立て、芳美を突き飛ばしそうな勢いで行き違うと、玄関の自動ドアを抜けた。
「七海ちゃん、カルーア」
彼女の揺れる尻は、夜の街に消えた。
(つづく)

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