売られたヤクザ その13
「覚悟しろ」
駅前の雑居ビルの最上階にあるその事務所は、狭いワンルームで、ドアを開けると、薄い髪を撫で付けた頭が割れ、デスクに突っ伏している南条の姿が見えた。
「アンタが丸腰なのは分かっているよ」
両手を上げようとした山口に、背後からの声が言った。背中を突かれ、部屋の中に押し込まれ、さらに銃口らしき硬い物を押し付けられた。
「楠美氏か」
声はないが、軽い驚きが彼の動きを鈍らせたのが分かった。
「大見に聞いたか」
「いや、彼はそれほどおしゃべりじゃない」
「そうだな」
男は山口の背中を押して、応接セットのソファに座らせた。浅黒い顔。突き出した額と、横に張った頬骨。厚い唇。細かく巻いた黒髪。ゆで卵のような二つの眼は、うっかり顔から落ちてしまいそうだ。背は低いが、びっしりと筋肉の詰まった、頑丈そうな体を、黒のスーツに包んでいた。社長、と言って楠美は、銃口を向けたまま山口の向かいに腰を下ろした。
「アンタは、堅気だそうだな」
「まあね」
「オレたちの会社がどんなところか、知らずに買った。そうだな」
「まあ、そんなところかな」
楠美はフッと笑って白い歯を見せた。
「知らなかったからって、助けたりはしねえよ」
彼は、撃鉄を起こして銃のシリンダーを回し、銃口を山口の心臓に向けた。
「暴力団だというのは、後から知ったんだ」
「暴力団じゃねえよ。や、く、ざ」
楠美の鼻の穴が横に開いた。「素人に、オレらの仕事を邪魔されたくないんだな」
「邪魔するつもりはないよ」
山口は眉をハの字に開いた。
「会社には、代表が必要だ。ボクは、代表権を買っただけだ。会社の業務に口出しするつもりはないんだよ」
「代表はオレだ」
立ち上がりながら楠美は言った。銃口は心臓を狙ったままだ。
「組をカネで買うなんて、承知できねえ。オレが今まで、組のためにどれだけ稼いだか分かるか?」
「金額までは知らないけど」
山口は彼の、あごひげの剃り残しを見た。
「キミの部門の収益が、会社の売り上げの中心だったのは知っているよ。キミはいわば、営業部長だ」
「オレがこの組を支えていたんだ。この組は、オレのもんだ」
楠美は顔から笑みを消した。
「いいか。オレはな、組の看板のために、営業チームを一から組織して、電話掛けの係から、カネの受け取り役のバイトまで集めた。集金システムの一から十まで、オレが作ったんだ。オレのチームの稼ぎで、この組は成り立っているんだよ」
「それは、聞いた」
「チームの海外移転も、企画から実行まで、オレが仕切ったんだ。オレがいなければ、この組は何もできなかったんだよ」
「それも聞いた」
「オレが、組の全てを受け継ぐ。死にかけの親分の後を継ぐ。当然だろ?」
「それは、どうかな?」
楠美は目に険を籠めて体を乗り出した。銃口を上げて山口の額に向けた。
「珍しいリボルバーだ。こんなところで見られるとはね」
楠美はピクリと眉を跳ね上げた。「よく知ってるな」と唇の端を吊り上げ、銃を軽く横に振った。
「ニューナンブM六〇だ。型は古いが、命中精度が高い。殺傷力もだ。メイド、イン、ジャパンだからな」
額に触れるほど銃口を近づけた。
「しかも、だ。この銃は、使っても足が着かない。訳を聞かせてやろう。どうせ、アンタは死ぬんだからな。先週、横浜の留学生が、同じ日本語学校に通っていた女子学生を殺した事件は知っているか」
「ニュースで見たな」
「あの事件で使われたのが、この銃だ。留学生仲間から手に入れたらしい。まあ、素人だから、五発全部撃ち込んで、当たったのは一発だけだった。それが致命傷で彼女は死んだわけだから、結果オーライだけどな。ただそいつは、銃弾を全部使っちまったために、予定通り自分も死ぬことができなかった」
「心中だったんだ」
「そりゃ、そうさ。カネ目当てに殺すのは、三〇過ぎのジジイやババアだ。もちろん、カネ目当てに殺しをやる若者もいる。だが、若い奴らの目的はたいてい女だ。女と遊ぶために、カネが必要なんだ」
「三〇でジジババはないと思うけど、まあ、一理あるな。それで?」
「死ねないと分かったそいつは、急に命が惜しくなった。他の奴に取られるくらいなら、いっそ自分で殺してしまおうとまで思い詰めた女があっさり死んで、吹っ切れたんだな。ま、人間なんてそんなもんだ。で、この先も生きるとして、自分にカネがないことに気づいたんだよ。留学生ってのは、どいつもこいつもカネがない。で、銃をカネに替えようと思ったわけだ」
「正常な思考だ」
「だろ? でも、外国と違って、この国では、銃は持っているだけで犯罪だ。弾のない銃なんて、コレクターでなければ欲しがらねえ。弾すら手に入らないんだから。で、そいつはどうしたか?」
「どうしたんだろ?」
「まあ、冷静なつもりでも、どうかしていたんだろうな。わざわざここに来て、こいつに買い取らせようとしたんだよ」
彼は顎で、奥のデスクに突っ伏している南条を指した。
「こいつが、留学生の身元保証人だった。こいつは資格を利用して、外国から次々と人を集めて、あちこちに売り捌いていた。ウチの組を、表向き派遣会社に替えたのがこいつさ」
「なるほどね」
自分が手続きをして入国させた留学生が問題を起こしたのでは、今後に差し支えると思ったものか、南条は留学生の言い値で銃を引き取った。留学生には、すぐに出国するよう指示して帰らせた。そこへ楠美が現れた。彼は銃の由来を聞き、借り受け、その場で持参した銃弾を籠め、南条を射殺した。
「宇佐美を川に沈めたのもキミか」
「そうだ」
楠美はあっさり認めた。
「組の売却に関わった者を、全部消そうというわけか」
「裏切り者だ。落とし前はつけないとな」
「親分はどうする?」
組の売却に関わったのは五人。このうち、介護施設の施設長は、立場上臨席しただけなので除外していい。宇佐美は、自殺を装って殺した。南条は、留学生の犯行に見せかけてやはり殺した。銃は女子留学生殺しで使われたものと同じものなので、この後の殺人も名も知れぬ留学生の仕業にするためのツールとなる。この銃で山口をやれば、彼は、南条の事務所で、留学生の犯行に巻き込まれて死んだことになるわけだ。結果、晴れて組は楠美のものだ。
最後の当事者である工藤親分は重度の認知症患者で、売却そのものを知らない可能性が高い。知ったとしても、もはや異議を唱える能力もない。一応、二四時間介護の施設に入居しているので、事故でもなければ不測の死を迎えることはないが、意思表示もできない。自分の組がどうなっても口出しのしようがない。放っておいても構わない。
「アンタの死ぬわけが、分かっただろ?」
楠美はニヤリと笑った。
山口は物憂げに首を傾げた。それから体を起こして脚を組み、肩を寛げてから、「いや、まだ、よく分からないところがあるな」と言って顔をもたげた。銃口が額に触れ、楠美は思わず手を引いた。
「アンタが、組のことを嗅ぎ回っているのはすぐに分かった。何の酔興で組を買ったのかは知らないが、まあ、運命だと思ってあきらめるんだな」
「死ぬのは怖くないんだよ。たいして価値のある人間じゃないから」
楠美はまた真顔になった。
「ただ、むやみに殺されるのは困るな。まだいくらか財産があるんでね。どうせなら、使い切ってから死にたい。キミに、罪を重ねさせるのもどうかと思うし」
「オレのことはどうでもいい」
楠美はまた、銃のシリンダーを回した。
「今、はっきりしているのは一つ。アンタが死ぬということだ」
「キミは大きな間違いを犯しているよ」
「何だよ」
「宇佐美を殺したことだよ」
楠美はフッと笑って、「アイツは、オレの顔を見たら死んじまいやがったんだよ」と諧謔を言ったが、「いや、これは実に困ったことでね」と山口はさらに額を銃に近づけた。
「組のカネは、全部彼が預かっていた。キミや大見氏、田代氏、河津氏は、上納金を宇佐美の信金の口座に振り込んでいただろ?」
「カネぐらい、いつでも引き出せるじゃねえか」
「いや、そうは行かない。口座の名義は『平井紀夫』なる人だ。本来なら、口座からカネを引き出せるのはこの平井氏だけなんだけども、組は、上納金をここにプールしていた」
「そうだ。オヤジの指示でな」
「平井氏は実在の人物だよ。ただ、なぜか彼は自分名義の口座の存在を知らない。長らく休眠だったものに、宇佐美が目をつけ、キミたちの上納金の受け皿にした。彼は信金の人間で、あの支店では古株だったから、客の口座からカネを引き出しても、疑われなかったんだな。この口座にカネがあったおかげで、前社長が認知症を発症した時、介護施設の高額な入所費用を賄うことができたんだよ。何しろ、前社長はほぼ無一文だったからね」
楠美はギロリと目玉を剝き出しにした。
「今、口座はアンタが持っているのか?」
「いや、」と言って山口は、右ひじを背もたれに乗せて寄り掛かった。「どこにあるのか探していたんだよ、ボクは」
「命が惜しくて言ってるんじゃねえだろうな」
「とんでもない」山口は、フンと鼻で笑った。「カネの行方が気になるだけだよ」
楠美は、椅子に掛けて銃口を下し、狙いを心臓に変えた。「タバコを吸ってもいいかな、死ぬ前に」と山口が言うと、彼は黙って左手を差し伸べた。山口は、紙巻を一本咥えて火を点け、箱を振って一本差し出し、彼にも勧めた。彼は断り、自分の胸ポケットから葉巻を抜き出した。端を歯で千切り、ペッと吐き出す。
左手で不器用に咥えたところに、山口は火を点けてやった。
「その銃では殺せないよ」
楠美はギロリと山口を睨んだ。
「ニューナンブは確かに、和製リボルバーのハイエンドだ。命中精度は世界一だし、殺傷力もダントツに高い。しかしね、それは、もう一〇年以上前に警察の正式銃から外されている。今は生産されていないんだよ」
「それがどうした。一〇年でも二〇年でも性能が衰えない。それがメイド、イン、ジャパンだろうが」
「それは、そうなんだよ。そうなんだけどもね。表ジャパンで、中身チャイナってのも、結構あるもんでね。例えばパソコンなんかは、日本のメーカーの名前で堂々と売られていながら、一皮むいたら中国だらけっていうのはもう当たり前だ」
「銃まで中国で生産するわけないだろう」
「もちろん、武器に関しては国際的な縛りがあるから、安易に海外発注ってわけにはいかない。ただ、ニューナンブは生産中止になったんだよ。作っていないんだ。今世間に出回っているのは、キミの言う通り、一〇年以上前の製品、つまり、警察から流出した正式銃か、そうでなければ、第三国で製造された模造品だ」
楠美の顔が歪んだ。山口は口元だけで笑った。
「若いキミは知らないだろうが、その銃は国策製品でね。つまり、戦前からの武器製造技術を継承するために作られた特製品なんだ。米国が、自国の製品を売りつけたくて警察からその銃を奪ったんだけども、技術を絶やすわけにはいかない。そこで政府は、秘密裡に工場を第三国に移転して、製造技術を受け継がせたんだ」
楠美の鼻から、盛大に煙が噴き出た。
「日本の高い技術と友好を買えるわけだから、工場を受け入れる国はいくらでも見つかった。格段に高い給料をもらえると分かって、優秀な労働者が工場に集まった。まあ、でもね。敗戦後の復興を成し遂げようと必死になっていた日本の労働者と、戦勝国の端に連なって浮かれていた第三国の連中とでは、モチベーションが違う。技術を見て、やり方を教わっても、ま、人間のやることだからな。いろいろ、うまく行かないところが出てくるわけだ」
「どうなったんだ?」
「撃ってみりゃ分かる」
山口は体を起こした。
「その銃は、OEM製造のニューナンブだ。オレらの世代では、なんちゃってナンブって呼んでる。さっき、自分でも言ったじゃないか。五発に一発しか当たらなかったって。そんな確率なんだよ、それは。横着な奴は、ニャンブって呼んでいるよ。撃ってみな」
楠美は片頬をひくつかせた。彼は、銃の暴発で腕を失ったチンピラを二、三知っていた。いずれも途上国製の粗悪品を安易に使ったためだった。
ここで山口を殺せば、優秀な日本の警察は、有力証拠である銃を盾に、一つのストーリーを組み立て、それで裁判を乗り切るだろう。自業自棄になった留学生が、身元引受人だった司法書士も殺害し、たまたま居合わせた山口も殺した。この鉄壁の筋書きに抗える裁判官はいないだろう。ストーリーは単純な方が重い。一つでも不動の証拠があれば、万人納得のストーリーが出来上がるのだ。世間の大半を信じさせる力のあるストーリーを覆すのは不可能だ。
成り行きとはいえ、三人も殺せば死刑だ。近年は判決から死刑執行までのスパンが短くなっているので、うまく行けば五年もしないうちに、楠美は潔白になる。
しかし、目算が狂った。いや、まだ狂ってはいないが、狂いかねない事態だ。
OEM製品だからといって、失敗作とは限らない。日本の技術を移植して作られたものだから、日本製と同等ではなかったとしても、それなりの性能を発揮できるはずだ。付言すれば、近年は日本人労働者のモチベーションも下がっているので、日本製だからといって全幅の信頼を置けるとは限らない。どんな製品でも完璧ということはないわけで、日本製の銃にも暴発のリスクはある。ただその確率は、使用者の期待以上に低い。それがメイド、イン、ジャパンの信頼だ。
逆に言えば、海外製品は期待以上に不良品の確率が高いのである。仮に今、楠美が自分の腕を吹っ飛ばしてしまったらどうなるか。
暴発のリスクは、針の一点のような確率だ。しかし、引鉄を引くか否かの判断は二つに一つ。
このリスクは高い。
「話し合いで、解決できないかな」
山口は、プアッと煙を吐き出した。
(つづく)
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