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売られたヤクザ その8

 神奈川県警程川署の佐原刑事は、刑事部屋で飴をしゃぶり、失敗したな、と眉をひそめた。ミント味が歯茎に染みた。署の向かいにある中華屋で、昼食に激辛担々麺を食べたのだが、唐辛子が利き過ぎて口の中が火事になった。スープを諦め、署に戻って慌てて飴を口に投げ込んだ。今度は口の中が冷蔵庫だ。
 ノートパソコンを立ち上げ、メールチェックを始めた時、「カタビラ組がね、」と、隣で、デスクに堂々とスポーツ紙を広げている和田刑事が、耳の奥をくすぐるような声で言った。
「代替わりしたよ」
「そうなんですか」
思わず投げやりな口調になった。カタビラ組? 俄かに思い出せなかった。どこかの鳶の組だろうか。
 程川署は、相鉄線干川駅近郊の、区役所に隣接した一画にあり、繁華街から一キロほど離れていた。だから、というわけでもないが、巷の噂の入手が、ワンテンポ遅れがちだった。
 カタビラ組というのは、牛王町の繁華街に古くから看板を掲げる露天商の組、いわゆる的屋ヤクザだ。東海道の宿場町に位置する牛王町は、伝統的に祭りの興行が賑やかで、市内でも有数の人出を誇っていた。毎年八月に行われる宿場の鎮守、牛王神社の例大祭は、日本全国の的屋が駆け付け、和洋中イタリアン、トルコ料理にブラジル料理、移民の増えた近年は、ベトナム、タイ、マレーシア、フィリピンなど東南アジア系料理の屋台も並ぶ、国際色豊かな縁日になっていた。
 これを取り仕切るのが、地元の老舗ヤクザ、カタビラ組だ。
「工藤の親分、足は悪かったけども、頭はしっかりしていたんだけどなあ。ま、寄る年波には勝てないか」
和田は、取ってつけたようなため息を吐き出した。
 それどころではなかった。
 逃亡犯の田代丈二の行方が分からなくなっていた。西署の失態だ。県警本部から近隣の署に、意地でも探し出せ、と厳命が来ていた。県警本部薬物銃器対策課の津久井警部補が陣頭指揮に当たり、横浜港以南の臨海部全域を警戒中だ。潜伏先の横須賀のアパートに追い詰めたまではよかったが、多数の捜査員を投入しながら、空振りという結果に終わった。失態に失態を重ねた形だ。佐原は今朝、署長から直々に、田代追跡の任務を仰せ付けられた。彼は理工学部の出身で、些かコンピューターの知識があったので、ネットサーフィンして足跡を探し出すよう命じられたのだ。
 田代の事件は、マスコミも関心を示すホットな件だ。これを任されたのは、一見抜擢のようだが、やることといえば、終日パソコンに向き合って、あちこちのSNSを覗いて田代絡みの情報を探すだけ。暇潰しのようなものだ。宮仕えの立場上、こんなネタでも真剣に取り組まなければならない。彼にとっては一大事だ。
 佐原の所属は程川署の刑事課で、本来の任務は特殊詐欺の摘発だった。
 つい先月まで彼は、県警本部の刑事部捜査二課で、県内全域の特殊詐欺事件捜査の総指揮の任務を担っていた。詐欺対策と、薬物犯対策。現在、県内の犯罪捜査の二大事案だ。薬物担当が津久井で、詐欺担当が佐原。彼は、詐欺組織が拠点を海外に移しつつあることを突き止め、外交ルートを通じて現地警察に依頼し、一つの拠点を摘発したところだった。東南アジア某国に拠点を構え、IP電話で日本の高齢者宅に電話して詐欺を繰り返していたこの組織は壊滅し、首領こそ取り逃がしたものの、従業員は全員検挙し、国際的なニュースになった。
 これは、衆目の一致する佐原のメリットだった。この功績で、彼は来春の人事で警視に成り上がるつもりだった。
 ご機嫌の彼は、県警本部長のお供で、政権与党に所属する市内選出の衆院議員で、現在文科副大臣を務める政治家のパーティーに出席し、その会合で、有力な有権者にはメロンが、さらに有力な政党関係者にはカニが贈られていたことなど知らず、串揚げバイキングに陣取って、話し相手もないまま、二〇本近くの高級串揚げを平らげ、翌朝しつこい下痢に悩まされ、なかなかトイレから出ないことを中学生の娘になじられ、妻にも白い目で見られ、憮然として出勤した時に、程川署への即日の転任を告げられたのだった。
 すまじきものは宮仕え。議員の元私設秘書なる密告者から情報を得た県警の警務部は、天下りの本部長を守るため、責めを随伴の佐原に負わせて左遷させた。だが、その実、本部長に意趣を持つ警備部長が、本部長の権力を殺ぐために発動した恫喝人事だ。嬉々としてカニを持ち帰った本部長を、次はあなたですよ、と脅したわけだ。犯罪対策で功績を上げ、次年度は警察庁へ返り咲こうと企んでいた本部長は、この一件により、来春まで傀儡として席を温めるだけの存在になった。
 佐原はすっかりやけだ。渋る腹に激辛ラーメンを流し込んで、いっそ腹膜炎にでもなって長期療養しようか、などと考えていた。
 もっとも、彼はもともと程川署の所属で、手掛けていた特殊詐欺の事案が大掛かりになったので、抜擢されて県警本部に詰めていたのだった。だから、左遷というよりは出戻りで、待遇が悪化したわけではなかった。
 彼はようやくカタビラ組を思い出した。表向きは露天商だが、過去には街道筋に名の知れた任侠の組だった。工藤の親分は伝説のヤクザ者で、戦後の復興期には、関東全域の親分衆が挨拶に来るほどの顔だったという。ただ、そうした歴史的事情に彼は関心がなかった。彼が追っている、詐欺集団の首魁と目される楠美龍太という男が、工藤の子分だった。地元出身の自称実業家で、大胆にも牛王町の商店街に特殊詐欺の拠点を構え、人を雇って経営していた。これを程川署が摘発したところ、彼は海外に拠点を移したのだ。手下の『従業員』たちは逮捕したが、彼自身はいまだ逃走中だった。
 楠美とカタビラ組が俄かに結びつかなかったのは、彼の活動が組の資金集めであるという認識が、警察になかったからだ。
「次の組長は誰ですか?」
「分からないんだよね」
和田は、涎混じりの声で答えた。刑事部屋のデスクには、藤の籠に盛られた飴が、あちこちに置かれていた。喫煙者の多い刑事たちが、ここでタバコを吸い始めないようにするための配慮だ。おかげで部屋の空気はきれいになったが、肺癌の罹患率は下がっても、いずれ糖尿で死ぬ奴が出るだろうと陰口されていた。
 和田は、白髪交じりの直毛を七三に分けた、痩せた小柄な男で、酒もタバコも女もやらないかわりに、ろくに仕事もしなかった。生活安全課所属であり、地域の犯罪を防止するため、管内をパトロールするのが任務だったが、近頃は滅多に出掛けず、刑事部屋の席を温め続けていた。当然出世もせず、定年までの残り僅かな年数を大過なく務めることだけが目的の、万年巡査部長だ。
 地元の組の代替わりなら、ヤクザたちは騒ぎ出すし、所轄の刑事もそれなりに緊張するものだが、カタビラ組は、過去はともかく、現在は年に一度の夏祭りにだけ存在感を示す的屋ヤクザで、ほとんど実態が分からなかった。実のところ、夏祭りの縁日にしても、近年は地元商店会や神社の崇敬会の方が熱心で、露天商の組は影が薄かった。牛王町の商店街こそいまだ露天商の出店を受け入れているが、程川駅前や、その他の商店会では、プロの出店を断り、地元有志によるフリーマーケット風の縁日に作り替えようという動きが活発だった。我が町の祭りは自分たちの手で、というわけだ。的屋を入れると、せっかくの利益が地元に落ちない。全国から露天商が集まれば見栄えはいいが、彼らはショバ代をカタビラ組に払い、カタビラ組はその一部を神社に払うだけで、あとの利益は持ち去る。地元商店会は儲からないのだ。地域でのヤクザ排除の動きはもはや公然としたものだった。その上、的屋の組も高齢化が進行し、後継者不足が顕著だ。カタビラ組はその典型で、このため近年は、所轄の程川署でもカタビラ組がどこにいるのか把握していなかった。
(つづく)

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殺しの日取り|nkd34 (note.com)

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