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「竜」の字体が「龍」よりも古いというトンデモについて

楷書の「龍」という形は殷墟甲骨文に見られる文字を継承したもので、「竜」という形は早くとも漢代以降に作られたものだが、「竜」が「龍」より古くから存在するというトンデモが存在する。

「竜」が「龍」より古いというトンデモには全く根拠がないが、ほとんどの人は漢字の歴史について無知なのと、このトンデモが本当なら意外なので(逆に)、一定数の人が信じているようである。

実際には、「竜」が「龍」より古いなどということは無い。これは「最終的には「龍」も「竜」も同じ甲骨文字に由来するのだからどちらかが古いと言うことはできない」というような表現的問題ではなく(それも一理あるかもしれないが、ここではどちらかが古いという表現を受け入れよう)、「竜」が「龍」より古いというトンデモが描いている歴史が決定的に間違っているという意味である。

この記事で「竜」「龍」の歴史を再確認することで、トンデモの歯止めになれば幸いである。


1.「龍」字の歴史

「龍」の歴史は明確で、殷墟甲骨文に見られる文字から継承されたものである。

「龍」字の歴史

商代文字(というか殷墟甲骨文の文字、紀元前13~11世紀頃)から西周文字にかけては、竜の頭の部分の筆画が増えている。しかしこの筆画は実際には増やされたわけではなく、一部の商金文の文字には存在する(が殷墟甲骨文の文字では省略されている)目・瞳の部分を描いた筆画に由来するのかもしれない。

西周文字(紀元前11~8世紀頃)では文字の一番上に短い筆画が足された。一番上が長い横棒で始まる文字の多くはこのような筆画の増加を経る。この頃までは「右向き」の文字と「左向き」の文字が両方使われていたが、その後は主に右向きの文字のみが使われるようになる。秦文字(紀元前8~3世紀頃)では尾の部分の筆画が分離し、右下に「彡」が足された。このようにして現在の「龍」の形に至った。

一方「竜」の形の確実な初出とされるのはずっと後の董美人墓誌(紀元597年)である(今と違って中央部分が“臼”形であることに注意、以下同)。

董美人墓誌の「竜」

ただし、それよりわずかに古い可能性があるものとして、敦煌より出土した6世紀末~7世紀初頃に書かれたと推定される『経典釈文』の写本がある。

『経典釈文』の敦煌写本の「竜」

なお、『経典釈文』は当時通行していた経典に対する注釈であり、この写本が経典の文字をそのまま伝えていたと仮定すれば、この「竜」は3~4世紀頃まで遡る可能性もある。しかしそこまでであり、紀元前、特に殷代の甲骨文字や西周代の金文にまで遡ることはできない(より詳細な起源については後述)。

そういうわけで、「竜」が「龍」より古いなどということは無い。

2. Webサイト『漢字文化資料館』の間違いだらけの記述

『漢字文化資料館』というサイトのとある記事は、「竜」が「龍」より古いというトンデモの、影響力の強い拡散元の一つのようである。

この『漢字文化資料館』というサイトのQ&Aコーナーは、一見知識豊かな研究者によって書かれているかのように見えるかもしれないが、実際には漢字の歴史について無知な素人(たぶん大修館書店の社員なのだろうけど)が担当した「しらべてみました!→いかがでしたか?」系の内容で、間違いだらけなので信用してはならないタイプのサイトである。

問題の記事に掲載されている図と、文章の一部を引用しよう。

掲載されている図

……当然ながら「龍」の方が古いものと思われます。しかし、最も古い時代の漢字の形を伝えている甲骨文字では、この字は図の左側のような形をしています。さらに、甲骨文字の次に古いとされる金文(きんぶん)では、右側のような形になります。

https://kanjibunka.com/kanji-faq/jitai/q0336/

まず、引用されている「図の左側」の文字は「龍/竜」とは全く無関係の文字である(おそらく「虎」だろう)。本物の「龍」の由来となった甲骨文の形は先に引用した通りで、もっと金文の形に近い。

この間違いは(おそらく加藤常賢『漢字の起原』を経て)究極的には『甲骨文編』という甲骨文字の字典に起因するものと思われる。1934年版『甲骨文編』では「龍」の項目を引くと、本物の「龍」の甲骨文字に先立って先頭に「図の左側」の文字が掲載されている。1934年版『甲骨文編』におけるこの誤同定は1965年版『甲骨文編』では修正されているが、大修館書店から出版されている漢和辞典『新漢語林』は今(2011年出版)でも1934年版『甲骨文編』の間違いを引き継いでいる。『新漢語林』に携わった全ての人間が、1965年版『甲骨文編』における修正と、『殷墟卜辭綜類』(1971年)、『殷墟甲骨刻辭摹釋總集』(1988年)、『殷墟甲骨刻辭類纂』(1989年)、『甲骨文合集釋文』(1999年)などの著名な文献が揃ってこの文字を「虎」と解釈していることを見逃したのである。

このケースは、「竜」は「龍」よりも古いというトンデモとは直接の関係は無いが、大修館書店(『漢字文化資料館』および『新漢語林』)の担当者の調査能力と知識の欠如を示す良い例であろう。

文章に戻ると、次のように書かれている。

これらの形を見ている限り、どちらかと言えば「竜」の方が本来の形に近いものと思われます。

https://kanjibunka.com/kanji-faq/jitai/q0336/

この人が見ている「これらの形」が無関係の別字であることは既に説明したが、残念ながら、それがたとえ本物の「龍」の甲骨文の形で、そしてそれが「竜」の形に近いと“思われ”たとしても(近いとは思わないが)、甲骨文の文字は甲骨文の文字であって「竜」ではない。甲骨文の形は、その後1000年以上かけて多くの人々によって使われ続けた結果「龍」と書かれるようになった(その過程は十分理解されている)のであって、甲骨文の1500年以上後に初めて登場する「竜」にはならなかったのである。

『漢字文化資料館』のページには「「竜」は甲骨文字の直系の子孫」だという記述があり、どうやら「龍」はなにか通常とは異なる変化を経たもので「竜」こそが甲骨文字から継承されたものだと主張しているようであるが、その直系の形とやらが1500年以上後に「竜」として現れるまでの間の周・秦・漢代に見られないことについて何か説明する必要がある。甲骨文に見られる文字は、その後多くの人々によって途絶えることなく使われ続けることで初めて現世に維持されるのである。漢和辞典などにおける「甲骨文」や「金文」などのラベルとその下に示される字形は、途絶えることのない文字使用の、とある一瞬を切り取っただけである。それらを表面的に見比べて、時代のかけ離れた甲骨文の形と現代の形を直接比較して似てると思っても意味が無い。(ただしその例外についてこの後説明するが、これにはあてはまらない。)

ついでにいえば、「竜」が甲骨文の形に直接由来するものなのであれば、甲骨文字のどの筆画が「竜」のどの筆画に対応するのかも説明してほしいものだ。甲骨文字の形は口の横から長い尾が伸びているが、「竜」はそのような形はしていない。

「龍」の歴史観

というわけで、実際には「龍」こそが唯一の“直系の子孫”である。「竜」という形と甲骨文・金文の形を結びつける記述は『漢字文化資料館』特有のものではないが(呉錦章『讀篆臆存雜説』など)、いずれにせよ誤りである。「竜」の起源については後述するが、甲骨文字や金文とは無関係の後発のものである。

『漢字文化資料館』の「「竜」の方が本来の形に近いものと思われます」という文章は、好意的に見れば単に甲骨文字の形が「竜」の形と似ていると思ったという単なる主観的感想を述べているように見えるが、それ以降の文章は「「竜」の方が本来の形である」という記事担当者自身の独自主張が当然正しいものとされ、「龍」とは無関係の甲骨文字の形に関する間違った説明が続く。しかし、これらについての訂正はもはや不要だろう。まとめると、「「竜」の方が本来の形に近い」と感じるのは自由だが、「竜」は本来の形ではない。

3. 「古字」という用語に対する無理解・誤解

筆者は本記事よりもはるか以前に、「竜」が「龍」より古いというのはトンデモだと発言したところ、誰かに『「竜」は「龍」の古字だと漢和辞典に書いてある』と言われたことがある。実際には漢和辞典における漢字の歴史に関する記述には信頼性がほとんど無いというのが事実だが、幸運なことに(?)そのことは今回は関係がないので置いておこう。

確かに、例えば『大漢和辞典』には次のように書かれている。『集韻』という、中国の宋代(1039年)に編纂された辞書の記述が引用されている。

【竜】龍の古字。〔集韻〕龍、古作竜。

『大漢和辞典』p. 8839

しかし、「竜」は「龍」の古字だという記述は、問題のトンデモ(「竜」は「龍」より古い)のような意味では無い。インターネットの海を探索すると、既に2008年に京都大学の安岡孝一氏が自身のブログでこの誤解を指摘しているので、引用させていただこう。

「龍と竜では、竜の方が古いんじゃないですか?」というご質問をいただいた。どうも『大漢和辞典』にある「〔集韻〕龍、古作竜」という記述を読んで、竜の方が古いと思ったようだ。

しかし、『大漢和辞典』の「〔集韻〕龍、古作竜」を、「龍より竜の方が古い」と解釈するのは、実は間違いだ。引用元の『集韻』を見ると、「龍」の説明には「古作竜𠉒㡣𠊋㰍」とあるのだ。つまり、「龍は昔、竜とか𠉒とか㡣とか𠊋とか㰍とか書かれたこともある」という意味で、別にどっちが古いとか言ってるわけではない。

https://srad.jp/~yasuoka/journal/427742/

実際の『集韻』の見出し部分を引用しておく(「古作竜…」は本文に書かれている)。見出しの「竜」の中央部は“臼”形であることに注意。

『集韻』の「龍」の項目の見出し

『集韻』を始めとする中国土着の辞書には、しばしばこのように、ある文字に対して「古」というラベルのもとにその文字の異体字が掲載されていることがある。それらの異体字を「古文」という(「古字」では無い)。漢和辞典で「古字」と呼ばれている文字の多くはこの「古文」に由来するものである。重要なのは、古字にしろ古文にしろ、このラベルは文字起源の相対的な古さとは関係がないということである。

引用文にある通り、『集韻』では「龍」の古文として「竜」と並んで「㰍」が掲載されているが、この文字は「龍」に「木」を加えてできた字なので、「龍」より古いはずがない。したがって『集韻』の記述、そしてそれを引用した『大漢和辞典』の記述は、「竜」が「龍」より古いことを意味するものではない。

ついでに言えば、『集韻』の時代の人間が、殷代にまで遡ることが可能な文字についての「古さ」の知識を持っていたはずがない。おそらくトンデモ歴史観においては、甲骨文の形と楷書の「竜」の形を直接比較するという時代錯誤と同様に、『集韻』がいつ誰によって編纂されたものなのかということについても無視されたのだと思われる(甲骨文字を使っていた人々=「昔の中国の人々」=『集韻』を書いた人々、のような感覚なのかもしれない)。実際には、『集韻』の時代には紀元前の漢字の状況について非常に断片的な知識しか存在しなかった。

そのため安岡氏は、中国土着辞書の「古文」あるいは漢和辞典の「古字」は、単に「昔このように書かれたこともある」という程度に受け止めるべきだと述べている。もっと残酷に言えば、古文や古字とは、辞書で古文や古字というラベルが付けられているものという以上の意義はないのだが、少なくとも「より古くから存在する文字」という意味では決して無い。

付記: 「古文」に対する正しい理解

ここで一旦「龍/竜」の話から離れて、中国土着辞書の「古文」あるいは漢和辞典の「古字」についての知識をさらに深めておくと、「竜」以外の関連するトンデモから身を守るのに役立つかもしれない。興味のない人は読み飛ばすことを推奨する。

『集韻』を含む中国土着辞書の「古文」というのは無造作になんとなく古そうなものを集められたものではなく、一応の由来がある。今回の記事に関係がありそうな部分だけかいつまんでまとめると、古文とは次のようなものである。

  • 戦国時代(紀元前5~3世紀)、中国には様々な国が存在したが、漢字は(方言のように)各国で独自の変化を遂げた。秦が中国を制すると、秦国特有の漢字が標準の文字として制定されたため、それ以外の国(斉とか楚とか)で発展してきた漢字は後世に継承されることなく廃れることになった。時代が下って漢代(紀元前2世紀)に、戦国時代に秦以外の国の漢字で書かれた資料(竹簡)が壁の中に埋められているのが発見された。この文字は漢代当時の漢字(=秦文字に由来する漢字)とはあまりに異なっているので、ある人々はデタラメなものと考えたが、ある人々は今では廃れた昔の文字だと考えた(結果的に後者が正しかった)。以降も何度か同様の戦国時代の文字資料の出土があり、後者の人々はそこに書かれている文字を記録することにした。これが古文(の由来)である。

なぜ古文と呼ばれているのかというと、漢代より古い時代に書かれた形に基づく文字だからである。逆に、多くの人々によって途絶えることなく使われ続けることで秦・漢代を生き延びてきた文字の形は「今文」と呼ばれる。

古文を記録している現存最古の字書は後漢代の『説文解字』である。『説文解字』に古文として収録されている文字の多くは、以下の図に示すように明らかに戦国時代の斉国で使われていた文字を反映している。

『説文解字』に収録されている古文と、戦国時代の斉国の文字

このように『説文解字』は戦国文字の形を比較的に忠実に記録しているが、それより後の時代の字書は、それらを強引に楷書体(っぽい形)に再形成した形を収録するようになった。このタイプの古文を「隷古定古文」などと呼ぶ。例えば、『集韻』では上記の「冬」「荘」「舜」の古文は以下のような形で収録されている。このような隷古定古文はもはや戦国時代の文字の原形をとどめていない。

『集韻』に収録されている古文

こうした隷古定古文(楷書化された古文)は字書だけでなく、しばしば当時の写本や碑文などでも実際に用いられている。つまり、§2で「甲骨文の形が中間の時代に痕跡を残さずに時代を飛び越えて後世に登場することはない」的なことを述べたが、このケースでは、戦国時代の文字が出土し古文として記録された結果、数百年を飛び越えて楷書化された文字として登場することとなったのである。

注意しなければならないのは、辞書に載っている古文には誤認・誤同定または捏造・創作が頻繁に含まれていることである。よくあるのは、

  • 当時の研究水準の限界から、ちょうど1934年版『甲骨文編』が「虎」の甲骨文字を「龍」と誤同定した(前述)のと同じように、ある戦国時代の文字がそれとは無関係の漢字の古文として認定されることがある(あるいは単に誤植に由来するものもある)。例えば『集韻』では、「眉」の戦国文字に由来する「䁞」という文字が、「省」の古文として収録されている。

  • 戦国時代の文字ではない最近できた文字が古文として認定されていることもある(たぶん誰かが「見慣れない文字だからどうせ古文だろう」のように考えて古文認定したのだろう)。例えば『集韻』では、「賢」の古文として、「贒」という明らかに漢代以降に作られた創作漢字が収録されている。こうしたケースでは、それを逆に戦国文字風にした形が作られることも有る。

一例を挙げると、宋代に編纂された古文専門の字書である『古文四声韻』には、「褐」の古文として次の形が収録されている。

『古文四声韻』の「褐」の古文

この形は戦国文字ではなく、楷書の「褐」の形にスタート地点が有る。「褐」の左側の衣偏「衤」が形の似た示偏「礻」に取り替えられ、さらに右側の「曷」がやはり形の似た「蜀」に取り替えられた「⿰礻蜀」という文字が作られた後、「礻」と「蜀」をそれぞれの古文に差し替えると図の形ができあがる。衣偏と示偏の交替や「曷」と「蜀」の交替は、それらの形が接近した時代以降にしかありえないので、これは戦国時代よりずっと後にできたただの誤字を戦国文字っぽく見せただけの創作ということになる。

要するに、中国土着辞書に掲載されている古文は基本的には「戦国時代(紀元前5~3世紀)頃に特に秦以外の国で使われていた文字」に由来するが、楷書化されて元の形を失っているものや、誤認・誤同定または捏造・創作による偽の戦国文字が存在している。したがって結局のところ、辞書がある文字を「古文」として掲載していても、その実態を伝えるのにはほとんど役立っていない。そういう意味で、古文の定義は「辞書で古文と呼ばれているもの」でしかないのである。

4.「竜」の起源を考える

本記事の§1, §2, §3で、「竜」が「龍」より古いというのは間違いであり、この考えが漢字の歴史に対するさまざまな無理解・誤解にいくらか根ざしているものだということはわかっていただけただろう。「竜」という形は、「龍」の甲骨文字の形とは無関係で、確実な初出は隋代である(中央部が“臼”の形)。では、「竜」の形はどこからきたのだろうか。

§1で述べた通り、「竜」は『経典釈文』の写本に登場する。この経典の本文はほとんどが隷古定古文(楷書化された古文)の形を用いて書かれているのが特徴である。また、宋代に編纂された古文専門の字書である『汗簡』と『古文四声韻』には、どちらも「龍」の古文として「竜」が(篆書の形で)収録されている。

『汗簡』と『古文四声韻』の「竜」

このように、「竜」は隋~宋代には「龍」の古文と認識されていた。付記で述べたように、古文は基本的には①戦国時代頃に特に秦以外の国で使われていた文字に由来するが、②別の戦国文字の誤認・誤同定や、③後世の俗字あるいは捏造・創作されたものを古文と誤認したものである可能性がある。

4.1. 「竜」が「龍」の戦国文字に由来する可能性はほとんど無い

黄錫全『汗簡注釋』(1990)、許學仁『《古文四声韻》古文研究』(1997)、許舒絜『傳鈔古文《尚書》文字之研究』(2011/2014)等いくつかの著者は、『汗簡』『古文四声韻』の「龍」の古文は「戦国時代(紀元前5~3世紀)頃に特に秦以外の国で使われていた文字」に由来する、いわゆる本物の古文だと考えている。もしそうであれば、今日の「竜」は『汗簡』『古文四声韻』に収録されているような形を楷書化したものである。

しかし、これらの著者は「竜」が「龍」の戦国文字以外に由来する可能性を特に検討せずに何も証拠を提示していないか、引用している証拠に誤認がある。一方、段凱『《古文四聲韻》(卷一至四)校注』(2018)は、「竜」の起源は不明であるとしながらも、「龍」の戦国文字に由来するものではないと明言している。

実際、戦国文字の「龍」は下図のような形で、『汗簡』『古文四声韻』に収録されている形には特に似ていない。したがって『汗簡』『古文四声韻』に収録されている形が「龍」の戦国文字に由来する可能性はほとんど無い。

戦国時代の秦国以外の「龍」の文字

4.2. 「竜」は「龍」とは別の戦国文字の誤同定に由来するかもしれない

『《古文四声韻》古文研究』は、『汗簡』『古文四声韻』に収録されている形が「龍」の戦国文字に由来する証拠として、誤って「章」の戦国文字を引用している。ここにヒントを得たのか、孟蓬生『“竜”字音釋』(2014)は、「竜」が「章」の戦国文字に由来すると提案している。それによれば、「龍」と「章」はもともと発音が同じであったために『汗簡』『古文四声韻』において「章」の戦国文字が「龍」として収録されたという。

残念ながら『“竜”字音釋』で挙げられている証拠は非常に杜撰で、「龍」と「章」がもともと発音が同じであったということはありえないと言って良い(さらに言えば近い発音でもない)。中国語歴史言語学をまともに勉強すれば、『“竜”字音釋』に限らず孟蓬生氏による音韻学論文のほとんどは荒唐無稽なものであることがわかるだろう。

さらに、「章」の戦国文字も、『汗簡』『古文四声韻』に収録されている「龍」の古文の形には似ていない。『汗簡』『古文四声韻』の形にしろ、碑文や『集韻』の形にしろ、初期に記録された「竜」の中央部は例外なく“臼”のように書かれていることを忘れてはならない。中央部が“日”と書かれる「竜」は“臼”を簡略化した後世のものである。そのため、「章」の戦国文字が何らかの理由で「龍」として収録されたという説自体に説得力が無い。

「龍」の戦国文字(『戦国文字字形表』(2017)より)

李春桃『傳抄古文綜合研究』(2021)の説はより説得力がある。この説では「霊」の文字が起点になる。「霊」には「靇」または「龗」という異体字が存在し、『汗簡』『古文四声韻』には「霊」の古文として「雨+竜」に相当する形が掲載されている(『集韻』には楷書の形で掲載されている)。

秦の碑文と中国土着辞書における「靇」または「龗」の例

一方、戦国時代の秦国以外の国では、「霊」がしばしば「霝+亀」の形で書かれている。この文字は、下図に示すように『汗簡』『古文四声韻』の「霊」の古文によく似ている。より具体的に言えば、戦国文字の「亀」は、『汗簡』『古文四声韻』の「龍」の古文によく似ている。

戦国文字の「霝+亀」および「亀」

『傳抄古文綜合研究』の考えによれば、漢代にこの「霝+亀」の文字が出土したとき、当時の研究者はそれが「霊」の異体字であることはわかったが下の部分が「亀」だとはわからず、この文字を「靇/龗」と誤って同定してしまった。そこから敷衍された結果、字書には「龍」の古文として戦国文字の「亀」に由来する形が収録される事になった、という。陳建勝『傳抄古文所見經書古文構形疏證』(2023)もこの説を繰り返している。

4.3. 「竜」は「龍」の後世の略字の可能性が高い

「竜」が戦国文字の「亀」に由来するという説は、大きな矛盾はないものの、積極的な証拠は無く経緯もやや複雑である。より単純なのは、単に漢代以降に「龍」の筆画を省略して「竜」という文字が作られ、それが字書において古文として誤認定されたというものである。

鄭珍『汗簡箋正』、呉則虞『晏子春秋集釋』、郭在貽『俗字研究與古籍整理』(1990)、張涌泉『漢語俗字研究』(1995/2010)等は、「竜」は後世(漢代以降)に作られた俗字である(=戦国文字とは関係がない)と述べている。

初期の古文を記録した資料には、「龍」の古文として「竜」に類する形の文字は収録されていないことに注意してほしい。例えば『説文解字』(紀元100年)や『篆隷万象名義』(543年に編纂された『玉篇』の初期の抜粋写本)といった字書に「龍」の古文は掲載されておらず、「竜」に類する形が中国土着辞書に始めて登場するのは紀元960年頃に編纂された『汗簡』である。『汗簡』は収録した古文に対して原則出典を挙げており、それによれば張揖『集古文』や朱育『集奇字』(いずれも内容不明の逸書)など三国時代の字書で既に「竜」のような形の文字が「龍」の古文と見なされていたようであるが、これらの出典はいずれも、戦国文字とは無関係か少なくとも疑わしい形が少なくない量で収められている字書である(徐剛『古文源流考』(2008)参照)。また、三体石経(241)・碧落碑(670)・李綽墓誌(888)・劉賡墓誌(1108)など、意図的に古文の形で書かれた石碑で用いられている「龍」の文字は尽く「竜」に類する形ではない。

古文を用いて書かれた碑文の「龍」の形

これらのことは、「竜」が一部では三国時代頃から古文と認定されていたにせよ、その出自が戦国文字ではなく後発の略体であることを示唆している。『汗簡』『古文四声韻』に掲載されている篆書風の古文の形は、楷書の「竜」の形から逆形成されたものであろう。

李樂毅『簡化字源』(1996)は次のような図を掲載している。

李樂毅『簡化字源』(1996)より

この図は、「龍」の右上部を省略しただけで「竜」の形ができたかのように表現されているのでやや不正確であるが、「龍」という文字がこの図のように右上部を省略したような形で書かれたのは事実である。例えば、漢代の竹簡・木簡には多くの例がある。

漢簡の「龍」の例

Adrian『腦洞一則(之三)』(2021)は次のような図を掲載している(上側は矢印の向きが時系列とは逆であるので注意)。

Adrian『腦洞一則(之三)』(2021)より

より具体的にモデル化すると、「龍」から「竜」への過程は次のようになるだろう。

「龍」から「竜」への展開

「竜」のごく初期の例である敦煌出土『経典釈文』写本を詳細に見ると、下図のように、注釈に「このようにも書かれる」としてやや異なる形の異体字が掲載されている。この形の下部は、上図の③→④の過程の中間的なものと見ることができる(この形の上部は「立」→「龷」の変化を経ている)。

『経典釈文』写本に見られる、「龍」から「竜」への中間形と考えられる形

さらに、『集韻』にやや先立つと推定される『龍龕手鑑』(997)という字書には、「龍」の古文として次のような形が掲載されている。

『龍龕手鑑』に掲載されている「龍」の古文

掲載されている5つの形のうち最後のものは実際には「龔」に由来するが、その「共」を除いた部分は明らかに上図の③の形がやや変化したものである。また、上から3つ目と4つ目の形も、上図の③の形のバリエーションである。

このような上図の③に類する形は、楷書で書かれたもののみが存在し、『汗簡』や『古文四声韻』にこれに対応する篆書風の形は掲載されていない。また、漢字の歴史において、上図の④⑤の形から③のような形に変化することはほとんどない。例えば「電」「奄」などの文字の下部が③のように縦線2本で書かれることは無い。逆に、②③のような形から④⑤のような略体が形成されるケースは頻繁に見られる(龜→亀、蠅→蝿などを考えてみよう)。

「龜~亀」のさまざまな形

したがって、『経典釈文』写本や『龍龕手鑑』に見られる、上図③に類する中間形態の存在は、「竜」が「龍」の略体に由来する可能性を強力に支持している。

5. まとめ

  • 「龍」という形は、甲骨文字に存在する竜の姿を象った象形文字が途絶えることなく使われ続けた結果生まれた形である。

  • 中国土着辞書や現代の漢和辞典はしばしば「竜」を、「龍」の「古文」や「古字」などと呼んでいるが、これは「竜」が「龍」よりも古い起源を持つという意味ではなく、漢代より古い時代に書かれた文字の形に由来する(と中国土着辞書の編纂者は考えた)という意味である。

  • しかし戦国文字との比較から、「竜」が「龍」の古文であるという中国土着辞書による解釈は誤りであることがわかっている。「竜」は、漢代以降に「龍」という形からおおよそ下図のような変化・簡略化を経て形成された略体である可能性が高い。

「龍」から「竜」への展開(再掲)
  • 「龍」という形が甲骨文字の形から複雑化を経ているのは事実だが、「龍」という形が「竜」という形から複雑化を経たと考えるのは間違いである。

  • 甲骨文字の形と「竜」という形を直接比較して同一視するのは時代錯誤である。この2つの形が似ているように見えたとしても、実際には無関係であり、甲骨文字の形から「竜」という形が生まれたという考えを証明するものは何も無い。

  • 『漢字文化資料館』や『新漢語林』が「龍」の甲骨文字の形として引用しているものは、実際には「龍」の甲骨文字ではない。

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