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「言語化」noteをご紹介

noteを書く上で必要なのはネタを見つけてくる観察力や発想、思考が着目されがちですが、長く継続して書き続ける時に必要なのは言語化する力だと考えます。前者は外部から得た材料を基に構築していくイメージで、後者は自分の内面をどんどん掘り下げていく作業が中核だと思います。

もちろん、どちらも外面と内面をリンクするのですが、前者はどちらかというと料理の材料を集めていくイメージで、後者は毎日料理をし続ける中でどうやったら飽きが来ないか、ずっと楽しんで頂けるか、少しでも違いを生み出せたり、発見や刺激など、何かを提供できるかに繋がると思います。

たとえば初期はなんでも書こうと思えば書けます。「ランニングについて」「初めての大会」「初めてのランニングスクールへの参加」・・・

このようなシンプルなタイトルで書き始められますが、多くのnoteを書いていく上で段々、ニッチな材料に手を出すしかネタがなくなっていきます。多くの方がnoteの投稿を取りやめていくのはこの段階で行き詰った人も多いのではないでしょうか?

時事ネタだって、毎年同じことを書き続けるのは辛いですよね。ちょっとした変化があれば良いですが、それを上手く捉えられず、無理やり大きな変化や行動を起こそうとするといろいろと摩擦が起きたり、良くない影響や事象に繋がりかねません。かといって淡々と、同じように書き続ける、トレーニングするのはパフォーマンスを落とす要因になっていきます。

なので、同じ事柄を捉えても、同じような思考の流れを行っても、どこかでいつもと違う言語化に取り組むことで新たな何かを得ること、発見できること、提示できることもあると思います。よく思考を深めていく為に「なぜ?」を5回繰り返しましょう!というような言説を見かけますが、それと同じで普段はそれほど意識しなかった事柄に対して少しでも言語化を目指してみることで捉え方が変わります。

noteを書くこと、アウトプットを丁寧に続けることで大きな変化が出るよ、というのはこういう部分です。日常の些細な部分から言語化を目指す。書いていく内容に常に変化を与える。新しさを加える。そういった工夫が自分の目も、意識も変えていくのではないでしょうか?

それがアスリートならパフォーマンス向上に、クリエイターならより高いレベルでの創作に繋がるのではないでしょうか?


走遊Lab:一緒に考えてみませんか?学んで、意識や行動を変えてみませんか?


神屋の「言語化」に関連するnote

運動や動作、操作にとって自分の外から得た情報を内側の蓄積してきた情報とすり合わせる時に、言語化した情報は役立ちます。日誌を書くことや情報交換でより言語化は進めやすい。

言語化を目論見、どんどん作業を進めていくとネタが枯渇したような気分になります。そこからが勝負。多くの暗黙知が内在しているだろうから、それらを掘り起こしていく作業が進む。


棋譜をただ残していくのではなく、その背景にある1手1手への考えまでも記していくと、より上達の近道だと思いますし、多くの方にとっても参考になる、見応えがあるものになっていくと思います。

ランニングにおいても同じ事が言えると思います。走遊Labで様々なスポーツ、囲碁などの知的ゲーム、言語化や発信、勉強など領域をまたがって総合的に推奨する、場を創っていこうとしているのはこういった部分が根底にあるからです。


こうしてnoteや電子書籍等で言語化するのもほんの一部でしかありません。ケーススタディも幾らでもありますし、何より選んで頂いた方々、クライアントによってカスタマイズすることになれば一般的な、誰にでも共通する部分とは違った部分で多くの知見、暗黙知も必要となります


今、欲しいもの。学んだり、武器を探したり、やりたいことを探したり、得意分野から書き上げたり。そういった作業の源に、この作業をやってみると良いかもしれません。


実行するべき、したいリストを作成する時も、やりたいことを探す時も、自分が何をやりたいか、どんな風になりたいかを考えていく時も、関係ありそうな数々の「思う」を先ず書き出してみましょう。そこから日頃「実行」しているもの、近いことをしているもの、領域が近いもの同士を並べてみましょう。


では感覚を言語化する意味はないか、トップアスリートの発言・発信は意味がないかというとそんなことはありません。一般化されたものは例外もその範囲外のものも全て切り落としているので非常に狭い部分でもあります。その幅を広げようとするならより多くの言語化された感覚などが必要


練習会、講習会、教室、トーク、オンラインサロン、指導者としても根は同じで、伝わる文章を書けるようになれば、言語化能力を高められれば、フィードバックなどももっとうまく出来ると思います。やることは沢山ありますね


だからトレーニング、身体作りと一緒で筋力と持久力、体力気力などを養う必要があります。土台を創る。軸を創る。技術や技能を幅広く持つ。感度を高めに・・・


だから可能性は大いにあると思う。あると思うし高めていきたい。もっと関心を持つ人も増やしたいし、一緒にやる人も増えて欲しい。言語化や表現をどんどんチャレンジしていくのも面白い。やり方、余地は多くある。これからが楽しみですね


個人ならとにかく書いてみる。読んでみる。言語化する、資料にしていく。まとめていく。発信、シェアする。そういったことが当たり前になっていくと良いなと思います。



「言語化」についての他の方々のnoteを探してみました

思考を言語化するのはこのもう一歩前の段階で、言葉にすることすら逃げているのではないかと感じた。自分の中でyoutubeがうまくいかない、がんばれない理由を言語化することは、自分の弱い部分に触れるような気がしていて怖がっていたような感覚があったと、今になってそう思う。

一人では言語化が怖かったが、コーチングを受けている状態でなら安心して言語化できたのかなとも思っている


みんな「書いて生きていく」ことについて知りたいし、本当に書くことで生計を立てていけるのか、病まずに健やかに仕事を続けられるのか、が切実な問題なんだと気づきました。
何かについて考える“深度”が人と違うと思った。(中略)でも、さとゆみはそこから「では、まず、売れるライターって?」と具体的に考えていくし、その思考のプロセスを言語化しているから、さとゆみの思考を追いかけること自体が、面白い。


砂時計のイメージがちょうどいい。まず上部に砂があります。この砂が「こうなったらいいな」というあなたの頭の中に浮かぶ思い。それが少しづつ落ちていくよね。次第に砂は下部に溜まっていく。これが現実化というか、現象になって目の前に現れること。そんなイメージをしてみてください。

(中略)

カンタンに言えば、真ん中の細いネックが太く、広げられれば、思ったことがすんなり現実化していくわけです。じゃあどうやって広げるのか?「こうなったらいいな」を紙に書いてみるのです。思いというぼんやりしたつかみどころのないイメージを、とりあえず2次元の紙に言語化する。


この小説の「言語化してくれた」という快感は、今も私の本を読む理由の一つになっている気がする。モヤモヤしているのに、それを外に吐き出す手段や語彙を持ち得ていないから、本の中の言葉にすがっている。「どうか私のモヤモヤを言語化してください」とお願いするように小説を読む


本当の意味で思考する機会を日々、絶えず持っている人なんて普通はあまりいないんじゃないだろうか。新卒や転職したばかりの中途じゃなければ、年月を重ねれば必ず仕組みや経験、慣れで回せるものが多くなる。その仕事に思考の機会はあまりない。

事象やテーマに対してなにかの意見や所感を書こうと思うと、必然的に知らないことは調べ、根拠となるものを考えようとする。


好きな人・ものを広めるために、イベントレポートなど「書く」でお手伝いしたい。仲間をふやすために、「書く」でつながるきっかけをつくりたい。「好き」を残したり、表現したりするために、「書く」で自分の偏を言語化したい。

わたしの書く目的とか、書く理由ってやっぱりこれだなって思います。


日常生活において、自分の意見を瞬時にまとめ発信するという機会が全くといっていい程無いので、まだできなくて当たり前だと考えていますが、この先、言語化し伝える能力は得意ですと言えるようたくさん訓練を頑張ります!


台本は、戦略を言語化したものでもあります。個別の要素がなぜ、齟齬なく連動し、全体としてなぜ事業を駆動するのかを説明するもの。自社がなぜ、他社にできない価値を生み出し、利益をもたらすのか。個別の打ち手は静止画ですが、因果論理で縦横につながったとき、戦略は「動画」になります。勝負を決定的に左右するのは戦略の流れと動きにあります


そのために他者を観察したり、感情移入したりすることにより、その価値観や内在論理を理解し、言語化し、そのベースでコミュニケーションを組み立てられることが必要である


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