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『AIの世紀 カンブリア爆発』田中徹

囲碁はAIがプロを打ち破るようになってから、恐ろしく今までの常識やセオリーを根底からくつがえしたと言われます。ただ、人間もしたたかにAIから学び、今までとは違う打ち手を研究するようになり、新たな境地を得たと聞きます。

ランニングやどの分野も遅かれ早かれ、そういった大きな変動、圧倒的な変化が押し寄せてきて、どう対応するか、チャレンジしていくかが問われると思います。

アスレチックスの手法はその後、ほかのチームも採用した。BOSのようなシステムを全球団が取り入れ、勝つことができるのなら、データと統計でチームを編成し、コンピューターが「考えた」戦略が有効であれば、それを使う。どんなに抵抗があっても、結果を出すために新しい技術を取り入れる。そうしなければ、生き残ることはできないのだからセイバーメトリクスもBOSも、すべての球団が採用するようになれば、先行者の有利はなくなる。長く続くゲームやスポーツは奥が深い。システムは不断のバージョンアップを求められるし、そうした環境で優位を保つには、コンピューターを支援者としてどう使うことができるかが、問われることになるのだろうかといって、人間の棋士の価値は変わらないように、アスリートの価値も変わらない。統計から出された戦略を覆すようなプレーがあり、見る者を感動させるいくつものドラマがあるから


この本の中盤ではこれからヒトが考えるべき倫理や行き方も含めて考えておきたい技術の進歩や基礎情報がありますね。

一人一人が考えるより大きな流れや変動の方が大きいかもしれませんが、何も考えずに居るとますます厳しい方向や望まない形になるかもしれません。

後半部分ではビットコインなどの暗号通貨も出てきますが、上記のクーポンなどを含めて手段や行き方を考える上でも重要性が増しますよね。どういった方法が使われやすいか、投資がされやすいか?

そしてどういう組み合わせが人や環境を育み、力を付ける、作り上げるのかも考え続ける必要があると思います。


知能には身体が必要だという考え方がある。空間や感覚を直観的に理解するにも身体が不可決であり、人間は現実の世界で活動することで、体験的な知識を獲得している。 ヒトという動物としては非力な生物は、知能を持たなければ他の生物との競争を生き残れなかった。時間的にも物理的にも有限な身体を維持して守るため、人間は知能という道具を獲得した。

身体の、身体性の重要性が端的に伝えられています。人工知能のような最新のテクノロジーの話になっていく時に対比するように自らの最も確かであろう身体に注目することは必須だと思います。

今後、どうテクノロジーが進化するにしても自分を磨くことも、思考能力などを上げていくにしても、クリエイティブさを目指すにしてもキーワードになるのは身体、身体性だと思います。


「認識可能な対象をもったこの人間の世界は、身体的欲求の満足のために身体的能力を用いる人間によって組織化されているものである。これら根本的な人間の能力に基づいて組織化される世界が、何か他の手段 (筆者注·人工知能)によって獲得できるという考えには、何の根拠ないのである」


物理的な身体があるから、自分と他者、環境や世界との境界面(インターフェース)を認識することができる。自分と他者を区別することにもなる。物理的な身体は時間的にも空間的にも有限であることを意識せざるを得ない。そこから、認知や認識と呼ばれる能力が生まれる。人間だけでなく、動物や昆虫、身体を持つ生物はみな自分と環境の境界面を認識して行動している。ところが、ロボットが二足歩行に成功しただけで驚かれるくらいだから、機械に人間のような認知、認識力、あるいは身体、運動機能を模倣させることはとても難しい。

全ての根幹はその身体性にあると思います。AIなどがどの程度そこに迫るか、違うアプローチで力を付けるかは解りませんが、頭脳だけで何かを考える、インプットしていくのには限界があると思います。

手指の刺激や運動、感覚、多くのインプットがそこには生じますし、刺激や学びとなって作用していきます。自分を育みます。だからスポーツもそうですが、本当に手近な遊びの習慣やスキルも大切だと思うんですよね。


「人間は、すべての分野で外部環境からさまざまな情報を取り入れ、相互作用を起こした結果、脳を発達させています。身体は、脳と外部の環境をつなぎ、五官を通して情報を取り入れるための橋渡しの役割をしています。身体があるからこそ、さまざまな情報を取り入れ、脳が発達するのです。 つまり、身体が脳をつくる。身体があって初めて環境と関わることができ、環境自体一情報のループが知能を持たせています。そのため、環境に働きかける身体、筋肉や骨格だけではなく内臓、内分泌系すべて、人間の見た目の動きを実現するには、内側の原理を知ることが必要なのです」

こういったnoteを書く際も、スマホで書く場合とパソコンで書くのとでは微妙に違いが出てきますね。

疲労感も去ることながら、指先だけで打つのと、身体全体でパソコンに向かうのとは違いはあると思います同じように、パソコンに向かう姿勢と、スマホで打つ姿勢も違いますよね?そこでどんな違いが出るでしょうか?

そういった研究があるのかどうかは解りませんが、身体性というキーワードで様々に考える、行動することが今後の大きな意味を持つし、役立つと思います。

そういった研究や、継続的に身体を動かす習慣作り、身体と向き合うきっかけに走遊Labで活動してみませんか?








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