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本にまつわる/書くこと/読むこと note

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noteを書く&続けるヒントに。読むこと、本のこと。つまり活字は楽しい📖
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#スポーツ

「初心」はどう大切か?

初心者の存在って非常に大切です。 誰でも初心者の頃があります。初めてのことに戸惑う時の気持ちを思い出してみれば、専門家やプロになった後でも、サービスやご案内をする時も、もっと相手に寄り添った、細やかなサポートができるのではないでしょうか? もちろん、横暴や過剰なサービスを求めたり、「寄り添い」を検討するのは違うと思います。線引きが大事。 スポーツの世界でも「初心を忘れることなく」という言葉があります。その言葉を本当に金言で、常に初心を考えて行動すればかなり色々なことが違っ

「1万」という数字、1日10をベースにした目標を考えてみる

元ネタはこちら。 何かをものにする、それなりのレベルに達しようと考えるなら「1万」という数字を意識してみます。英単語でも「1万」覚えていればかなりの文章を読む素養があると思いませんか? ちょっと調べてみると英単語「1万」というのはキリの良い数字でもあるためか、多くの検索、攻略法がヒットしてきます。漢字でも、語彙力でも1万という数字は目標になるし、イメージしやすいですよね。 ランニングなら、1万キロだと、箱根駅伝を目指す選手が「強くなった基準」のイメージで出される数字だと

ノルマが1日1本か2本では大違い

先日からnote投稿のペースを1日1本ノルマに変更し、投稿し始めました。基本的には朝7時か7時30分で行っています。理由は累計4000本を超えたことや、2024年度を見据えて、あとはいま書ける内容に変化が出ていることです。 こんな事情などいろいろあるし、不思議と習慣化した中でも変化が生まれるから面白いところです。ずっと変わらないのも大事だけれど、状況に応じて変化できるのも強さ、続ける秘訣だったりもします。 さて、1日1本の投稿をと書いていますが、実際には「つぶやき」の投稿

無ければ創ろう

なければ作ろう。我々の世代では、ないものはないと諦めたり、そのうち世の中に出てくるんじゃないかと期待したり、そういうふうに我慢が効くことが美徳でもあり、基本でもあったように感じます。 ただ、今の時代を見ると、無ければ作ってしまおう。そういった感覚を持っている人が増えたようにも思います。これはクリエイティブな分野だけではなく、事業や仕事の面でもそういった雰囲気が出てきているのではないでしょうか。 どちらが良いか悪いかというのは議論があるかもしれませんが、なければ作ってしまお

つっかえが無くなるだけでも大きく変わる

何かがつっかえているのですから、それが取れたらスムーズに動き出しますし、スッキリすると思います。いつでもつっかえがなければそれが1番ですが、人が成長するためにはつっかえがあった方が良いという言説もあります。 逆境が人を育てる。成長させる。そんなに逆境にいきたくはないですけどね・・・ やむを得ず、逆境に来たり、つっかえが生じた場合は、これは成長のチャンスだと、大きくなるための試練だと前向きに捉えたほうが良いのは確かです。 辛さ、しんどさを感じ続けると挫折しそうだし、違う道

このnoteを書いた理由を説明してみよう

そもそもこのnoteを書く理由ってありますか?ニーズがあったから書くというのは実際になかなか厳しくはないですか?「ニーズがある」という考え方はそれなりに読者さんがあってこそで、もともと読者さんが居なければまずは潜在的ニーズを探ってみるしかありません。 たとえば、noteのお題企画で書いてみるのも良いし、最近まわりで多くの人が書いているテーマで書くのも良いでしょう。ただ、類似ものばかりが増えていくとニーズが有るテーマや内容だとしても、自分のnoteにニーズがあると思ってもらえ

初級の頃は型通りにする方が経験を積みやすい

何かを始めたばかりの初心者は、型通りに行う方が経験を積みやすい。これは、型通りに行うことで、基本的なルールや手順を習得しやすくなるためです。 例えば、運動を始めたばかりの初心者が、いきなりオリジナルの運動メニューを作り、実践していくことは難しいし、リスクも高まります。まずは、既存のメニューを参考にしたり、コーチやインストラクターなどが提示する型通りのメニューやプログラムから始めるほうが良いことが多いです。そうすることで、基本的な運動や身体の動かし方、取り組み方を理解し、基礎

生成AIを活用し、「型」を学ぶ

生成AIは大量のデータからパターンを学び、新しいデータを生成する技術です。テキスト、画像、音声など、さまざまなデータに対して適用が可能であり、近年急速に進歩しています。特にここ最近は一気に身近に浸透してきた感があり、日常に当たり前に存在してきたようにも思います。 一方で、誰もが日常的に使っているかと言うとそうでもないと思います。特にここnoteではどうでしょうか?皆さん活用されていますか? 生成AIは、さまざまな分野で活用が進んでいます。例えば、テキスト生成AIはニュース

言語化しにくいものにもトライする精神は大切

なんとなくですが、言語化しやすいものとうまく言語化しにくいものがあります。スポーツはまさにそうですが、ほとんどが暗黙知などであり、言語化できるものではなかったりします。 かといって、昔の一子相伝のように暗黙知の継承を中心に行なっていると広がりが持てませんし、多くの人に知らせることができません。どうにかして言語化しにくいものを言語化していく。 言語化することで最初は誤解が生まれたりしたとしても、なんとか言語化していくことにチャレンジしていく姿勢と意識が必要なのではないでしょ

姿勢次第でクオリティは変わる?

noteを作成する際に、パソコンかスマホ、手打ちか音声での入力かでクオリティや内容、長さや濃さなどに違いが出る可能性を以前にも書きました。 創作することは、スポーツにおけるeスポーツやボードゲームと同じで、そこに身体活動が伴う以上、スポーツの一種と言うことができますね。(無理やりかもしれませんが) スポーツかどうかはさておき、少なくとも身体活動の一種なのは疑う余地はありませんし、であるならばスポーツと同じく、姿勢や道具、環境やトレーニング、コンディションなど、スポーツにお

コミュニケーションの総量を増やす努力

動画配信などを検討したいと思ったりもします。どのような形が良いかなと思った時に、そもそもの目的が「見て頂きたい」ではなく、コミュニケーションを増やしたいという発想から検討していることに気づきました。 noteもそうですが、ただただ自分が書いたものを読んで頂きたい、見て頂きたいというよりは、もちろんイベントに参加して頂きたい、集客や支援につなげたい。そういった目標もありますが、何よりもコンテンツを増やし、アクセスできるチャンネルを増やしていくことで、コミュニケーションの総量を

コンテンツが増えていくとアクションも取りやすい

コンテンツが増えていくと管理は確かに大変になりますが、そのコンテンツを出していく事業や活動の内容を多くの方に知ってもらうチャンスは増えていきます。 コンテンツは情報に限らず、活動そのものやイベントなどもあると思います。作品など、作っていく物もコンテンツと呼ぶこともあると思います。創業する時もそうですが、何かを立ち上げゼロから始まるとコンテンツもゼロなので、なかなかお知らせすることや情報が足りない。そういった時期を超えていくと、少しずつコンテンツが増え、ご紹介できることも増え

厳しかった頃が嘘のように

よくよく考えると、以前とは大きく異なり、以前なら考えられなかったようなレベルで物事を進めるようになったりします。神屋の身近な例でいうと、音声入力やChatGPTにより飛躍的に仕事がはかどるようになりました。 noteだけ見ても、作っていけるスピードや、量は飛躍的に上がり、本当に以前なら考えられないレベルで進行できるようになりました。今までは少し面倒な隙間時間でも、宝の山だと思えるくらい大きくその価値が変わりました。 これがそのまま他の成果へと波及し、表面に出てくるのはまだ

考えてみると、なかなか驚異的

驚異的とはどのレベルを指すのかというのはさておき、 誰かがやっていることや、過去の自分と比較してこれは驚異的だなと思うことは多々あると思います。 もちろん、驚異的なことなので、そう頻繁に起きることではないという意識もありますが、考えてみるとそれはすごいことだなということもよくあります。 現在、多くのnoteを書いています。気づけば1日2本ほど投稿するのが当たり前のようになってきた2023年。毎日投稿を当たり前にするというところがさらに進化して、投稿増加が当たり前になると