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閃き💡劇場②

私の名前は白木憲三。
長年医者をやっていたが、今は引退し、施設に1人で入所している。
若い頃ボランティアで医療の整っていない地域で医師として誇りを持って働き、やがて任期が終わり、そこで出会った妻と一緒に日本に帰国して結婚。程なくして子供が産まれた。
私は家族が何不自由なく幸せに暮らせるように大学病院で昼夜問わず働いた。そして定年を迎え、息子の孝志も医師として独り立ちし、ここから妻と2人でのんびりできると思っていたのだが…。3年前妻が病気で他界。私も体に衰えを感じ、施設へ入所した。しかし、孝志とは子供の頃からろくにコミュニケーションをとっていなかったため、疎遠になり年に1度来てくれればいい方だった。
施設では1人孤独に過ごしている。

そんなある日。
『白木さんお客様ですよー』
施設の女性スタッフが明るく教えてくれた。
私に面会?息子だろうか??
応接フロアに行ってみるとそこには見たことのないアジア系の女性が立っていた。
『あの。あなたは一体?』
戸惑いながら声をかけると
『先生お久しぶりです。ナンシーです。ナンシー・セブニカです。覚えてますか?』
『ナンシー…?あのナンシー・セブニカ?遺伝子研究の権威の?面識がありましたかな?』
と首をひねっていると
『先生が若い頃ボランティアでお仕事されていた国で出会ってるのですが…。覚えてませんか?』
とナンシーは困ったように言う。
『え…。あぁ!ナンシー!あの時の子供か!思い出したよ。手に酷い怪我をしてね、設備がなかったから、手術が大変だった。いやー、君があの遺伝子研究の権威だなんて、素晴らしい!よく頑張ったね!』
私は思い出した。ナンシーの家は貧しく、医者にかかる余裕がなかったのだが、ある日右手を大怪我し、私のいるキャンプに運ばれた。そこで私は彼女の治療に当たり、無事に手術は成功。手も元通りになった。
それからすぐに私は任期が終わり、日本に帰国したのだった。

『あの時先生が私の手を治してくれたから、今の私がいます。医師の道を志したのも先生に憧れたからです。最初は臨床医になろうかと思ったのですが、病気の治療の研究がしたいと思い研究の道に入ったのです。
ずっとお礼が言いたくて、先生を探していました。今日は先生に会えて本当に嬉しいです。』
そう言ってにっこり笑うナンシーの笑顔は子供の頃見た時と変わらない笑顔だった。
それを見て私は泣き出してしまった。
『妻に先立たれてね、仕事ばかりしていたから、たった1人の息子とは疎遠になって…、私は何のために生きていたのだろうとずっと後悔していたのだが…。今日君に会えて、私の人生にも意味があったのだと思えたよ。本当に会いに来てくれてありがとう。ナンシー。』

それから私達は月に一度手紙でやり取りを始めた。それは私がこの世を去るまで続いた。

憲三の告別式の日。
憲三の息子、孝志は初めてナンシーと出会い、その事を知った。
『父にそんな過去が…。物心ついた時からずっと父は家にいませんでした。父がいるから暮らしていける。それはわかっていますが、家族を顧みない姿勢は家族としては最低な父でした、でも葬儀を通して色々な人から父について話を聞き、父は仕事を通して様々な人の人生を救ってきたのだなと思いました。もっと早く素直になっていたら、父と和解できたのだろうか…。』
孝志がそう言うと
『私もあなたのお父様に救われた1人です。お父様がいなければ、今の私はいません。どうかこれからは幸せに、そして願わくば、医師として人を助ける人生を歩んでください。どんな小さなことでもそれが助けた人にとっては大きな助けになる。そしてそれは連鎖していく。とお父様は仰ってました。』
そう言ってナンシーは憲三との手紙を見せた。それは孝志への思いが綴られたものだった。面と向かって言えない思いをナンシーには話せたようだった。
『親父…ごめんな』そういうと孝志は涙を流した。
ナンシーはそっと孝志の肩に手を置いた。


誰かを助けると、その人も他の誰かを助ける。やがてそれは連鎖して大きな輪になるんだろうなぁと思います。

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