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最初で最後のNOFXのライブに行った話その1

NOFXのライブに行ってから、
もう2週間以上も経つなんてにわかに信じがたい。
アレは夢だったのか?とすら思うほどに
現実味がない。
むしろ日がたつにつれて虚無感が増大している。
いわゆるロスというやつだ。

3月15日@BAY HALL
3月17日@幕張メッセ

最初で最後のNOFXはこの2日間で完全燃焼した。特に17日の幕張メッセは最後の日本公演だったので本当に感慨深かった。NOFXは本当に自分の音楽人生の大半を占めていたんだと再確認させられたと共に、ロスがw

NOFXを知ってる前提で話を進めているが知らない方のためにザックリと。

カリフォルニアのパンクバンドで結成は83年?くらい?BAD RELIGIONのレーベルEPITAPHからリリースしたのち自らFAT WRECK CHORDSを立ち上げDIYでマネージメントをしながら現在にまで至る。

NOFXとの出会いは94年のアルバム「PUNK IN DRUBLIC」だった。
1曲目のLinoleumを聴いたとたんに全身に衝撃が走った。
その年はGreen Dayの basket caseが空前の大ヒットを記録しパンクムーブメントの幕開けだったのを記憶している。

当時スキーに変わってブームになりだしていたスノーボードのPVに流れていたのが後にいわゆるメロコアと呼ばれる音楽だった。
オルタナティブロックがハードロックに入れ替わりシーンは空前のパンクロックムーブメントが起きていた。

そんな中ヘビーメタルとハードコアパンクをクロスオーバーさせたいわゆるメロコアバンドが台頭してきた。
NOFXはその中でも突出してセンスのいいバンドだったと記憶している。
メタリックなサウンドにそれまでにはなかったキャッチーなメロディライン、圧倒的なスピードでギターソロもなく2分で終わる曲。
初めて体験した音楽がそこにあった。

そこから30年、イロイロな音楽を聴きつつもやっぱりたまに聴きたくなったり、新譜が出たらチェックしたりと、他のメロコアバンドは聴かなくなってもNOFXだけは聴き続けていたが、2023年にアナウンスされたファイナルツアー。
もし日本に来るなら絶対に行くしかない!そう決めて日本公演を待っていたのだった。

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