1995 入社2年目 吉田拓郎さんのLong Time No Seeと初めての辞表

こんなyoutubeをみつけてしまいました。私の心のアルバム、吉田拓郎さんではもっとも好きなスタジオアルバムの Long Time No Seeに参加したベースのLeland Sklarさんが、その時の思い出を語っています。マジで感動です。

このアルバムは、バハマでレコーディングして、1995年6月に発売になり、全く売れなかったです。あの頃は、毎週末愛車プレリュードで辻堂と東京を深夜往復してまして、吉田拓郎のclub 25(日曜日25時から)をカーステFMで聴いていました。入社2年目、もうほとほと職場に、そして会社に嫌気がさしていました。

そんな折、Long Time No Seeで一緒にバハマでレコーディングした外人バンドを呼び寄せて、ツアーに出る!(7本くらいだったと思う)とラジオで拓郎さんが言うので、10月に拓郎さんに会いに行くことにしました。雨の日の平日、もう日が暮れるのが早くなった秋、NHKホール。ストレスが頂点で夏休み明けには、もう会社を辞めようって思ってましたので、10月に出たばっかりの20日間の有給休暇を早くも取りまくり。なので、その日は朝から独身寮で辞表を書いて、藤沢からトコトコ電車で彼に会いに行きました。

拓郎さんは前年の大晦日に、紅白(これもNHKホールですね)に出て、外は白い雪の夜を歌いました。正直、あまりカッコよくなかったです。だからあんまり期待していなかったですが、予想に反してとんでもなく素晴らしいライブでした。日本語が通じない外人バンドをいいことに、のびのびと新曲を歌いつつ、時折、泣ける名曲を挟む構成。空席もそこそこある中で、当時、過去の人だった拓郎さんの復活を喜ぶ熱いファン。

ハイライトはニューアルバムからの「永遠の嘘をついてくれ」。そう、中島みゆきがバハマでのレコーディングに出発する前日にこの曲のデモテープを送り付け、拓郎さんは内容がショックのあまり、出発当日に行くのをしぶったという曲。中島みゆきの「ファイト」を武道館でカバーしたことをきっかけに中島みゆきと会うことになり、そこで曲を作ってくれと依頼したというMCからはじまる意味深な曲。

引退を口にする拓郎さんに「永遠の嘘をついてくれ」と。多分そういう意味なんだろう、中島みゆきらしいハッパの掛け方だと思いました。

その後の拓郎さんの復活劇は凄まじかったです。Love Loveやって、肺がんになったけど瀬尾バンドとライブを行い。ライブなんて全然チケット取れなかったもん。

そして2006年、つま恋でこの曲を2人で歌うなんて超サプライズでした。カッコ悪いところを中島みゆきに見せられないと思ったからか、無茶苦茶すごいボーカルです。

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