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地頭の良さとは何か?


結びつける力が地頭のよさになる。
〜教養のない人は自由にはなれない〜

最近、インプットやアウトプットについてよく話をしますが、そもそもなんで学ぼうと思わないのだろう?という疑問を持っていたので、今週はこんなコラムにしてみました!!

リベラルアーツって言葉を知ってますか?大学などの教養科目をこのように呼ぶことが多いですが、リベラルアーツとは元々ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持っています。その時代に自由人として生きるための学問がリベラルアーツの起源でした。「リベラル・アーツ」、つまり人間を自由にする技ということです。
正解のない、そもそも課題すら自分で見つけなければいけない世の中で生きていく上で、これらの知識は、自由になるために必要不可欠であると言えます。

日本の教育は、早くから理系や文系などと科目や分野を分ける傾向がありますが、本来全く別分野の知識に見えても、全てのことは繋がっているものです。経済が環境や生物に影響を与えるように、人間心理は経済を動かしますし、芸術は人間を動かします。
そもそも、科学と宗教を別々に語るのは非常にナンセンスで、どちらかだけを学ぶことも学びの広がりを阻害するだけだと思います。

皆さんの知っているガリレオは、キリスト教徒であり、神が創った世界のことを知りたいと願ったからりんごが落ちるのをみて重力を発見しました。
科学と宗教は対極的に語られることが多いですが、そうではありません。どちらも神が創ったこの世界の謎を解き明かしたかったに過ぎないのです。

一つ一つの事実を知り、結び付けられることができると、今まで見えなかった世界が見えるようになります。だから学ぶことは楽しいし、学んだ者だけがイノベーションを起こすことができるのです。
これは学問という括りの中で起きることではなく、全てを学びに昇華できるかどうかは、その人自身の態度によるものです。
受け身な人は、「学習」と前置きを置いたものの中からでしか学ぶことができないのです。それはつまり多くの楽しみを逃し、人生をつまらないものにする第一歩と言えます。

人は、見たもの、聞いたものといった、知っているものの中からしか考えられません。
その数を増やすことも重要ですが、それぞれを結び付けて化学反応を起こして自分自身で考えることが自分の力になる部分です。
その快感を知らないと、きっと学びは億劫なんだと思います。
地頭は、知識量ではなく「繋げる力」です。
最近話題のメモの魔力で語られてる具体と抽象の行き来は、もっと知識や学問の線引きをなくして、全てから学び、つなぎ合わせ、自分のオリジナルの武器にしろということだと私は思います。

今日、学んでない者は、一生武器を作れないですし、学びを結び付けられない者は、一生武器を使えません。

武器を使えない者は、自分で切り開く世界がないからつまらないし、毎日を同じようなルーティンで過ごすだけなのです。
それは自分を不自由にする行為だと思います。

学ぶことに意味があるのではありません。全ての学びは、それぞれを結び付け、自分の思考に使うことに意味があるんです。
ただし、一見無関係に見えることを学んで結び付けて武器にできるのは、自ら学んだ人だけだと私は思います。
「聞けば教えてくれる」と思って、今の自分に必要なことも積極的に学ぼうとしないなら、毎日脳は退化していくと私は思います。
せっかく未だ人間が作ることができていない、「脳」という最強の武器を持って生まれてきたのに。もったいない!

もっとシナプスばちばちさせましょ!!!!

どんな出来事からも学ぶ態度があれば、誰だって最強になれるはず。
LOGZのみんなのエネルギーは、まだまだこんなもんじゃないはず。


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こちらの記事は、社内向け配信を修正、転載しています。

【2019.10.4】



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