21年間人生つまらないと思ってた私が気づいた「楽しい」の正体

「仕事楽しみたい」とか「楽しいと思うことをやってたい」など、日々たくさんの人に会っているとこのようなことを言われます。
そりゃ「楽しくない人生送りたい」と思っている人はいないと思いますし、何でも楽しくないよりは楽しい方がいいですよね。「不幸になりたい!」って人はここでnoteをそっ閉じしてください。笑
でも、この発言を聞くたびに、楽しいって何なのかについてどれだけの人が考えたことがあるんだろうと思ったりします。
試しに、採用面談で「楽しく仕事がしたい」と言う方に「あなたにとって楽しいって何ですか?」と聞いたことがあるのですが、返事は返って来ませんでした。たぶん多くの人が「楽しく生きていたい」って言いながら、何が「楽しい」ってことなのか考えずにすごしているんだと思います。

私は大学の時から、この「楽しい」の正体について度々考えていました。
自分の「楽しい」の正体を考えるため、過去を振り返って見て、最も記憶に残っている楽しいものを探ったら、体育祭や文化祭、習い事の講演会、部活などが出てきました。そうすると、自分なりに一つの結論にたどり着いたんです。

それは、”楽しいは、本気になったものでしか感じられない”ということ。

もちろん、旅行とか買い物とか楽しいです。私は漫画読むのが大好きですし、アニメ見るのも映画見るのも大好きです。どれも楽しいと思います。でも、どう考えても本気で取り組んだもの以上の高揚感は得られてませんし、体育祭や文化祭ほどの記憶には残っていないのです。

これについて考えるために、なぜ体育祭や文化祭という学校行事は記憶に深く刻まれていて、特別楽しいと感じているのか考えました。
結果、人が「楽しい」って感じるには3つの要因が必要なのではないかと思ったのです。

その3つとは、

1.期間がある
2.困難に向かっていく本気
3.分かち合うチーム

この3つがあると、人は熱狂し、アドレナリンが出て、依存性のある達成感を味わいます。少し、詳しく説明したいと思います。


1.期間がある

まず1つ目の「期間がある」。
たとえば、合唱コンクールや体育祭、文化祭などは、練習開始から本番まで1年に満たない期間で必ず区切られており、かつ大抵はその仲間たちと一緒にいられるのは卒業までの3年間というとても見えやすい期限があります。
この「いつか来る終わりまでに何を成すか」ということを考えて、最大の功績(自分の望むゴール)を得るために行動するわけです。
体育祭まであと○日などと数えながら、日々の行動がどこにつながっているのかを強く意識します。
 本来これは、人生にも当てはまるもの。今の科学では不老不死は叶っていない(私の知る限り)ので、私たちは誰しもがいずれ死ぬことになります。それは誰にも予測できず、明日かもしれないし数年後かもしれないし、数十年先かもしれません。わかりやすく現在の平均寿命で考えるならば、おそらく85歳程度だと言えるでしょう。
しかし、人生になった瞬間、このことを毎日真剣に感じてることは難しくなります。毎日自分の寿命について考えている日人はほとんどいないでしょう。
しかも、健康寿命という話をするならば、実はこの期間はもっと短いと考えられます。私たちは生まれてから20歳前後までの約20年間は、誰かの保護下にあり、自分の自由選択が効くものはそれほど多くありません。さらに、60歳からの25年ほどは、おそらく健康面は万全の状態ではないので、食べるものや移動距離など何かしらの我慢が必要になるでしょう。
そう考えると、20歳から60歳の約40年ほどが、最もコンディションが良くパフォーマンスを発揮でき、自由に選択できる期間ということになります。が、、、、、!そんなこと考えたことあります?
私は、昔から死ぬことへの恐怖が強く、死んだらどうなるのか、明日死んでしまうのではないかなど考えるタイプでした。そんな私でも、自分の人生に期限があり、時間は有限だということを日々感じるのはとてもむずかしいことです。
でも冷静に人生にも期限があると思った時、自分がその中で何を成すのか、というのはとても重要なテーマだと感じると思います。
心理学的にも、人間は期限あるものに、期限がないものに比べて大きい魅力を感じると言われています。これが最後かもしれない、二度とない体験と思うと、特別感が増します。だからこそ、期限があるものには熱狂するのだと思います。


2.困難に向かっていく本気

2つ目は、「困難に向かっていく本気」です。
体育祭、文化祭、合唱コンクール、部活などって、何事もなく順調にうまくいきましたか?おそらく、練習サボる奴がいて頭を悩ませたりとか、他のチームに勝つために戦略考えたりとか、意見がまとまらなくてぶつかったりとか、自分の能力に苦しんだりとか、必ず困難に立ち向かっていたと思います。
映画や漫画もそうですが、困難に立ち向かってない話にワクワクしないんですよね。ルフィーが強すぎで無傷で勝ちまくってたり、NARUTOが両親健在で最初から九尾と仲良くやってたり、炭治郎が妹を鬼にされてない&最初から異常に強かったら、、、、。
順風満帆にいかなかったからこそ、乗り越えた時の達成感や高揚感が大きくなるのだと私は思います。
ただし、これは本気だったらという話です。
本気じゃない人に、達成感はありません。
本気じゃない人は困難を乗り越えることができません。
ゆえに、本気じゃない人は楽しさを感じないのです
人は、楽しいことは外からやってくると思っています。でも、私は楽しいことは内からやってくると確信しています。体育祭に本気だったやつと、冷めた目で見てたやつと、どちらが楽しめるかは一目瞭然です。(私はどちらも経験したことがあるので間違いないです。)
誰かがあなたの「楽しい」をわざわざ運んできてプレゼントしてくれることはありえません。自分で楽しいと感じるために本気になるかどうかだけが、楽しそうな人とつまらなそうな人の差だと私は思っています。本気になれない人は、「なれない」のではなく、「なろうとしてない」だけ。日々がつまらない人は、「環境がつまらない」なのではなく、「自分がつまらない」のです。
旅行や遊びは楽しいです。一時的には。でも、私は本気で困難を乗り越えた時以上の楽しさを、遊びや旅行で感じたことはありません。
本気でやって困難を乗り越えたときの楽しさは、遊びや旅行と比較にならないぐらいの依存性のある達成感を与えてくれると思います。騙されたと思って、ぜひ本気になってみてください。


3.分かち合うチーム

3つ目は、「分かち合うチーム」があるといこと。
私は人と付き合うのがうまくもないし、そんなに人と関わるのが好きな方でもないと思います。でも、チームは好きです。達成感は、きついことも、悔しい時も、喜ぶ結果も分かち合うチームがないと意味ないと思っています。
たしかに個人でも達成感を感じられますが、やはり一人で成せることの大きさには限界があり、チームで成せることの大きさに比べると達成感は桁が違います。チームで乗り越えた困難は絆を生んでくれますし、ともに喜ぶことができるのは、言いようのない幸福感をもたらします。
受験は、困難に立ち向かう本気を持って、期間があるものなので、やはり達成感を感じますが、チームで成し遂げたものと比べると、なんとなく高揚感の質が違うと思うのです。(指定校推薦のくせに受験語るなと言う文句は受け付けていません笑)
チームでぶつかり合ったり、助け合ったり、それぞれが本気で同じゴールを目指したからこそ、掴んだ時の高揚感があるんだろうなと。
起業して、仕事をしてきて、大変なことばかりだし、うまくいかないことだらけですし、困難しかないと言っても過言ではないです。
それでも、私は成し遂げたいコトがあって、それを一緒に追うチームがあります。
本気でやり抜いて、達成した時、隣にいるチームの仲間の顔や、その時の興奮、達成感を思うと、どうしてもそれが味わいたいと思うのです。
たぶん、達成感ジャンキーなのでしょう。笑


ここまで楽しいとは何なのかを私なりに話してきましたが、ベンチャーにいる人は達成感ジャンキーが多いのでは?と思っています。勝手に。笑
3つ特徴を話しましたが、何よりも重要なのはたった一つで、本気であるということだと思います。
本気じゃない人間に、達成感は絶対にありません。本気じゃない人間に、自分の人生を楽しくすることはできないと私は確信してます。

楽しみたいのなら、本気になること。
それが一番の近道です。

誰かや何かは、ある日突然楽しさをプレゼントしに来てはくれません。
楽しいと思うために、今目の前に本気になる。そうすると、目の前がクリアになって、今まで味わったことのない高揚感を味わえるはずです。



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