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売れない営業マンがトップセールマンになった方法

誰も教えてくれない売れる営業マンになるための基本的考え方

こんにちは

ココナラでは宇宙一ツイているN島と申します。

私はココナラ以外でもブログや飲食店経営をしておりまして、さらに会社員までやっております。

もちろん、営業のノウハウを提供しようというのですから、当然サラリーマンとしては営業をやっております。

そして、営業のノウハウを提供するというくらいですので、当然販売実績はトップだったり2位だったりと常に上位にいる事ができています。

その営業成績の上位に居続けるための営業として「売れるためのノウハウ」を提供しようというのがこのワード文書になります。

本来ならケースバイケースですので、一概に売れる営業の方法と言っても状況に応じて変わる事になるのですが、ここに記載するのは普遍的で不変的な内容になります。

言い換えれば、どの業界のどの商品であっても、このノウハウを使っていれば、ある程度は売れるようになるという考え方や営業方法になります。

私が実務で培ってきたオリジナルで体得した内容なので、よくある営業本の受け売り等ではございません。

人から聞いた情報の受け売りですと、どうしてもエピソードがなく言葉に重みやリアリティがないのですが、実体験で学んだ事というのは響きやすいと思っておりますし、私に足りていなかったことが他の方も同じように不足している事もあるのではないかと思います。

まるで売れなかった私が常に営業成績上位に居続けるようになった時に、今思えばこれが自分にはなかったからだと気づくに至った内容を記載しております。

他の方の営業力のボトムアップの一役を担えればと思いましてキーボードを打たせていただいております。

➀,自己紹介

始めに、私が何者なのかというところからご紹介させていただきます。
ご興味がない方は読み飛ばしていただいて大丈夫です。

ココナラでは「宇宙一ツイているN島」を名乗っておりますが、最近では「ラッキーしか起きないN島」になりました。

物事の事実というのは、本人の解釈や認識、受け止め方次第ですので、ラッキーしか自分には起きないと決めると、どんな事が起きてもそれがどんな幸運なのかを考えるクセが出始め、結果的に自分に起きた結果はどんな事でもラッキーだったと結論づけることができます。

なので、何が起きてもラッキーだと解釈すると、起きた事象を自分の中でラッキーという事実にすることで、発信しているその言葉が現実になっていきます。

思考は現実化するとか、人間は自分が考えているようになるとかよく言われておりますが、その通りだと最近気づかされました。

なので、やはりそういうラッキーだと言った幸福そうな雰囲気を醸し出していると、対お客さんに会った時も言葉以上にこちらを良いように解釈してくれます。

女性は特に雰囲気に敏感だなと思いますが、良い雰囲気を作る上でも考え方は大事です。

なので、自分に起きる事は全部結果的にラッキーだと決めてしまったのが今の私です。

考え方を変え、売れる営業になるまでは艱難辛苦の道でした。

私が社会人になって最初に営業職に就いたのは2002年の4月の事でした。

当時はITバブルがはじけ、就職氷河期世代と呼ばれていた時代で正社員になることが難しい時期でした。

御多分にもれず、学生時代を遊び呆けていた私はロクに就職活動をしないまま大学4年生になっており、企業が募集をやめる直前まで何もしませんでした。

学生時代に何も学ばず、努力もしてこなかった私はゲームと当時はやっていたスロットやパチンコばかりしていました。

当然、付き合う人を選ぶことのできる学生時代でそんな事ばかりしていてはコミュニケーション能力も低く、物事も何も知らない世間知らずでした。

人が好きといった理由があるわけでもないのに、「でもしか先生」と呼ばれていた教員のように私は「でもしか営業マン」になりました。

でもしか先生というのは、教師の志願者のほとんどが容易に就職できた時代に、他にやりたい仕事がないから「先生でもなるか」とか「先生にしかなれない」などといった消極的な動機から教師の職に就いた、無気力で不活発な教師に対する蔑称とされていました。

同じように私は「営業マンしかなれない」といった消極的な理由で営業マンになりました。

最初に就職したのが印刷会社の営業です。

何も考えてなかった私は印刷業界の先行きなども考えず、面接で人が好さそうだったからという理由だけで切り札である新卒のカードを切ってしまいます。

20年後には新聞が無くなると言われているこの時代に紙に印刷する仕事を営業してくる仕事です。

競合他社は多数いますし、私自身に何か強みとなるような物は何もなく、長時間労働で低賃金のいわゆるブラック企業でした。

月に1度土曜出勤の朝礼があり、平日は朝6時に起床して、0時ギリギリに帰ってくる毎日。

そんな中、何も勉強しないまま私はいきなり営業マンになったのですが、最初に何社かお客さんを引き継がせてくれたりします。

衝撃だったのが新卒の22歳の私に社長がマネーの虎という番組にもでていたSODさん(ソフトオンデマンド)を引き継いだことです。

新卒の若い成人男性をいきなりセクシービデオのジャケットの担当にするのです。

今思えば、研修中における私の言動などで期待されていなかったのかもしれません。

そうして私は営業活動を始めることになったのですが、何も分かっていないのとコミュニケーション能力が低すぎたため、引き継いだ取引先の会社さんからクレームで次々と担当変更を申し渡されます。

当時の私は自分の何が悪いかもわからず、パニックになっておりました。

そして会社側からしてみれば、そんな結果を出した私にお客さんを渡すわけにもいかず、他にやらせることもないので、新規開拓専門の担当にされすべての担当を外されてしまいました。

既存のお客さんから外されてしまうような営業マンに当然新規開拓ができるはずもありません。

昔「リストラ部屋」と称して辞めさせたい社員を小さな部屋に閉じ込めてパソコンも支給せず、仕事もさせずに自ら辞めるたくなるように持っていく会社側のやり方が問題になった事がありましたが、似たような事だったのでしょう。

私は営業マンに向いていないからそれを悟らせると言いますか、諭すといいますか。

ですが、当時の私はその会社側の意図にも気づきませんでしたし、両親が大学の学費まで支払ってくれていたのに、社会人になる事ができない事に焦りを感じました。

そして、このままじゃ駄目だと思い、今思えばその会社には悪かったかもしれませんが、知識不足を補うため午前中は新規開拓と称してカフェでビジネス書や営業本を読みまくりました。

午後は飛び込み営業で回っていたため、読書によって段々と雑学やビジネスの基本を理解できるようになり、3年で退社したその会社の後半の方は新規開拓件数NO1になっておりました。

そして退社後1年間パチンコのプロになった私は、パチンコが好きだからという理由でパチンコ設備メーカーに入社します。

2006年の事だったと思います。
最初は技術者として入社して、メンテナンスをしたりしながら実績を積むと営業になります。

3年程技術者をした後、営業に抜擢されました。

もう2度と同じ轍は踏まないと技術者の時からレスポンスの速さと一歩踏み込んだ対応などをしていたため、営業に転向してからも担当していたチェーン店から次々と仕事を貰えました。

また、代理店さんがいたので自分の会社の領域の外の仕事、つまり代理店さんの代わりに、自社の仕事範囲ではやらなくてもいいことまで先回りしてやることで、代理店さんが楽をできるため、私を指名して紹介してくれる事が増えました。

結果的に、営業の目標数値200%達成し、1年で4億円の売り上げを上げて全国トップセールスになりました。

そのまま順調にいけばよかったのですが、ある時から風向きが変わります。

北朝鮮問題等で国がミサイルの資金源を断つように動き始め、パチンコ業界に嵐のような逆風が吹き始めます。

老舗パチンコメーカーの西陣社が解散したのも記憶に新しいです。

国が本気で潰そうとしている業界では、ライバル会社の営業も営業力のある営業マンばかりが残り、受注を勝ち取るのも大変になっていきますし、当然価格競争も激しくなっていきます。

全体的なパイが落ちている中で、業界はシュリンクしているのに会社としては成長しなければならないという二律背反の状況

仕事が減っているのに売り上げ目標値が上がるというなかなか大変な時代になっていきました。

ただそのちょっと前に、私には物凄く気になる事がありました。

それはある二人の後輩社員の退社でした。
実は二人とも物凄く運が良い人達でした。

一人は富裕層の社長の息子として生まれ、パチンコ業界に入ってきたので当然パチンコ好きで、運だけでパチンコに勝ち続けている物凄く幸運な子でした。

もう一人は九州の高専を卒業し入社してきたのですが、こちらも豪運の持ち主でパチンコでもスロットでも座れば低投資で当たって大勝ちするような運が良い子

その二人が立て続けに私が在籍しているパチンコ設備メーカーを退職したのです。

この会社から運が逃げていっている。

私は後に沈没船になってしまう出航前の船からネズミが逃げていく映像を想像させられました。

そして、その二人は二人ともパチンコ業界から歯科業界へと転職していきました。

それを見た私は、結果的に運が良かった人が選択した行動が間違えるわけないと思いました。

そうして、私も運が良い人の選択を信じて、パチンコ業界から歯科業界に転職します。

結果的には大正解でした。

国が潰そうとしているパチンコ業界と異なり、国が支えようとしている歯科業界はとても良い業界に感じます。

全国に7万軒とコンビニエンスストアの数より多いのですが、大企業からすれば小さすぎる業界でニッチな業界です。

また、1軒あたりの売り上げがパチンコ業界とことなり1億円もかからないため、ライバルの営業もそれほど手強い営業がおりません。

やはり大きなお金が動くところには優秀な営業マンもやってきますが、売り上げ単価の小さいところにはモンスター級の営業はやってきません。

売り上げ単価が小さくても利益が同じくらいあれば問題ないのですが、一見そういった本当の利益の部分は見えづらいので、歯科業界は利益率も高いように見えて本当に良い業界だと思います。

漫画のキングダムでもありますが、始皇帝の右腕と言われた「李斯」の「便所のねずみ」の話をどうしても思い出してしまいます。

便所のねずみと言えば、こういう話です。

楚の人、李斯は、便所にいるネズミが人の汚物を食らい、人や犬におびえて暮らす一方、米倉のネズミはたらふく米を食べ人や犬にも怯えなかったのを見て、便所にいるネズミも米倉にいるネズミも同じネズミなのに、いる場所によってこうも違うと人生の奥義を悟り、「人の価値はその居場所で決まる」として己れのあるべき居場所を探し求め、ついに始皇帝の治める大秦帝国の宰相にまでのぼりつめた

この歴史の話は現在の私とか他の人にもそのままが言えて、自分がどのフィールドにいるかというのは物凄く重要な事だと歯科業界に来て気づかされました。

そして、現在の私は飲食店を経営しながら、過去の経験を駆使して歯科業界で「レセプトコンピューター」を歯科医師向けに販売しております。

レセコンと呼ばれる「レセプトコンピューター」とは医療機関には今国から導入を義務付けられているコンピューターで、病院から健康保険組合などの支払い機関に対し、診療報酬を請求するために「レセプト(診療報酬明細書)」を作成するコンピューターシステムのことです。

皆さんも病院に行った際に健康保険証を出して3割負担をし、窓口でお金を払うと思います。

この3割は何の3割かと言いますと、診療報酬の3割でして、保険が効く処置と呼ばれる治療にはそれぞれ価格が国によって決められております。

この決められた価格を記憶させているのがレセコンになります。

私はその歯科におけるレセコンメーカーで特販部という新規開拓専門の部署のスタートアップメンバーに指名されておりまして、現在入社5年目ですが、5年間で90件以上の新規開拓に成功しております。

当然、受注件数は全社内で1.2位を争い続けております。

最初の2年間はまだ知識やノウハウとネットワークがなかったため、2年で16件受注くらいでしたが、3年目よりコンスタントに毎年20件以上の新規開拓に成功しております。

今年は4週間で3件の新規受注をしているペースでして、今後続ければ続けるほど受注数は加速させていくことができると思っております。

その受注を増やす考え方、ノウハウをここに記載していこうと思っております。

ちょっと自己紹介が長くなってしまいましたが、それでは早速誰も教えてくれない本当に売れるための営業のノウハウをご説明していきます。

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